4階から飛び降りた結果の話④


さて、

ゆっくりながらも
起き上がる、立てる、歩けるようになった私は
7階の整形外科病棟から
1階にある精神科の閉鎖病棟へ移ることになった。

10代の頃、摂食障害で閉鎖病棟に入院歴があったので閉鎖病棟そのものには抵抗感はなかった。

その時の大学病院と違う病院とは言え
そんなにたいした違いはないだろうと。

心配だったのは主治医となる先生がどんな人か、看護師さんはどんな人か。
それくらいのもので割と軽く考えていた。


今振り返ると、
摂食障害と今の腰椎骨折とでは
身体面にかなり違いがあることを忘れていた。


閉鎖病棟は紐状の類は持ち込み厳禁である。
ということは、だ。

電動ベッドがなかったのだ。

新しい病室に入ってまず思ったのは
どうやってベッドに横になろう、だった。
電動ベッドの力を借りてやっと
寝たり起きたりができるようになったばかりだった私に、ただのベッドは難易度が高すぎるものだった。

なんとか車椅子からベッドに移動をするも
横になることができない。
それとナースコールにも手が届かない。

看護師さんからは
「起き上がりたくなったら手動でベッド動かすから呼んでください」と言われたが
そもそもナースコールに手が届かないのである。

声をだして看護師さんを呼ぶこと、
さらに起き上がりたいためだけに
看護師さんに声をかけないといけないこと。

どちらもハードルが高過ぎた。

頭の中がグルグルして
どうしたらいいかわからなくなって

泣いた。すごく泣いた。
「無理、できない、できない」と泣いた。


付き添いで来ていた母も
私の状態とベッドが電動ではないことが
心配だったようで
精神科病棟で私の担当になる先生と
話し合いをしに行った。

その間も私は泣き続けていた。

閉鎖病棟が嫌だったわけではない。
できないことをやりなさい
と言われたのが苦しかった。

以前入院した時に看護師さんから
なんとも言えない言葉を吐かれて
看護師さんと話すのがトラウマになっていたのもある。


しばらくして母が帰ってきた。
主治医となる先生も一緒だった。

私の状態と母からの訴えもあり、
閉鎖病棟ではなく
開放病棟に入ることになった。
そこには電動ベッドがあるから。
ただやっぱり1人で過ごさせる訳にはいかない
と、
整形外科病棟の時と同じく、
例外だが母の泊まり込みが条件だった。


そんなこんなで
開放病棟へ移り、同時に精神科の主治医による診察と服薬治療が始まった。

痛み止めの服薬は、術後からずっと続いていたが、飲み薬だけじゃ太刀打ちできない痛みで毎日座薬を入れてもらっていた。
特に明け方の痛みが酷く、3時〜4時に痛みで目が覚めてはナースコールを押して、座薬を頼んでいた。


余談だが、
整形外科病棟から開放病棟に移った後
整形の主治医も来て

「なになに、揉めたって?笑」
と言われた。完全に面白がっていた。
そういう先生だ。でも憎めない。

整形の主治医も毎日病室に着てくれて
手術跡を消毒したりテープを張り替えたりしてくれていた。


今回はここまで。


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