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「東京の空の下 ~当節猫又余話~」第五章

四月二十一日 火曜日

 休み時間、高樹が噂話を仕入れてきた。

「え……」
「どういう事?」
 秀と俺が聞き返した。

「見えない何かにぶつかって転ぶらしい」
「それ、俺達が何かする必要あるか?」
「かなりの勢いでぶつかられるらしいんだ。それで死んだ人がいるらしい」
「死ななくても大ケガした人もいるんだって」
 高樹と雪桜が言った。
 死人まで出ているなら放っておく訳にはいかないだろう。

 妖奇征討軍め……。

 俺は溜息をいた。

 放課後――。

 中央公園で祖母ちゃんと落ち合うと見えない何かの話をした。

「ああ、馬ね」
「馬!?」
 俺達は同時に声を上げた。

「時々暴れ馬が走ってるわよ。人がね飛ばされてたし、多分それでしょ」

 現代の道路に暴れ馬……。

 化生の話に慣れてる俺達ですらしばし言葉を失った。

「それ、どうやったら退治出来るんだ?」
「さぁ?」
 祖母ちゃんが首を傾げる。
 俺達は顔を見合わせた。
 話し合いの結果、とりあえず今夜、馬を見にいってみる事になった。

「オレは一応馬の退治方法、師匠に聞いてみる」

 馬退治……。

 武士でも馬退治はしなかったのではないかと思ったが、考えてみたら暴れ馬を乗りこなしたりする話はドラマか何かで観た事がある。
 馬を乗りこなす方法を教われるかもしれない。

 高樹が馬に乗って日本刀を振り回すようになるかもしれないのか……。
 暴れん坊将軍みたいになるな……。
 現代版、暴れん坊将軍……。

 高樹は将軍ではないが。
 というか、それ以前に武士ですらないが。
 俺達は待ち合わせ場所を決めた。

 深夜――。

 俺達は馬が出ると言われている場所の近くに集まった。
 祖母ちゃんが白狐を、高樹が頼母を呼んでくれていた。
 全員揃うと同時に叫び声が聞こえた。
 声の方に顔を向けると馬がこちらに疾走してくる。

「ホントに馬なんだな……」
 高樹が呆気に取られた様子でそう言った時、
「望! けなさい!」
 祖母ちゃんの鋭い声で我に返った高樹が慌てて後ろに下がった。
 その目の前を馬が駆け抜ける。
 馬はあっという間に遠ざかって姿が見えなくなった。

「……あれ、俺達になんとかなるのか?」
 あの速さでは人間の足では追い付けないし、前に立ちふさがろうとしたらり殺される。

 馬に蹴られたなんて冗談みたいな死因は嫌だ……。

 馬にたずさわっている人ならともかく、俺は本物を見たこともない高校生だ。
 それなのに路上で馬に蹴られたなどと言ったら笑いものになるのは間違いない。

 自転車でも追い付けそうにないし、かと言って俺達はバイクも車も運転出来ない。
 仮に運転出来るとしても猛スピードで逃げていく馬を追走しながら攻撃するというのは難しいだろう。
 いくら繊月丸でも真横に行かなければ骨は砕けないだろうし、弓で射るにしても移動している状態で狙いを付けられる自信はない。

 新宿では年に一度、流鏑馬やぶさめ神事しんじが行われるので見にいったことがあるのだが、走っている馬からだと止まっている的ですら中々当たらないのだ。
 まして的の方も猛スピードで移動するとなると相当な腕がなければ当たらないだろう。
 中学の部活で少々たしなんでいた程度の俺では逆立ちしても無理だ。

「あれでは手も足も出ぬな」
 頼母が言った。
「ドラマか何かで武士が暴れ馬乗りこなす話を見たんだけど実際にはそんな事はなかったってことか?」
「どらま?」
「芝居の事よ」
「なるほど」
 頼母が頷いた。
「芝居にしろ、まことの話にしろ、それは乗れればの話だ」

 そういえばそうか……。

 暴れていると言っても手綱に繋がれて、その場にとどまっていたから乗れたのである。
 つまり、乗りこなすにしても足止めは必要という事だ。
 俺は最後の頼みの綱である白狐に目を向けた。

「久々に見たな」
 白狐が言った。
「あれ、知ってるのか!?」
「達者すぎるのも考えものよな」
勿体もったいぶらなくていから早く教えなさいよ」
「あれは絵だ」
「え?」
 俺は眉をひそめた。
 表情からすると秀と高樹も意味が分からなかったらしい。

「以前にもあったのだ。あまりにも達者だったゆえ、絵から馬が抜け出してしまってな」
「え……絵!?」
「うむ」
 白狐が頷く。

「その時はどうしたんだ?」
「絵に手綱たづなを描き込んだら出てこなくなった」
「手綱を描き込むだけならすぐに終わるな」
 俺が安心して言った。
「どこに絵があるのか分かるのか?」
 頼母の問いにハッとする。
 そうだ、描き込むにはまず絵を見付けなければならない。

「絵から馬から抜け出したら噂になるだろ」
 高樹が言った。
「抜け出してる事が分かればな」
 頼母の答えに高樹が言葉に詰まる。
 そう言われてみれば人間はみんなぶつかったものが見えなかった。
「絵から抜け出した馬が見えてないと気付けないのか」
 俺は考え込んだ。

