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見返りを求めない友人。

 昔、友人とお泊りに行った時、見返りを求めない優しさに感動したことがある。
 その日はとても寒くて、お部屋の暖房はついていたものの、浴室は冷え切っていた。寒いのでお風呂に入りたくないという話を僕が友人にしたら、その子は「じゃあ、自分が先に入って浴室暖めてくるね。」と言った。その子が先に入る優しさを僕に見せたところで、その瞬間の寒さや辛さが緩和されるわけじゃないのに、ただ僕が寒いのを嫌がっているからという理由でそんな提案ができることに驚いて、尊敬した。見返りを求めない優しさって、本当はこういうものなのかもしれないと思った。僕は友人にありがとうと言うことしかできないし、僕に出来ることと言えば、別の日に先にお風呂に入ってあげることしか思いつかなくて、あの状況で咄嗟に他人を思いやる行動ができた友人には到底及ばないと思った。僕は損得で物事を考えるので、同じ状況になっても「僕も寒いの嫌だしな…。」と思ってしまうけど、友人は、自分の利益なんてどうでもよかったのか。
 「寒いの嫌だね。」と共感するだけなら僕もできたかもしれないけど、それを行動に移せるかっこよさは僕にはなかった。共感できることは、別に優しい事の証明にはならないんだと思った。自分の利益を無視して他人のために行動できる友人はとてもかっこいいと思ったし、僕の憧れでもあるけど、かっこいいと本人に伝えてしまうと増々自分を無碍にしてしまうような気がしたので、感謝だけ伝えて他の場面で優しさを返すことにした。
 僕の打算的な優しさは、友人の前に置くには汚れすぎてたな。


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