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ただのモヤモヤの塊

これはもう自分の中のどうにもならなさをただ吐き出しておくためだけの日記なので読まなくても大丈夫です。読みたい人は読んでくれてもありがたいけどモヤモヤしたことばかり書いてしまうと思うので自己責任で。強く憤ったきっかけは最後に書いたけど、なんかもう泣きでもしないとやってらんないよね。有料にするかもしれません。

いよいよ三度目の緊急事態宣言が出た。去年の今頃のような緊迫感はもうない。うんざりする気持ちはわかるけど、決められたルールを守らずに権利だけを主張して文句を言う人がちょっと多すぎではないかと思う。国に対する不満を持っていたからといって、そしてそれが今の国民の多数派だからといって、ルールを遵守することを放棄する理由にはならないのでは。わたしの仕事はこのコロナ禍で大きすぎる打撃を受けている業界の一つだけど、業界の一員として言わせていただければ、みんながちゃんと言われた通り一定期間自粛して、不特定多数・多世帯の人間と飲み歩かず、ステイホームを徹底してくれればそれだけ早く日常を取り戻せるんですよ。今が耐えどきと考えて試行錯誤を繰り返している身からすれば、闇雲にこの時間が長引くのは地獄でしかないし、耐えられていたものにいずれ耐えられなくなる。限界を超える日は近いんですよね。それは飲食も観光も同じで、よりシビアでギリギリのところにいるんじゃないんでしょうか。特に個人経営の飲食店の切迫感は正直わたしの理解の及ばないレベルだと思うけれどもね。

徹底的に補償を充実させようとしない、お金を出さない国に対して文句を言いたくなるのはもちろん当たり前だと思う。それは誰もが思ってることだけど、でもだからといって穴だらけの宣言内容の揚げ足を取るような外出をして、「もうみんな言うこと聞いてらんないよね。気にせず外出しよう」ってなるのおかしくない?自分で自分の首絞めてるんじゃないの?わからん。全然わからん。浅草の寄席は腹を括った。そうするしかない人たちがいる。その気持ちは痛いほどわかる。でもそれに感化されて、必要ないことまでなんでもかんでもとにかく反発する方が正、よくやった!みたいな風潮も感じて、わたしはそれが少し気になり始めている。そうするしかない人たちは、そうするしかないからそうするんだよ。
でも、それでも、人々をこの潮流に辿り着かせてしまったのは紛れもなく1年かけて信用を失ってきた国の責任なんだよな。もうどうにもならないよな。ため息しか出ない。

1年かけて本質はわかってきているじゃない。同一世帯内の家族と外食は(もちろん家庭内感染は増えているけど)きちんと対策をしていれば問題ないでしょ。一人で黙ってご飯を食べるのもありでしょ。誰かと二人でも、向かい合わず、食べ物を口に入れる時以外は絶対にマスクをして、小声で会話をしていればリスクは低いよね。経済の回し方にも色々あって、わざわざ何人もの友達と出かけて飲み歩く必要性は今どこにもないのでは。外がダメなら家や路上でみんなで飲めばいいの?本当に?そのカラオケ、今いかなきゃダメなの?本当に?

もちろん意味分からないことを並べている論点のズレた緊急事態宣言に対する苛立ちはわたしにもありますよ。ストレスも限界だし、解除されていた時には気持ちが緩んだ時期もありました。でも、これまではぐずぐずした政策に文句言ってたくせにいざ厳しめの宣言が出されたら全然従わないの、まじで意味がわからない。謎すぎる。GW、都内は休業しててどこにも行けないから隣の県に行く。???。初回の宣言同様、「ただ家にいろ」と言われているのがわからんのか?

なんでこんなに憤っているのか、大切な人をこのコロナ禍で亡くした人にはわかるかと思いますが、病院は患者のコロナ感染の如何に関わらず、どんな病気で入院していても面会が原則禁止です。ウイルスを持ち込まないために。
会えないよ。本当に会えないよ。身をもって経験しないとわからないかなぁ。もっと会いに行ってあげたかった、顔を見せてあげられなくてごめん、一人にしてごめんといくら後悔しても、謝っても、消えないですよ。こんな気持ちで帰りの車に乗って泣きながら繁華街を通過し、緊急事態宣言初日、明らかに仕事ではない人たちの多さに愕然としたわたしの気持ちが誰に分かろうかね。なんかもう、やってらんないわ。文句言うならルールを守ってからにしてくれ。

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