「姿は見えずとも、抜け出してる間は絵から馬が消えてるぞ」
「ああ、絵から馬が消えるって噂を探せばいいのか」
「そう言う噂もないみたいだよ」
 秀がスマホで検索しながら言った。
 横から覗き込むと、画面にはオカルトの噂を集めているサイトの掲示板が表示されている。

「人間にはぶつかるのに窓や壁は割れないのか?」
 高樹が当然の疑問を口にした。
「昔、絵から出てきた時は? 壁とかは通り抜けてたのか?」
 俺は白狐に訪ねた。
「昔はふすまや障子だった故な」

 そうか……。

 ガラスがなく、襖や障子を蹴飛ばすだけで外に出られたのか。

「なら野晒のざらしなのか?」
 この近辺に空き地はほとんどないし、細い路地を通り抜けられるのでないとしたら後は絵がありそうな場所はゴミ置き場という事になる。
 この辺り一帯のゴミ捨て場を回らなければいけないのかと思うとげんなりする。

 そう思った時、ひづめの音が聞こえてきた。
 馬が迫ってくるのに気付いた時にはすぐそこまで来ていた。
 進路上に繊月丸がいる。

 俺は咄嗟とっさに繊月丸をかばって押し倒した。
 際どいところを馬が通り過ぎていく。
 背中に風を感じた。
 それも突風を。

 俺は顔を上げて走り去っていく馬を見た。
 とても絵とは思えない。
 これだけ本物に似てるなら出てきてしまっても不思議はないのかもしれない。

 不意に袖を引かれた。
 繊月丸だ。

「どうした?」
「あれ、うちにあった絵の馬だよ」
「え、じゃあ、秋山さんにあるのか!?」
 俺が訪ねると繊月丸が頷いた。

「そういえば秋山さん、最近荒らされたって……」
「あっ、それ、俺も聞いた」
 俺も秀の言葉を聞いて思い出した。
 秋山さんが亡くなった後、家が空き家になったせいか最近誰かが壁を壊し部屋の中を荒らしたと母さんが話していた。
 俺はそれを皆に話した。

「馬が出入り出来るほどの大穴が壁に開いてるなら鍵とかは考えなくていいよな」
「出入りするところさえ見られなければいいだけだな」
「油性ペン一本で終わるね」
「繊月丸、置いてある部屋は分かるか?」
 俺の問いに繊月丸が再び頷いた。

 すぐに行こうとしたのだが、白狐に絵に馬がいない時に行っても手綱は描けないと言われたので明日行く事になった。

四月二十二日 水曜日

 放課後、祖母ちゃんと合流し、秋山さんの家に向かっている時ファーストフード店の前を通り掛かった。

「げっ」
 店の中に山田の姿が見えた。
 俺は秀と高樹の腕を掴むと山田に見付かる前に急いで通り過ぎた。

 俺達は繊月丸の案内で絵の前まで来た。
 祖母ちゃんは一緒だが、頼母や白狐は自分達が出向くまでもないというし、実際、絵に手綱を描き込むだけなら助けを借りる必要はないだろう。

「これ」
 繊月丸が絵を指す。
「よし、早いとこ済ませよう」
 高樹が鞄の中から油性ペンを取り出した。
 その時、
「待って!」
 秀が慌てて高樹の手を押さえた。

「なんだよ」
「マズいよ、この絵……」
 秀がスマホ画面を俺達に向けた。
 目の前の絵が映っている。

「何がマズいんだ?」
「これ、文化庁の公式サイトだよ」
「え?」
「この絵、文化財の行方不明リストに載ってる」
「え……?」
「文化財に油性ペンで描き込むのはマズいんじゃない?」
 秀の言葉に俺達は顔を見合わせた。

「けど、放っておいたら馬が暴れ回るんだろ」
「そうだけど……行方不明だった文化財が発見された時に落書きがあって、その犯人が俺達だって知られたら……」
「社会的に抹殺されかねない……か」
 高樹が考え込んだ。
「今までは出てこなかったんだからあの儀式のせいだよな。ならこの絵が遠くへ運ばれれば出てこなくなる可能性があるって事か?」

 例えば上野の東京国立博物館とか……。

「いつ運び出されるんだ?」
「行方不明リストに載ってるって事は、まず発見してもらわないと……」
「確か、告知とかして何ヶ月か申し出がないか待ってからようやく国の物になるって言ってたよな」
 高樹が俺に訊ねる。
「法律とかの事はよく知らないから……そんなような話を聞いたってだけで……」
「となると当分ここに置きっぱなしって事だよな」
 高樹の言葉に俺達は考え込んだ。

「バレなきゃいいんでしょ。入るのは見られないようにしたし、出る時も気付かれないようにすれば……」
「万が一、犯人捜しって事になって指紋でも採られたらどうすんだよ」
「犯罪でも起こさない限り指紋なんて採られないでしょ」
「どうかな」
 秀が考え込む。

「今は生体認証で指紋使うし……指紋じゃなくてDNAだけど、民間会社のデータベースを警察が利用して犯人見付けたって言う事件があったよ。アメリカだけど――」

 今後、生体認証で指紋が必須になり、その上で警察が民間会社に登録されているデータを利用して犯人捜しをするという可能性がないとは言えない、と秀が言った。
 DNAのデータベースを利用して解決した事件は殺人事件で、絵の落書きの捜査に民会会社の利用は考えづらいが別の事件が起きてこの絵から指紋を採ることになる事は十分有り得るというのだ。

「仕方ない、白狐に相談しよう」
 それまでは被害が最小限で済むように祈るしかない。

 帰る途中、海伯と会った。

「よっ!」
 海伯が手を上げた。
「浮かない顔してどうした?」
 その問いに俺達は顔を見合わせた。
 海伯も化生なのだからいいアイデアがあるかもしれない。
 俺は海伯に事情を話した。

「作者は分かるか?」
 海伯の問いに秀がスマホを見て名前を告げる。
「雨月、降ろしてやれよ」

 降ろす?

