読まない作家。読む作家。

自分でとくに決めているわけではないのだけど、
純文学、というくくりにいる作家さんの本を読むことが多い気がする。
そもそも、純文学って何だろう、と考えても、
そのくくり分けは難しく、よく分かってもいないのだけど。

最近、怪我をしてリハビリに通っている。
理学療法士さんと本について話をしていると、
その人は東野圭吾さんが好きだと言った。
すごく有名なのは知っているけど、
読んだことのない作家さん。
そもそもミステリーを小説で読んだことがなく、
何となく、食わず嫌いをしてきたのかもしれない。
ただ、その方も別にミステリーが好きなわけではないのだという。
読み終わった後に、ワァ!という気持ちになることが多いのだと。

リハビリの帰りに、1冊購入しようと本屋によった。
「手紙」というタイトルのものを勧められたけど、
その本屋には置いていなくて、
目についた「歪笑小説」の数ページをその場で読んでみた。
とても読みやすい文章で、出版社をテーマにした物語。
これなら読めそうな気がして買って帰った。

「歪笑小説」を読んでみた感想

とても面白かった。
短編なので読みやすく、
読み進めるうちに、それぞれの短編の登場人物がリンクしていく。
繋がる瞬間が、きっと私は好きなんだろう、
という気づきがあった。
日常でも、小説でも、人と繋がる瞬間はやっぱり面白い。

純文学との違いも何となく感じた。
東野圭吾さんの作品は、その中でとても完結している。
読み終わったあとに、楽しかったー、という感想が残る。
私が読んできた純文学は、
小説から離れた日常に疑問が残る。
そこから本を受けた自分の日常がはじまる。

そういえば、昔、東野圭吾が好きだと言っていた友人は、
結論を求める生き方をしていたな、と思い出した。

どちらがよい、とか、
今のところないけれど、
よい本を読めたと、今度お礼を言ってみようと思う。

#純文学 #東野圭吾 #歪笑小説