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役に立つとか立たないとか

私は現在理学部に所属していて大学院への進学も決まっている。
そこでまずよく言われるのが「何をやっているの?」
そして次に言われるのが「なんの役に立つの?」である。
これはもちろん嫌味などではなく率直な質問として役に立つのか聞かれる。
そのことについて書いていく。

私は大学4年から数学を専攻していて大学院でも数学をしていく予定だ。
何をやっているかというと「フラクタル図形」というものを対象にしていて
有名なものでシェルピンスキーガスケットなどがある

拡大しても同じような図形が続く自己相似なものである。
一番上の意味不明な図形もマンデルブロ集合といってフラクタル図形である。
https://www.youtube.com/watch?v=PD2XgQOyCCk
これなんか見てもらえたらわかると思う。(ただの拡大動画)

問題なのはこれを何年も勉強し続けて「役に立つのか」である。
世間のイメージでは理系というのは何やら便利なものを生み出したり、新しい薬品の開発をしたり、人の命を救ったりとここまで大きな話でなくても
そういう類のものらしい。
だから役に立つのかという質問をされるのだと思う。

まぁはっきり言ってこれを勉強したからと言って
人類に大きな影響を与えるわけでも、生活が今後便利になるわけでもない。
自己満である。

そもそも「役に立つ」ってなんなんだ

たとえばある街のある店の店員をしていたとする。
社会の一員としており、そのお店やそこにくるお客さんにとっては
いわゆる役に立つ存在である。
しかしその街に縁もゆかりもない人、それどころかその店を使わない人にとっては
全く無関係の存在である。
自分自身パチンコ屋でバイトしていたこともあるが
パチンコをしない人にとっては全くもって無関係の存在である。

逆に私がこのまま数学を勉強しその後、教育関係の仕事についた時
たまたま大学以降の数学に興味ある生徒に出会い話をして
その生徒のモチベーションや知的好奇心を満足させれたとすれば
私のしていくことは役にたったとも言える。
それは5年後かもしれないし40年後かもしれない。

つまり思うのは
役に立つとか役に立たないとかってのは時と場所、環境、目的などに大きく大きく影響される。
ってことだ。

scienceってのは世のため人のためにあるように思えるが
決してそうではない。
むしろ知的好奇心の先に感じる面白さや美しさに魅了されて勉強していくものだとも思う。(そうでなくてもいいが)

役に立つとか役に立たないとかに重きを置いてscienceを考えることこそ
あまり意味のないことのように思える。

すぐ何かの役に立つかもしれないし、100年後に思いもよらないところで結果が出るかもしれない。
量子力学だってまさかコンピューターの進歩に使われるなんて当時考えただろうか。


理系は役に立つべきだと思われているし考える人も多いかもしれないが
あまりそこに重きを置いて考えず
好きだから、やりたいから、楽しいから程度のモチベーションで
自分のやることと向き合う形でもいいんじゃないかなと思う。

scienceに限らずやりたいことをして
結果、たまたま何かの役に立てば素晴らしいことだし
一見なんの役に立ってないと思えても、
自分自身の人生が豊かになったことは間違いないと思う。

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