 俺は海伯の言葉に首を傾げた。

狐憑きつねつきって言うのは降霊術じゃないのよ。狐をかせるんだから人間は降ろせないわよ」
狩野派かのうはは弟子が多かっただろ。弟子の中に狐の一匹や二匹、いたんじゃないのか? 弟子を見付けたらどうだ?」
 海伯の言葉に祖母ちゃんは少し考えてから首を振った。
「その場だけ誤魔化せれば後でバレてもいならともかく、バレないほどの達者となると狐憑きで降ろせる狐にはいないわね」
「やっぱ白狐の知恵を借りるしかないか」

 最悪、社会的抹殺覚悟で俺達の誰かが描く羽目になる事も考慮こうりょに入れておこう……。
 青春や高校生活どころか、まともな社会生活すら送れなくなる可能性があるのか……。
 万が一そんな事になったら妖奇征討軍を呪ってやるからな……。

四月二十三日 木曜日

 放課後、俺達は再び絵の前に来ていた。
 今日は祖母ちゃんと海伯だけではなく、白狐ともう一人、同行者が一緒だった。
 見た目は女子大生風だが化生である。
 昨日のうちに海伯が白狐に話しに行ってくれて、白狐が江戸時代に狩野派の絵師の弟子だった化生を呼んでくれたのだ。

 彼女は荷物の中から絵の道具を出すと絵に手綱を描き込んだ。
 絵には詳しくないが違和感はない。
 少なくとも油性ペンではないからイタズラ描きとは思われないだろう。
 文化庁に元の絵の写真が残っているから、それと比較すれば手綱が描き足されている事はバレてしまうと思うが指紋を採られたところで化生だから民間データベースを調べられても問題ない。

「これで出てこなくなるとは思うが、万が一まだ出てくるようなら燃やしてしまえ」
 白狐が言った。
「文化財を!?」
 俺が驚いて声を上げると、
「行方不明なのだろ。だったら永久に行方不明という事にしておけば良い」

 関東大震災や空襲で都内の文化財はかなり焼失してるからこの絵もその時に燃えた事にしてしまえ、というのだ。

 乱暴な……。

 とはいえ、絵の上手い者が手綱を描いても出てきてしまうようなら他に方法がない。
 おそらく油性ペンの手綱でもダメだろう。

四月二十四日 金曜日

「昨日は暴れ馬は出てないよな?」
 朝の登校途中、俺は秀と雪桜に訊ねた。
「被害者には馬が見えないから断言は出来ないけど、死んだりケガをしたりした人はいなかったみたいだよ」
「ネットとかにも特に投稿はなかったけど……」
 雪桜が途中で言葉を切った。

 元々今回の事はネットにもほとんど出ていなかった。
 人間でも自転車や車など見えている物がぶつかったなら報道はされなくてもSNSへの投稿がある場合が多い。
 衝突事故というのは報道されるよりも遙かに件数が多いがニュースになるものは少ない。
 だがSNSでは、ぶつかってきた人が逃げてしまった、などという場合は被害者がそれを投稿するし、そう言う投稿は注目が集まる事が多いから目にする機会が多い。

 問題は〝見えないもの〟にぶつかられた場合だ。
 周囲に人がいるから誰かにぶつかられたのだと考えたとしても、ケガをしたり死んだりするほどの勢いとなると歩いている人を疑ったりしないだろう。
 だが走り去っていく人がいなければ、そして周囲に他の人も倒れているなら『何かがぶつかった』、そしてそれは『歩行者ではなさそうだ』と言う事しか分からない。

 何にぶつかったのか分からず、原因と思われるもの――突風など――も特に無いとなると、投稿には『どうしてだか分からないけど転んだ』程度の事しか書けないし、車やバイクなどにぶつかられたのではないなら読み流されて終わるから話題にはならない。
 そういえば妖奇征討軍には馬が見えたのだろうか。

 路地の横に差し掛かった時、狸がいた。
 どうやら道端に捨てられたレジ袋の中の弁当をあさっていたようだ。
 狸は俺と目が合うと軽く頭を下げてから弁当に注意を戻した。

 動物タヌキ会釈えしゃく

 一瞬首を傾げてから妖奇征討軍に退治されそうになっていた狸だと気付いた。
 まだ無事だったと分かって一安心だ。

 休み時間――。

 夕辺は暴れ馬が出なかったかどうか確かめるために、俺も秀もほとんど話をしないままクラスメイト達の噂に耳を傾けていた。

「それ、家出でしょ」
「近道のために公園を通り抜けようとすると消えるのよ」
「一人や二人じゃないんだって」
「その公園に入った人は出てこないって聞いたよ」
「神隠しってやつ?」
 女子の噂話を聞いていた秀と俺は顔を見合わせた。

