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エンタメとオリエンタリズム

※これは解説ではなく雑記です。私の感性に基づいて書いています。
この問題に関して考えたいときはご自身で情報を探したり考えたりしてみてください※




とあるゲームが炎上している。

炎上に乗っかるような記事を書きたいわけではないので直接的にタイトルは挙げませんが、日本が舞台の、海外製のゲームです。

炎上内容をかなり雑にざっくりまとめると

  • 文化の軽視(文化的盗用であるetc)

  • 歴史の改変(と喧伝)

  • 素材の剽窃

この3点です。


◆炎が燃え上がった流れ

  1. 日本(戦国時代)が舞台の主人公が外国人だった

  2. インタビューで「日本人ではない私たちの目になれる人物を探していました(ので日本人以外を主人公にした)」と答えていたが、その文言のみが告知のないまま削除されていたことが発覚する

  3. そこから段々と非難の声が上がり始め、間違った日本の描写に対する指摘だったり、素材の剽窃が多数見つかったり、考証自体が間違っているのではないかという意見も出てきて、騒動がどんどん燃え広がっていった

  4. 上記がポリティカルコレクトネス(以下ポリコレ)を重視していると表明している会社で行われたことが更に火に油を注いだ


剽窃がいけないのは当たり前だとして、歴史は専門家に任せます。私が最初に気になったのは
「なぜ”私たちの目になれる人物“が必要とされたか」
です。

インタビューから消された
「日本人ではない私たちの目になれる人物を探していました」
という言葉をそのまま受け取るなら、日本人は彼らの“目”にはなれないということですよね。



◆トンデモ日本

元々海外作品で描かれる日本に正確性を求める人は少ないと思います。
いわゆる“トンデモ日本”に慣れてしまうくらい、めちゃくちゃな日本描写が繰り返されているからです。海外の人が日本に興味を持ってくれたり作品に出してくれるのは嬉しいと思うのが大半で、正確に描けと怒っている人はそこまで見たことがありません。

今回の炎上に関しても炎上する前からそういったことへの指摘はありましたがどちらかというと肯定的な反応で、描写の荒さに怒っている人はそこまで見ませんでした。



トンデモ日本の種類は大きく以下に分けられると思います。

  • アジアの要素をひとまとめにして描く

  • SF/サイバーパンクチック(ごちゃごちゃしたネオンサインやロボット)

  • 理由なくたどたどしい日本語

  • アニメ・萌え・HENTAI

主に映像作品やゲームで見られるのは上2つです。
3つ目は主に映像作品。ゲームで行われている時はどちらかというと意図的なものが多いような気がします。
最後はどちらかというと背景イメージというよりマインド的なものかもしれません。アニメやアダルトコンテンツでこう描かれていたから日本は実際にこうなんだろう、みたいな思い込みです。

彼らにとっての「非日常感」を落とし込むための要素が詰め込まれているように感じます。

これ、かなり大きなタイトルでも当たり前に行われますよね。
『アベンジャーズ/エンドゲーム』に突然出てきた日本の街並みに違和感だらけだったりとか、後のドラマシリーズ『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』に日本人として出てきた人がものすごくシリアスなシーンでたどたどしい日本語を喋り出した上に謎の仏壇が登場したりとか、
「マーベルでもこうなんだ」
と驚いた記憶があります(日本人が全員日本語が堪能という訳ではありませんが、咄嗟に出てくる言語として日本語が設定されているのに英語に比べ圧倒的に日本語のほうがたどたどしいというのはかなり違和感があります)。よく他のアジア人が日本人を演じること自体を問題視する声が挙がりますが、視覚的・聴覚的にはこちらのほうが一目瞭然なので個人的には結構気になりました。
そのあたりから
「これだけ人数がいるのに、そういえばMCUに出てくるアジア人って脇役ばかりだな」
ということに気づきはじめ、なんとなく意識しながらエンタメを消費するようになりました。
(その後『シャン・チー』が公開されました)

※ちなみに私自身トンデモ日本自体はすごく好きです。
意図して作られたトンデモ日本なのか、それとも日本を真面目に表現しようとした結果そうなったかの違いは結構大きいかもしれません。

サイバーパンク2077より。

↑元々バグ(左上の人物が融合している)が面白くて撮ったスクショです。
このゲームはトンデモ日本の倉庫です。萌えとサイバーパンクの融合、アスクラックスという日本発アイドルグループの広告。日本企業が世界を支配しているような状況なので日本要素がかなり登場します。

ちなみに英語音声でプレイしても日本人同士の会話は日本語のままなのですが、サブロウは日本語版と同じ声なのに他の日本人キャラは声が違うので先に日本語吹き替えで遊んでいると違和感がすごい。特にタケムラ。
彼らが話すのは日本語訛りの英語です。サイバーパンクは訛りの再現がいっぱいあって、聞いてるだけで楽しい。こういう細かい演出をちゃんとしてくれてるのっていいですよね。

日本人ギャング集団の落書き
ジャパンタウンの様子などもっといい画像があったらよかったのですが、容量のためにアンインストしてて新たにスクショを用意できず……すみません。

↑この動画、サイバーパンクのジャパンタウンを紹介してくれててわかりやすいです(動画後半の方が紹介としてはわかりやすいかも)。桜や仏像、サイバーパンク、HENTAIとトンデモ日本の詰め合わせですね。



◆「オリエンタル」という言葉

現在「オリエンタル」という言葉は差別的だという理由で海外ではほとんど使用されないそうです。アフリカ系アメリカ人を「ニグロ」と呼ぶのはギョッとするのですが、「オリエンタル」もそれと同じくらい強い意味合いを持つ言葉だという認識だそうです。
……というのを私はこの記事を書こうと思って検索してから初めて知りました。無知は怖い。でも日本だと普通に使いますよね、オリエンタルって言葉。

