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夕焼けと僕の親和性。

人間は、声から始まって匂いを最後に忘れるらしい。少し詳しい話をすると、匂いを嗅いだ瞬間にそれに紐づいている当時の感情が思い起こされるらしい。

僕は空だ好きだ。と言っても100万ドルの夜景とかには全く興味が無くて、僕が好きだと感じる空は、冬の夕焼けただ一つと言っても過言ではないと言えるほど、冬の夕焼けが好きだった。
その中でも僕史上最も綺麗だったと思えるのは、中学生の時帰り道に見えるあの夕焼けだった。赤とも紫とも青とも朱色ともとれない様な繊細なグラデーションを始めてみた時、思わずその場に立ち止まって10分以上立ち尽くしていたのを覚えている。
その当時の僕は本当に外界の事に興味を持てなくて、欲しいものも、好きな食べ物も、好きな教科も、苦手なスポーツも、明日何をしたいのかも、何もかも持っていなかった。どこかで少し話したことがあるかもしれないけど、僕が今まで生きてきた中で、中学時代が一番生きている実感が無かった。周囲と自分を完全に断とうとして、でも断つことが出来ずに苦しんでいた時期だったから、余計にあの夕焼けが綺麗に映ったのかもしれない。「綺麗」という感情で涙が出たのはあれが最初で最後だったし、まだ感動する余裕があった自分に心底驚いた記憶がある。

その夕焼けは、毎日色も形も変わっていった。僕の中学校はスマホ禁止だったから、毎日急いでスマホを取りに帰ってはまたその場所に走っていたけど、僕が着く頃には最高の瞬間から色が変わっている。当たり前といえば当たり前の事で、でもやっぱり悲しくて、何故か嬉しくもあった。

この綺麗な夕焼けは、その瞬間そこに存在する僕にしか見る事が出来なくて、もしも画像として残すことが出来たとしても、それは本物のあの景色じゃないってことだ。
絶対に二度と見る事ができない、毎日変わっていく夕焼けを見ているうちに、僕はスマホを家に取りに帰る事をやめていた。
誰にも干渉されることのない、僕だけの景色だった。

タイトルに戻るけど、人間は、声から始まって匂いを最後に忘れるらしい。夕焼けには声も匂いもないけれど、僕はその夕焼けを何故かはっきりと覚えている。VTuberの透羽という存在は、声があるけれど匂いがない。匂いの無い僕は、声を忘れられた時に何が残るんだろう。以前からずっと気になっていたことではあったけど、深掘りするのが怖くて放っておいた主題だから、ここでみんなに共有しておく。
結論から言うと、夕焼けにも僕にも存在する後ろ髪は、一瞬の衝撃だと考える。前述したように、僕は夕焼けにとんでもない衝撃を受けて、そしてそれを植え付けられた。僕がこの世界から消えたのちにみんなが僕の事を思い出す時があるとしたら、それは一瞬一瞬の衝撃的なシーンだと思う。配信中の何でもない話や声なんかはとうの昔に忘れ去られて、みんなが僕と関わって衝撃を受けた瞬間を思い出すだろう、と思う。

長々と書いたけど、何が言いたいかと言うと、僕はみんなの中に残る様な衝撃になりたいということだ。つまり夕焼け。

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