 次の休み時間、秀と俺は連れだって雪桜と高樹のクラスに行った。
 雪桜は他の女子生徒と話をしていたので声は掛けなかった。

「実は俺もその話を聞いたからそっちに行こうと思ってたんだ」
 高樹が言った。
「まだ馬がどうなったかも分からないのに今度は神隠しか……」
 俺は溜息をいた。
「やっぱ俺達が行かなきゃなんないのか?」
 俺は高樹に訊ねた。
 出来れば化生退治などしたくないのだが。

「他に当てはあるか?」
「妖奇征討軍は?」
 あいつらは化生退治がしたくてわざわざ呼び寄せているくらいだ。
 というか、あいつらの儀式のせいで現れた可能性が高いのだから連中に任せられないだろうか。
「見えれば退治も出来るだろうが……」
「無理か……」

 連中は河童の死体にも気付かなかったくらいだから神隠しの化生も見えないだろう。
 俺は肩を落とした。

 祖母ちゃんは力が強い化生ほど姿を消す力も強くなると言っていた。
 あいつらが桜の木にいた人喰いを倒せたのは不忍池のぬしの手助けがあったからだという話だし、捕まるまで見えなかったというのでは公園の化生も、いざ喰われる、と言う段になるまで気付かないだろう。
 しかも今回は不忍池の主の助けは当てに出来ない。
 不忍池の主が助けてくれたのは上野公園という縄張り内だったからだ。

 今夜は化生退治になるのか……。

 俺達が帰り支度をしている時、山田がやってきた。

「今日こそ教えてもらうわよ」
 山田は俺の横を見下ろしながら言った。
 そこには東雲と繊月丸がいる。
 山田には黒い影に見えているのだろう。
 俺は秀と顔を見合わせた。

「じゃあ、いてきてくれ」
 俺達は山田を連れて教室を出た。
 そこで、待っていた雪桜と目があった。

 雪桜は山田を見ると、一瞬不愉快そうな表情が浮べた。
 だが、それはすぐに消えた。
 雪桜が山田に嫉妬していると言うことはあり得るだろうか。
 もしそうだとしたら、それは脈があると言うことだろうか。

 少し遅れてやってきた高樹は山田を見ると意外そうな顔をした。
 山田がいたせいか歩いている間、話は弾まなかった。
 中央公園には祖母ちゃんと海伯がいた。

「あ、こんにちは」
 山田が挨拶すると、
「ちっす」
 海伯が応えた。

 知り合いだったのか……。

 俺達は合流するといつものファーストフード店に入った。

「それで?」
 全員が席に着くと山田が苛立いらだったように訊ねた。
「え?」
 俺は一瞬なんのことか分からず聞き返した。

「だから、その黒いものは何?」
 山田が繊月丸を指す。
「化生だ」
 俺が答えた。

「〝けしょう〟って?」
「いわゆる妖怪だよ」
「嘘よ」
「じゃあ、なんだと思ってんだ?」
「幽霊とか」
「幽霊は信じられて妖怪は信じられないのか?」
「だって……」
東雲しののめや鬼が見えたのはお前にも化生の血が流れてるからだ」
 俺はそう言うと祖母ちゃんの方を向いた。

「祖母ちゃん、教えてやってくれ」
「祖母ちゃん?」
 十代の女の子をババア呼ばわりしたと思ったのだろう、山田が俺を睨み付けた。

「あんたは河童の子孫よ」
 祖母ちゃんが山田に答える。
「あたしは妖怪なんかじゃないわ!」
 山田が椅子を蹴って立ち上がった。
 周囲の視線が山田に集まる。
 山田は気不味そうに椅子に座り直した。

「妖怪とは言ってない。化生の血を引いてる人間だ」
「冗談じゃないわ! 人を化物呼ばわりしないでよ!」
 山田の言葉に高樹が不愉快そうな表情を浮かべた。
 秀や雪桜も眉をひそめる。

「信じたくなければ信じなくていい。用が済んだならさっさと消えてくれ」
 東雲や学校の鬼が黒い影にしか見えてない時点で高樹や俺どころか秀よりも更に血が薄いということだ。
 それだけ薄まっていても血を引いているというだけで化物呼ばわりだというなら、高樹や俺は言うまでもなく、生粋きっすいの化生である祖母ちゃんや海伯は完全な化物である。

 俺達や俺の家族や友人――繊月丸や頼母、海伯達――を化物呼ばわりするような人間なんかこっちからお断りだ。

 山田は憤然とした表情で店から出ていった。

 邪魔者が消えたので馬と神隠しの話に入ろうと思った時、海伯が浮かない顔をしているのに気付いた。

「あ、そういや、山田と友達なんだよな? けど海伯が化生だって事には気付いてないみたいだから……」
 俺が慌てて取りすように言おうとすると、
「オレが捜しに来たのはあの子なんだ」
 海伯が言いにくそうに打ち明けた。

「え……」
「言い忘れてて済まなかった。会えた事で舞い上がっていてな」
「でも、気付いてないなら……」
「そうなんだが……万が一バレた時は……」
「人間と化生は上手くいかぬものと相場が決まっているからな」
 隣の席の青年が言った。

「あんた誰?」
「大森のウナギがなんでこんなとこにいんの?」
 海伯と祖母ちゃんが同時に言った。

 うちにウナギなんかいたか?

