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本が生まれて死んでゆくまで

親愛なるアルフレドへ


今日は昨日話したお友達の赤ちゃんにお祝いを買いに行ったの。初めて買ったのだけれど、とても可愛いお洋服がいっぱいで、3時間も悩んでしまったの!(笑)

店員さんもきっと迷惑だったでしょうに、私がやっとプレゼントを決めたことだから最後には拍手されてしまったわ・・・(笑)


それから大型の本屋に行ったの。ここ、とても田舎だから大きいと言っても都内にあるジュンク堂のような本屋ではなくて、それでもここらでは一番大きくて、立地がそんなによくないのにずっと続いてくれている本屋なのよ。

私、本を見るとき、欲しいものを見た後は、とても気ままに彷徨っていくの。そしたらなんだか世界史の教科書を見ていたの。

そこにいた時、「この本は売れるんだよ!」と言いながら、店員さんが自信満々にその本を置いていたの。高校入試関係の雑誌?みたいだった。今はこんな本が人気なのかな。とか、そんなこと思いながら、そろそろ次に向かおうとその店を後にしたの。


その本屋さんに行った後、必ず行く古本屋があってね、今日も例外なく行ったの。そしたら、ゴミ収集車がきていたの。

ゴミの回収車だから当たり前なのだけれども、本を回収していったわ。でも、初めて本の回収を見たから、なんだかすごく衝撃的だったの。

生ゴミが回収される時は、なんとなくスッキリするのに、本がザクザクと収集車に潰されているのを見たときは、なんとなく心が痛かった。でも、私も過去にはそうやってゴミとして出している本もあったわけだし、これに心を痛める理由はないのだけれど、直接好きなものが潰されるのって無責任にも辛かったわ。


それでね、帰り道に考えていたのだけれど、そういうことって、いろいろあると思ったの。

例えば、牛や豚や鳥たちの屠殺とか。

私たちが見る時には、すでに食品として流通しているもので、本来通らなければならない残酷で有難い屠殺は私たちの消費の過程では省略されているんだなって。

だからか、お残しとか、大食いとか、番組になったりするのだけれど、すごく後ろめたい気持ちになってしまう。すごく卑しい気がしてしまうの。

もちろん生きるために食べるのだから、食べることは素敵なことなのだけれど、もっとありがとうを大事にするべきかなって。


友達が農場で働いているのだけれど、子豚は可愛いし、殺すときはすごくかわいそうって。なんとなく、こんな当たり前のことから離れている気がするの。

私のお母さんが話してくれたことなんだけれど、私のおばあちゃんがお庭で飼っていたアヒルの首を切り落として、羽をむしって、その日の鍋にしたらしいの。私のお母さんはそれは悲しくて食べられなかったって言ってたの。

食べるために殺したのだから本末転倒な気もするけれど、それぐらい生き物を頂くってことは悲しいけれど有難いなって。


あの古本たちはもう役目を果たしただけかもしれないわね。

でも、あの光景のおかげで、なんとなくお部屋にある全ての本を愛しめる気がしたの。

ご飯も本もいただきますから噛みしめないとね。


アルフレドが先生になれていたら、どんな素敵な授業をしてくれたかしら?


おやすみなさい。


                                つきみ

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