わたしたちはどう生きるか
目の前で起こった
aoに対して
ちからずくで威圧的に従わそうとする接し方に
かなり動揺し心揺さぶられる出来事。
今までの教育や社会の中での
古いやり方や在り方
支配に対して従うことだったり
できる出来ないで評価すること
学校や社会の中で誰かに認められるよう
地位や肩書や目に見える何かを
身に着け外側の鎧で自分を表現する
その対象となりにくい
「障害」という存在は
なるべく社会に迷惑掛けないよう
人の指示に従えるよう教育しなくては
そういう価値観や考えが
学校の中でも療育の中でも
一部残っている
最近はもぅそんな世界に触れることが無かったから「うわぁ〜まだあるんだ…」
というのが率直な感想だった
まだaoが小学低学年の頃
筆談で出逢った高校生のお兄さんが
「大人の威圧的な関わり方に、抵抗するのを諦めて死んだ目(心を無くしてる)をしている仲間が沢山いる」
そう言っていたのを思い出し胸がギューっとなる
今は
古い価値観
変わろうとする途中の価値観
これからの世界を生きていく新しい価値観
様々な世界観が混じり合う中で
何を大切に
何を選択し
どう生きていくのか
ひとりひとりが問われているように思う
今回の出来事を目の当たりにして
最初はかなりザワついたけど、
やっぱり見ていくのは
大きく反応した自分の内側。
なんでこのタイミングで起こったのかも
なんの為に今目の前で起こったのかも
とても大切なメッセージのように思えた
自分の中にまだまだ残っていた
いらなくなった古い観念を見つけては
また手放していく
相手や起こった出来事を通して
ほんとうはどうしたいのか??
が見えてくる
もぅわたしの中でこんな世界は
終わらせていくということが
はっきりとわかったし
そう決めた
分離と調和
そして、
何か自分とは違う価値観に触れた時
自分の身を守りたくなるのか
自分を正当化したくなるのか…
その人の存在ごと否定したくなる
自分の中にはないと思っていた
見えてる一部分だけでジャッジし
廃除しようとする意識
「もぅ関わらないで欲しい」
「距離をあけて欲しい」
わたしの本心はこうだった。
aoが筆談で書いた言葉を見てハッとした
わたしの中にもあったこと…
今回の出来事もわたしが見えてる世界の中で
わたしが感じたこと
相手には相手の世界があり、
捉え方も背景も大事にしたいことも違う
見えてなかった裏側を思い返すと
とても熱心な想いがあることや
子どもたちに色んな遊びや体験をさせてくれていること
感謝出来ることもいっぱい出てきた
相手や出来事に対して
怒りや許せないがベースの被害者意識で
自分と切り離し違う世界を選択するのか
全体像をみて
良いも悪いもなくフラットに捉え
自分の中心から
自分の答えを持ち
どう意思表示していくのか
結果は同じように見えて
全く異なるエネルギー
そこから生み出される世界は
分離なのか調和なのか
今、この視点がとても大切なんじゃないかなぁと感じている
被害者意識で
相手や出来事を変えようとせず
ただありのまま見て認め
自分がどうしたいのか
自分はどう在りたいのか
どんな世界を生きていきたいのか
氣づいて
学んで
進んで
戻ったりしながら
自分の生きたい世界の扉を開き続けていく
調和の世界を生きるのか
分離の意識で生きるのか
ひとりひとりが
どう生きるのか
を問いながら。
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