 と思ってから、大森が地名だと気付いた。
 昔――と言っても戦後なのだが――、大森区と蒲田区が合併して大田区という名前になったと聞いているから、おそらく大田区を流れる川に住んでいるウナギなのだろう。

 ていうか、今でも大田区の川にウナギがいるのか?

「なに、ちょっと所用でな」
 ウナギはそう言うと店を出ていった。

「あの……ウナギって言うのは……」
 雪桜が困惑したように祖母ちゃんに訊ねた。
「だからウナギよ、魚の。人間と結婚してた事があるのよ。話が沢山残ってるのが狐や狸ってだけで他の生き物も人間に化けようと思えば化けられるから……あの様子じゃ振られたのね」
 祖母ちゃんが答えた。

「人間が好きなヤツは何度でも人間と付き合うんだよな~」
 海伯はそう言いながら祖母ちゃんを横目で見た。
「あんただって、あの子捜しに来たでしょうが」
 祖母ちゃんがむっとした様子で言い返した。

「そうだが……ウナギの言う通りだ。河童の子孫と言ってもやはり人間だ。会う事は出来たし東京とやらも十分堪能たんのうしたから海へ帰るよ」
「え!?」
「楽しかったよ。達者でな……ウェ~イ」
 海伯はそう言うと店を出ていった。

 俺達は黙って海伯を見送った。

「で、馬はまだ出てるのか?」
 俺は気を取り直すと祖母ちゃんに訊ねた。
 祖母ちゃんは化生の事については聞かない限り教えてくれないから知りたければ質問する必要がある。

「そう言えば夕辺は静かだったわね」
「即断は出来ないが一応当分は様子見で大丈夫そうって事か」
「なら神隠しだね」
「あの公園の事?」
 やっぱり祖母ちゃんは知ってたようだ。

 知ってるなら教えてくれよ……。

「どうする? また秀の家に泊まってることにするか? それとも夜中にこっそり抜け出すか?」
「明るい間は化生退治は無理だろ。人目がある」
 確かに撮影の振りをするにしても武器を振り回していたら通報されてしまう可能性がある。

「夜中に抜け出そう」
 高樹の言葉に秀と俺は同意した。
「私はまたけ者?」
「見えないんじゃしょうがないだろ」
 見えたとしても雪桜を危険な戦いに参加させる気はないが。
「そうだけど……私にも手伝えることがあればいいのに」
 雪桜が残念そうに答える。

 家で大人しくしていてもらうためにも何か雪桜の役目を考えた方がいいかもしれないな……。

 俺達は待ち合わせの場所と時間を決めた。

 公園は暗かった。
 人気ひとけはない。
 左右を見回していると背後からうなり声がした。
 振り返ると四つ足の化生がいた。

「繊月丸!」
 高樹の声に繊月丸が日本刀の姿になる。
 高樹は繊月丸を手に取った。
 俺がアーチェリーに破魔矢をつがえる。

 化生は四つ足だけあって素早かった。
 高樹は駈けてくる化生の正面に立って刀を振りかぶった。
 が、振り下ろす前に化生が高樹の腹に頭からぶつかっていった。
 高樹が跳ね飛ばされる。
 数メートル吹っ飛んでから地面に転がった。
 高樹の手から繊月丸が離れた。

「高樹!」

 俺は高樹にぶつかって一瞬動きの止まった化生めがけて矢を放った。
 化生が軽くける。

 高樹が頭を振りながら立ち上がった。
 手には繊月丸を持っている。

 高樹は再度、走ってくる化生の正面に立った。
 刀を振り下ろす。
 繊月丸のやいばが化生の右肩を切り付けた。
 化生はそのまま走り続け、高樹ごと前に押し進んだ。

 化生は足を止めると高樹に向かって前足を振り上げた。
 俺が矢を放つ。
 矢が化生の右の後ろ足をかすめる。
 化生の右の後ろ足の膝から下が消えた。
 足の一本を失った化生がよろめく。
 高樹が素早く化生に繊月丸を突き立てようとした。

 が、化生は翼を広げると飛び上がった。
 空を飛ばれてはこちらが不利になる。
 飛び道具は俺の弓だけなのだ。

 なんとかして地上に……。

 と思った時、
「逃がすか!」
 高樹の背から翼が生え、化生を追って飛び上がった。

「嘘っ!?」
 秀が叫んだ。
 俺はあまりのことに声が出なかった。

 服の上から翼が生える!

 ……いや、そこじゃない。

 あいつ、空を飛んでる!

 高樹は化生を追うことに集中していて、自分が空を飛んでることに気付いてないようだ。

「祖母ちゃん! あれ、どうなってるんだよ!?」
「どうって?」
「高樹のヤツ、空飛んでんだぞ!?」
「半分天狗だから」
「半分だけだろ!」
「半分も、よ」

 九オンス入りの水差し……。

 そんなやりとりをしている間にも、高樹と化生は空中で戦っていた。
 俺が矢をつがえる。
 だが、高樹は空中で化生と取っ組み合っていて矢を放てない。

「高樹! 離れろ!」
 俺の声に高樹が離れると同時に矢を放つ。
 矢は化生にかすりもせずに明後日の方向へ飛んでいく。
 化生はこちらを向くと、俺に向かって飛んできた。
 高樹が追いすがるが間に合わない。

 やられる!

