素直に学ぶ

私は身近に畑も田んぼもない環境で育ったので
丹波に引っ越して、家から一歩出れば
目の前に山があり、畑があり、
野菜が育つ様子をリアルタイムで観察できたり
道の端にゴザを広げて何か乾かしているのを見たり
目に映るものが色々と新鮮で、
あれは何?これは何してるの?と
人に聞いては感心してました。

そんな中で
「こんなことも知らんのか?」
と鼻で笑われたこともあり。
あ、今のはバカにされたな と感じたら
やはりちょっと嫌な氣持ちになって
知らない自分が恥ずかしい人に思えてきたりして。
見たことないもん、そら知らんし!
あなたが知らんくてわたしが知ってても 
わたしはあなたを鼻で笑いませんけどね!!と
逆ギレみたいな感情が湧いたりしました。

質問された人は、その時たまたま虫の居所が悪くて
ちょっと嫌味を言ってやろうと思ったのかもしれないし、
本当に常識知らずだ!と呆れていたかもしれないし、
ご本人としては場を和ますジョークのつもりだったかもしれないし。
そんなふうに相手にフォーカスしても
氣持ちの落とし所は見つからないもんです。

自分の感情に注目してみると、
人様と[常識]を共有できる人間でいたいから
知らないことを恥いる氣持ちになったんだな、
でも自分が生きてきた軌跡を恥じることはしたくなくて
逆ギレみたいに怒ってたんだな、とわかりました。
シンプルに、鼻で笑われて嬉しい人はたぶんいません。
こんなことも知らないの?という言葉を
すぐさま好意的に解釈できる人もたぶんいないでしょう。
嫌な氣分になった自分の反応は正常だと思います。
相手を好きになる必要もないですが
嫌ったり恨みに思うことでこちらが負を抱えるのもつまらないです。

どう捉えたら嫌な氣分を引きずらないかな?と考えてみて、 
やはり素直に学ぶ氣持ちを持つことが最善だなと思いました。
目にする機会、体験する機会がなかったことは
知らなくてもおかしくない。
何歳であろうと、出会ったその時が学びの時で
早い遅いを恥じて卑屈になる必要はない。
例えまた同じように嫌味をいわれても 
「そうなんです、わたしは今知りました。
 勉強になりました、ありがとうございます!」
でいいんだなと。そう腑に落ちました。

知らなくて恥ずかしい、と感じることは
できれば知っていたかったこと。 
知っている方が良いと思えること。
たとえ鼻で笑われることがなくても
自分の中で引け目に思えば恥いる氣持ちになるし
知らなかったことへの言い訳を考えるのも不毛です。
素直に、知らなかった自分を認めて
おかげさまで勉強になりました、と感謝できれば
悪い感情は残らないな、と思いました。
素直な心さえ持っていれば、色々なんとかなるような。
楽観的すぎるかもですが、悲観的すぎるよりは良しとして(笑)
そんな感じで生きています。
先日も、舞のお稽古の中で
美しい日本の自然な所作が身に付いていない自分を
めちゃくちゃ恥じました。
でもイジケてはいなくて、省みて学ぼうと思えます。
礼儀作法や所作の大元はやはり心である。
そういうことを教えてくださるお師匠さんから
舞を学べていることは本当にありがたいし
知らないことに焦って
茶道を始めたい!日舞を始めたい!ではなく 
舞のお稽古の中で、味わって感じて表現していくことが
わたしの学びの大切なひとつなんだと思います。



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