常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

Common sense is the collection of prejudices acquired by age 18.
天才科学者アインシュタインが言った有名な言葉であるが
この言葉の意味は「サイエンスを学ぶものとしての心構え」として仰ったのか
「単に人生観」として仰ったのか詳しいことは知らない。
どちらにしても自分にとっては物事を考えたり勉強する上でかなり意識している言葉である。

先日、塾の冬期講習で働くことになって
髪の毛の色を変えるのが好きな自分は割と明るい色だったのを
暗くしなければいけなくなった。
とは言え短期的な仕事ではあるし終わったらすぐに明るい色にしようと思っていた。
ここで黒染めをすると次回染めるときブリーチなどをしなければいけなく
ブリーチも一度では済まない可能性もあったので黒染めではない手段で
髪の色を暗くしようとした。

その結果が若干青みがかった色であった。
もちろんその色ではダメだと注意が入り結果的には長くお世話になっている先生にも迷惑をかける形になった。
まぁ学校ではなく塾だしという浅はかな考えが良くなかったのかもしれない。

しかし、黒髪だが寝癖のまま出社する人間と
髪は染めているが清潔感を保った人間では
私は断然後者の方がいいと思っている。


「いや、もちろん地毛で清潔感を保った方がいいんやろうけど」
って思ったが「え?」となった

自身の見た目を意識し良い方向にしようとした結果ならば
むしろいいことなのではないかと。
服に気を使うのであれば髪の毛にまで気を使ってもいいんじゃないかと。

そもそもなんで髪の毛を染めることがマイナスなイメージかと考えたら
やはり中学高校時代で植え付けられた偏見だったのかと思い始めた。

中学高校の時、髪を染めるのはいけないこととされていた。
そして髪を染めるのはやんちゃな人たちが多かったのであった。
日本では
髪を染める=学校でやんちゃな子たち
というイメージが強いんじゃないかと思う。
そのため、社会に出ても髪を染めるのはマイナスなイメージにつながるのかなと。

けれど大学生以降になったら髪を染めることが多くなるし
むしろ芸能人やデザイン・ファッション系の人たちはむしろ地毛であることのが少なく感じる。
将来、上記のような就職に就きたいのであれば中学高校から美などに敏感になりセンスを磨いていくのはいいことだと思うし
たとえそういう職業につく気がなくても自分の見た目に気を使うことは決して悪いことではないように思える。

少し前ヨーロッパのある国の校則についてネットでも話題になっていた。
現地の学生に「日本では髪を染めてはいけない校則がある」と言うことに対して
半分笑いながら「意味がわからない」と言うようなものっだった気がする。

ある程度自由自由を言われてきた時代なのだから
髪を染めることにマイナスなイメージを得るような日本の偏見は
少しずつなくなって欲しいなと思うが
そのためにはまず高校までの学校教育での校則が緩まないといけないと思うし
長い間、一種の常識のように考えられていたものは簡単に覆らないなぁ
とも思う。

そのルールや常識が最適かどうかよりも
自分が生きやすくなるようにある程度のルールには
したがっていくんだけど

それは本当に常識なのか偏見なのか考えることは続けていきたい



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