 そう思った瞬間、黒い影が飛び出してきて化生の左腕に飛び付いた。
 黒い影に見えたのは巨大な猫だった。

 この模様は……。

「ミケ!」
 化生がミケを振り払う。
 ミケが後方にぶ。

『何やってんのよ!』
 ミケは俺にそう言うと、身体を低くして化生に飛び掛かった。
 ミケと化生が転がる。
 化生の頭がこちらを向いた。

「ミケ! どけ!」
 ミケが飛び退くと同時に矢を放つ。
 化生の頭に矢が突き立った。
 声もなく化生はちりとなって消える。
「終わった……」
 俺は溜息をいた。
 高樹は肩で息をしていた。

「うわ! なんだ!」
 声が聞こえた方を振り返ると妖奇征討軍の二人がこちら――正確にはミケ――を見ていた。
 ミケが元の大きさに戻る。

「化猫だ!」
 ミケは妖奇征討軍を一瞥いちべつしただけで歩き出す。
「待て!」
 妖奇征討軍がミケに向かっていく。
 ミケは走って逃げていった。

「どうやらミケは見えても高樹は見えなかったみたいだな」
 俺はほっとした。
 高城の事を『化生だから退治する』などと言って付け狙うようになったら迷惑この上ない。
「羽が出てる間は見えないんだね。スマホにも写ってないし」
 秀がそう言ってスマホに目を落とす。
「羽? あっ!」
 今になって自分の背中に生えてる翼に気付いた高樹が目をく。

「こっ、これ……!? どうしたらいいんだ!? こんなの生えてたら……」
 高樹が自分の翼を見て慌てて言った。
「自然に出たんだから自然に戻るでしょ」
「そんなの待ってられるか!」
「なら戻るように念じてみたら?」
 祖母ちゃんが言った。

 高樹は目を閉じると、
「戻れ、戻れ、戻れ……」
 と呟いた。
 翼は出てきたときと同様、唐突に消えた。

「戻ったぞ」
「ホントか!? ホントにもう出てないか?」
 高樹はしきりに背中を気にしながら念を押すように聞いてきた。
「もう大丈夫だよ」
 秀が安心させるように声を掛けた。

「飛べるなら大分有利だな」
 俺が言った。
 日本刀で近接戦をする高樹より弓で遠くから狙う俺が飛べた方がいいのだが世の中上手くいかないものだ。

「けど、いきなり出ても困るし、思い通りに消せないのも困るんだが」
「なら天狗に聞いてみたら?」
「十六夜や無月のいる山に行ったりしたら殺されるだろ」
「そんなところまで行かなくても根岸にいるじゃない」
 そう言えば祖母ちゃんは東京の天狗の事を『根岸の』と言っていた。

 俺達は、俺が放った破魔矢を探して暗い公園の中を歩き回った。

「向こうに飛んでいったヤツは無理じゃない?」
 秀が言った。
「そうだな……」
 俺はそう答えたものの一本千円もした矢である。
 そうぽんぽん買えるものではない。
「どっちにしろ大分邪気じゃきを払える力が弱まってたから後一回使えたかどうかだったわよ」
 祖母ちゃんの言葉に俺は肩を落とした。

 つまり少ない小遣いからまた千円か二千円出さないといけないのか……。

「僕も破魔矢のお金出すよ」
「俺も」
「高校生三人のお小遣いじゃそのうち間に合わなくなるわよ。白狐に聞いてみなさい」
 祖母ちゃんの言葉に少し安心した。
 金を払わずに化生退治が出来るようになるならその方がいい。
 何しろ退治したところで俺達は一円ももらえないのだ。

「じゃあ、明日、根岸に行きましょ。白狐には根岸に来るように言っておくわ」
 教えをうのに呼び付けるのもどうかと思うが仕方ない。
 根岸まで片道九キロを歩いていくわけにはいかないから電車賃が掛かる。
 途中で早稲田の辺りに寄り道するとなると乗り換えなどで更に余計な出費が掛かってしまう。
 破魔矢で小遣いの大半がなくなった俺としては最低限の出費で済ませたい。

四月二十五日 土曜日

 翌朝、目覚めると、またもや知らない中年男が部屋で寝ていた。
 この前とは別の男だ。

「ミケ!」
 俺が怒鳴ると中年男――ミケは猫の姿に戻った。

『うるさいわね。何よ』
「お前、また人を喰い殺してきたな!」
『食べてないわよ。殺しただけ』
「もうやらないって言っただろ!」
『言ってないわよ』
 ミケがうそぶく。

「この前の男は小早川を殺したからだったんじゃなかったのか!?」
『そうよ』
「じゃあ、今度はなんだ!」
『あやのママを殺そうとしたのよ。あやを殺させたのもあの男の差し金だった。あの男はあやのママのお兄さんよ』
 ミケが答えた。

「なんで小早川の伯父さんが小早川を殺すんだよ」
『何かが手に入るって言ってた。あやと、あやのママを殺して自分のものにしようとしたって』
「小早川の伯父さんがそう言ったのか?」
『そうよ。あやのママを殺せば手に入るって……』
「じゃあ、これで終わりだな」
『多分ね』
 ミケの言葉に俺はそれ以上は何も言わずに階下に降りた。

 俺に何が出来る?
 人を殺したからミケを殺すのか?

