見出し画像

幕が上がらない(中澤雄介)

常日頃、高校演劇の話ばかりしています。その中でも普段あまり詳しく話せていない高校演劇の怪作、『幕が上がらない』のお話をできればと思います。

※当時はまだ、高校演劇にハマる前だったので実際の舞台は見ていないことだけ、ご了承ください。

高校演劇が世間で注目されることはたびたびありまして、最近だと関西テレビ『セブンルール』という番組で高校演劇の往年の名作とされる『トシドンの放課後』を脚本した鹿児島県立屋久島高校演劇部顧問の上田美和先生が取り上げられたことで話題になりました。

また去年、高校演劇脚本が原作の『アルプススタンドのはしの方』がロングヒットしたことも高校演劇ファンの中では記憶に新しいです。

そんな中でも近年、一番話題を集めたのが全国高等学校演劇大会の審査員も務め、青年団主宰の平田オリザが2012年に執筆した高校演劇小説『幕が上がる』という作品でした。累計10万部のヒット作です。

https://www.amazon.co.jp/dp/4062930013/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_umcaGbNKEWQKZ 

この小説はももクロ主演で2015年に映画化。『踊る大捜査線』シリーズでも知られる本広克行が監督し、こちらもヒットを記録。2016年第39回日本アカデミー賞の話題賞を受賞しています。

さて、前説が長くなりましたが、(すで参考動画と書籍を4点出して、すみません)高校演劇が注目されるきっかけを作った『幕が上がる』に対してパンクに立ち向かった作品が、映画の公開翌年、2016年に第62回全国高等学校演劇大会(広島大会)で上演されました。 

それが静岡県立伊東高校『幕が上がらない』(作:静岡県立伊東高等学校演劇部・加藤剛史)です。今回は『季刊「高校演劇」』No.236(2016.広島大会特集号)に掲載された脚本を基に解説してきたいと思います。

この作品はまず商業演劇でも当たり前に鳴らされる、開演ベル(2ベル・本ベル)が「鳴りません」。この時点で、観客は「?」となります。

そして緞帳も「上がりません」。もちろん「緞帳が上がらない」のだから、音響もなければ、照明は客電そのままです。

そして、女生徒が出てきて、緞帳の下がった舞台の上に座り、脈絡のない自虐や学校批判のセリフを述べながら、ぬるっと始まっていくのです。

学校指定バックが無駄に大きくて、さらに無駄に大きい蛍光テープが貼ってあって、ファックなこと。文化祭の締めが、何故か今でもフォークダンスで、さらにオクラホマミキサーなこと。「ファッキン・ダンシン・ミステリアス・ステップ!!」と彼女は叫びます。

出だしから『幕が上がる』が描いた高校演劇の青春サクセスストーリーを、緞帳が上がらないこと、伊東高校がどれだけダサいかということを語って、遠回しに否定していきます。

『幕が上がる』のキャッチコピー「私たちは舞台の上ではどこまでも行ける」に対して、本作は「舞台の上ではどこにも行けない!!」と中指を立てているのです。そしてリアルな高校生活なんてファックだ!と青春をぶん殴っているのです。

その後、様々の生徒が緞帳前の舞台や客席に縦横無尽に立ち、それぞれ脈絡のないセリフ(自虐)を話していきます。そのセリフは一定のリズムを持っていたり、いなかったり。それぞれの内容が交わっていたり、いなかったり。早口でまくしたてるようなセリフは聞き取れないものもあるでしょう。

そんな中、一人の生徒がこんなセリフを話します。

「……鈴木いづみってひとがいるんです。鈴木いづみ。何か、最後ストッキングで首つって死ぬ人なんですけど。二段ベッドにストッキングでつって。伊東高校の偉大な? 先輩が……」

ハッとするのです。この「鈴木いづみ」こそ、寺山修司作『書を捨てよ町へ出よう』映画版の女医役。主人公に乳房を押し付けた、あの女医です。

狂った生き方をした、この女性こそが今の私たちなのだと。彼ら彼女ら高校生もまたこんな田舎で狂っていくということを表しているのではないでしょうか。

寺山修司の目指した、反演劇的な文脈を。伊東高校は反高校演劇として、再構築した舞台なのだとやっと気付きました。

そして、最後。生徒たちはいなくなり、やっと緞帳が上がります。ただそこには何もない、空虚な舞台が残されているのです。「舞台の上ではどこにもいけない」ということだけが、ありありと顕在化してしまったのです。

ここで寺山修司の映画『書を捨てよ町へ出よう』の冒頭のセリフが思い起こされます。

「何してんだよ、映画館の暗闇の中で、そうやって腰掛けて待っていたって、何も始まらないよ。スクリーンの中はいつでも空っぽなんだ。」

寺山修司もまた、空虚な舞台(ステージ)を声高に指摘していました。えんぶの伊東高校のインタビューで生徒とコーチが話していました。

「私たちの場合、どこでも使えるから演技する場所は状況に応じて臨機応変に変えるんです」

「客席の前、中通路、後ろの3か所が空いていればだいじょうぶだよね?」

「その空間があればなんとかなります」

舞台を捨てよ、町へ出よう

まさに半高校演劇を掲げた高校演劇史に残る名作なのです。

さて、この作品は全国大会で優秀賞を獲得します。最優秀校と優秀校4校は東京・国立劇場で行われる優秀校公演の参加できます。

2016年、この演劇は静岡から広島へ、そして東京にやってきていたのです。かつて寺山修司が目指した見世物小屋のように、東京に巡業してきていたのです。

この戯曲が気になったら、下記の参考文献の季刊「高校演劇」を読んでいただければと思います。

ちなみに一般販売はほとんどなく、借りる場合も同人誌のため国会図書館には所蔵がなく、都内だと早稲田大学坪内博士記念演劇博物館図書室のみです。

高校演劇に興味をもってもらえたら、下記の本もおすすめです。今年のコロナ禍の高校演劇が描かれています。(中澤雄介)
https://www.amazon.co.jp/dp/477782523X/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_.ueaGbJ2ZPJMG 

参考文献
同人誌『季刊「高校演劇」』No.236(2016.広島大会特集号) 高校演劇劇作研究会
『えんぶ』No.01(2016年10月号)えんぶ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?