 そんなことは出来ない。
 小早川に大事にすると約束したからではない。
 人を殺したからといって、殺人犯を勝手に殺していいという理由にはならない。
 勝手に殺してはいけないのはミケに対しても同じだ。
 裁いていのは裁判官など裁く資格を持っている人だけだ。

 資格がない人間が裁く事を許したら世の中は無法地帯になってしまう。
 当然ミケも殺人犯を殺してはいけなかったわけだが、これは人間の決まりだからミケには通用しない。
 何日も帰りを待ち続けた挙げ句、二度と会えないと悟った時の絶望。
 それは誰にも理解出来ないだろう。

 祖母ちゃんが出ていったあの日――。

 俺は祖母ちゃんが出掛けようとしているのを見て、
「どこ行くの?」
 と声を掛けた。
 祖母ちゃんは振り返って微笑むと、
「大好きだよ、孝司。ずっと側にいるからね。いつも見守ってるよ」
 そう言って出て行ったまま二度と帰ってこなかった。

 俺も祖母ちゃんがいなくなったばかりの頃、ずっと帰りを待っていた。
 しかし、どれだけ待っても祖母ちゃんは帰ってこなかった。
 祖母ちゃんは死んだとは言われなかったから、いつか消息が分かるかもしれないという希望を持っていた。
 そして再会出来た。

 だがミケは違う。
 小早川は死んでしまったのだからいつか会えるかもしれない、などという期待は出来ない。

 小早川を失った悲しみのあまり化猫になってしまったミケには人間の決まりなど理解出来ないだろうし、したくもないだろう。
 ミケは、あの男が小早川の母親を殺そうとしていたと言っていた。
 つまりミケは小早川の家の様子を見に行っていたのだ。

 おそらく今までに何度も……。
 もしかしたら小早川がいるかもしれないという一縷いちるの望みにすがって……。

 けれど小早川はもう戻らない。
 いくら待っても帰ってはこないのだ。

 俺にミケを裁く資格はないが警察に突き出すことも出来ない。
 虎サイズに化けている時ならともかく、イエネコ姿のミケを連続殺人犯です、と言って警察に渡したところで「ふざけるな!」と叱られるのがオチだ。
 ミケもこれ以上は人を殺したりしないだろうし、私刑は良くないと言っても殺された二人は金のために小早川を殺したのだから文句を言う資格はないだろう。
 俺はこの件は忘れることにした。

 俺は家を出て秀達や祖母ちゃんと合流すると根岸に向かった。
 戦いにはならないだろうということで雪桜も一緒に来ていた。
 万が一戦いになっても祖母ちゃんや白狐が秀と雪桜を守ってくれるだろう。
 戦いに備えて、と言う訳ではないのだが繊月丸も一緒にいてきていた。

 駅に向かう途中、妖奇征討軍と出会でくわした。

「おい、あの化猫はどこだ」
「さぁな」
「隠す気か!」
「あいつをどうしようってんだ」
無論むろん、退治する」
「どうして」
「虎に殺されたって言ってる人はあの猫に殺されたんだ!」
「夕辺もまた一人殺された!」
「あの猫は人殺しだ!」

 なかなか鋭いな。
 まぁ、あの巨大化した姿を見れば一目瞭然か。

 妖奇征討軍なんて名乗ってはいるがバカではないらしい。

 ただの痛々しい連中か……。

「あの猫がやったって証拠はあるのか」
「それは……」
「証拠も無いのに殺させるわけにはいかないな」
「化物を退治するのに証拠なんか必要ない!」
「あいつはまたやる! これ以上被害者を増やすのか!」
 二人が頑なに言う。

「またやるって証拠は?」
「証拠なんかなくてもやるに決まってる」
「必ず退治してやるからな!」
 妖奇征討軍はそう言い捨てると行ってしまった。
 もうミケが人を襲う事はないはずだ。
 一度目は小早川を殺した実行犯だったからかたきったのだし、夕辺は結果的に小早川殺害の黒幕だったから仇討ちになったとは言え、殺した理由は小早川の母親を守るためだ。

 問題は猫の姿を見られてしまっていると言う事だな……。

 三毛猫やキジトラなど、どこにでもいそうな体毛ならともかくミケはシャム猫の血が入っているからかなり特徴的だ。
 誤魔化ごまかすのは難しい。

 ミケに警告しておいた方がいいかもしれないな……。

 あの絵が馬ではなく虎の絵だったら絵から出てきた虎が人をみ殺したということに出来たのに……。

 根岸の寺の近くまで来た時、見覚えのある女性が出てきた。
 あの妖奇征討軍の姉だという女性だ。
 女性は俺達とは反対の方へ歩いて行く。

「すまん、先に行っててくれ」
 俺は秀達にそう声を掛けると女性の跡を追った。

「あの、すみません」
 俺は女性に声を掛けた。
「はい?」
「俺、覚えてますか? 神社で会った」
「ああ」
 女性が頷く。

「よかったら連絡先、教えてもらえませんか?」
「どうして?」
「妖奇征討軍とトラブりそうなんです。あの二人にうちの猫が狙われてて……」
「そう。そういうことなら」
 女性は連絡先を教えてくれた。

「あいつらが何か仕出かしたら遠慮なく連絡して」
「有難うございます」
 俺は礼を言って頭を下げた。
 連絡先には小林麗花と書かれていた。

 根岸の寺には既に白狐が来ていた。
 高樹が天狗に翼の事を相談している間、俺は白狐に矢の事を話した。

「そういう事なら雨月が葉を矢に変えてやれ」
「え!? それでいのか!? 祖母ちゃん、なんで今まで……!」
「待て待て。早まるな。葉を矢に替えただけではダメだ」

 葉で作った矢を神泉しんせんで清める必要があるとの事だった。
 新宿を始めとした山手には湧き水が多い。
 神社にある湧き水の池にけると清められると言って池のある神社を教えてくれた。
 地図アプリに神社の場所を入力し終える頃、話が終わった高樹と天狗がやってきた。

「こーちゃん、さっきの女の人は誰だったの?」
 雪桜の問いに俺が答えた。

「小早川の次に小早川の母親って順番だったのは単に機会の問題か?」
 妖奇征討軍の話の後でミケ――というか小早川親子――の事を聞いた高城が首を傾げた。
「相続であろう」
 白狐が言った。

「え?」
「何かは分からぬが、その娘は父方から何かを相続する事になっていたのではないか?」
 白狐が言うには、父方の祖父母からの遺産は父親が亡くなっている場合、代襲相続と言ってその子供が相続する。
 そして父親、子供の順で亡くなった時、母親が生きていると相続権は母親に行くらしい。
 これが母親、子供(小早川あや)の順番だと相続が途切れたと言う事で小早川の父親の相続権が消える。
 しかし、小早川の父親、小早川(あや)、小早川の母親の順番で死んだ場合、小早川の母親の両親に相続権が移る。
 そして母の親(小早川の祖父母)が両方とも亡くなっている場合、その子供、つまり母親の兄弟にいくらしい。
 だから小早川の母親の兄弟が小早川あやの父方の遺産が欲しいなら小早川、小早川の母親の順で死なないといけないそうだ。

「狐なのに人間の法律知ってるんだな……」
 高樹がなんとも言えない表情で俺達の気持ちを代弁した。
「こやつは公事師くじしの家に住んでいた事があった故な」
「今は公事師ではなく弁護士というのだ」
 白狐が天狗の言葉を訂正した。

 どっちにしろ狐が人間の法律知ってるのか……。

 俺達(人間)の間に微妙な空気がただよう。

「そういえば、あの人なんでここに来たんだろうな。お参りか?」
 俺は気を取り直して言った。
びに来たのだ」
 天狗が俺の疑問に答えた。

「詫び?」
 俺が聞き返すと、
「ああ、昨日うちにも来たな。不忍池の主に大目玉食らったと言って辟易へきえきしてたぞ」
 白狐が言った。

「弟達の怪しげな儀式のせいで都内に化生が増えたんでな。元から住んでる我らからしたら迷惑な話だからな」
「しかも呼んだ当人達には見えないから増えただけで退治も出来ないのではな」
「不忍池の主の助力にも気付いてなくて礼も言ってなかったとかで相当おかんむりだったと聞いたぞ」
 白狐の言葉にその場にいた全員が麗花に同情したような表情を浮かべた。

 弟達の不始末のせいで東京中の化生達に謝罪行脚しゃざいあんぎゃか……。
 可哀想に……。
 ホントに不詳の弟達なんだな……。

 俺達は白狐と天狗に礼を言うと寺を後にした。

 その夜、俺は母さんと姉ちゃんが側にいないことを確認してからミケに話し掛けた。

「ミケ、妖奇征討軍がお前を狙ってる。しばらくは外に出るな」
『妖奇征討軍って何よ』
「化生を退治して回ってる奴らだ」
『ふん』
 ミケはバカにしたように鼻を鳴らすと、どこかへ行ってしまった。

 まぁ、窓は開いてないから外へは行ってないだろう。

四月二十六日 日曜日

 俺は祖母ちゃんと共に湧き水の池がある神社に来ていた。
 祖母ちゃんに葉を矢に変えてもらい、それを池の水にけていく。
 あまり数が多くても嵩張かさばるし重いので、とりあえず十本ほどにしておいた。

 この神社はうちからそれほど遠くないから足りなくなっても戦いの最中でない限り気軽に補充しに来られる。
 山手やまのては坂が多くて徒歩での移動が大変だし、都内は交通の便が良いと言っても目的地まで乗り換えなしの一本で行ける事は少ないから意外と徒歩での移動距離が長い。
 乗り換えで一駅分歩く事もあるくらいだ。
 しかしその山手という地形のお陰で湧水ゆうすいが多いのだから今回ばかりは有難かった。

 夕食が終わり部屋に戻ると、ミケが窓の側に行った。

『窓開けて』
「どこ行くんだ?」
『どこだっていいでしょ。開けてよ』
 何度見に行ったところで小早川は戻ってこない、とは言えなかった。
 自分で納得しない限り他人がいくら言っても無駄だ。

 俺も祖母ちゃんの帰りをずっと待ってた。
 希望が諦めに変わるまで。
 俺は窓を開けた。

「ちゃんと帰ってこいよ」
 俺の言葉にミケは何も答えないまま闇の中に消えていった。

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