私が考えていたことや「オリエンタリズム」を巡る流れはこの記事に詳しく書いてあったのでこちらを読んでいただくのが早いと思います↓


「オリエンタル」という言葉は、西洋から見た東洋的文化を指します。
西洋と東洋を「私たち」「あなたたち」と二分化し、指差して「私たちとは違うもの」と異質扱いしている。
その行為そのものを「オリエンタリズム」と呼びます。
同じ輪の中に置かずに異質だとし、勝手に「東洋とはこういうものだ」と定義づけたりステレオタイプ化する行為そのものが差別的であるから現代でこの言葉は忌避されるんです。
(転じて、西洋→東洋だけではなく、自分と異なる環境にいる人や文化を異質扱いし勝手な枠に当てはめることもこのように呼ばれるようです)

この定義を踏まえると、東洋人である私たちが東洋的なものをオリエンタルと呼ぶのって面白いというか皮肉がきいているというか無邪気というか……色々考えてしまいます。



◆でも実際「オリエンタリズム」という概念は神秘性として色濃く残っている

ちょくちょく私が記事を書いているゲーム『バルダーズゲート3』を遊んでいた時にも思ったことがあります。
この作品には本当にたくさんのキャラクターが登場しますが、目立ったキャラクターの中に東洋人の特徴を持つ人はいません。
唯一「カザドール」という邪悪な悪役は、特にアーリーアクセス版やコンセプトアートを見るとそんな感じかな?とも思うのですが家族史や名前の響きから予測すると多分違うんですよね。ラテン語話しますし。
仮に東洋人だとしても唯一記憶に残るキャラが極悪人ってどうなんだろう(東洋人を極悪キャラにするなという意味ではないです)、そうだとして、結局神秘性と関連付けられる黒魔術に心酔した人間を東洋人とするのかという話になります。
神秘性については後述します。

例えば西部開拓時代のアメリカが舞台のゲームに東洋人ばかりが出ていたら違和感があっても当然かもしれません。
でもこの話はファンタジーだし、そもそも東洋人の特徴を持った超脇役キャラクターが存在している時点でその理屈は通用しなくなります。結局のところ「重要キャラとして入れる選択肢すら最初からなかったんだな」と思ってしまいました。
「東洋人を入れろ」という怒りではありません。
「空気扱い」へのじんわりとした実感です。
(東洋と言っても多様なので、東洋人の特徴、という言い回しはあまり適切でないと思うのですが他の言い変え方が思いつきませんでした。すみません。モンゴロイドというのも適切ではなく……難しいです。そして私の思い違いで際立ったキャラがいたならすみません)

そして作中出てくる日本要素「コザクラ語(DnD内の日本をモデルとした国「コザクラ」で使われる言語)」は神秘的な黒魔術を解くためのヒントとして登場します。
これに関しては『バルダーズゲート3』が、というより下敷きとなっている『DnD(ダンジョンズアンドドラゴンズ)』が日本をどう位置付けたか、という話ですね。
ファンタジー物の歴史って古いので、良くも悪くも人種間の差別設定が豊富だったり旧態依然とした表現が多い気がします。(これに関しては、私はファンタジー畑の人間ではないので確信とまではいきません)
↓コザクラに関してはここに詳しく載っています。同和問題を反映させるなど日本国内では難しそうな設定などもあります


東洋の文化と神秘性は度々関連づけられがちです。
さっき挙げたマーベルであれば、『ドクター・ストレンジ』は神秘の力を習得するために中国で修行します。
ミステリアスなキャラクターが日本と中国の文化まじりの家に住んでいたりなんかもよく見る描写だと思います。
※実例として挙げただけでありゲーム・映画等に対し怒りを抱いている・糾弾したいわけではありません。

結局のところ「東洋文化は西洋文化とは違って異質である、わからない」という感覚をそのまま手付かずの状態に留めておいた上で、肯定的な言葉や表現に置き換えようとした時
「神秘的」
とされてしまうのではないかな、という気がしています。
わからないのだからもはやファンタジーである。
だから想像で定義していい。
(こういう理由で私はBLや百合というジャンルそのものをファンタジーと呼んだり扱うことに反対しています。リアルでもないですがファンタジーでもない。完全余談ですが)

「わからない」
のであれば歩み寄り
「わかろうとする」
ことが必要になります。それを人はリスペクトと呼びます。
ですがわからないことをわかろうとするのはエネルギーがいるし、疲れることです。
だからずっとステレオタイプな描写orアジア人の透明化が続いているのかもしれません。



◆とはいえ東洋も西洋を分けて考えているところがある


とはいえ、国に対しての偏見って多くの人が持っているし日本でもそれは例外ではありません。
例えば日本のエンタメで外国人が出てくる時はなぜか日本人より友好的でノリのいい人間として描かれることが多かったりしますよね。ヨーロッパと言えば勝手に綺麗な街並みを想像しがち。でも実際は異なったりするわけです。

西洋が東洋文化を神秘的なものとして扱う時、私たちもまた西洋文化に対して「我々と違う」という意識を持って憧れを抱いている。

それがどういうものかをよく知らないからこそ美化したり、強い憧れを持ちつづけることができる……というのは多くの人が体感したことのある感覚だと思います。
私自身これについてはかなり……かなり強く自覚している部分なので気をつけなければならないなと思います。

憧れの度合いからしたら、西洋人から見た東洋への憧れと同等(体感的にはそれ以上)に東洋から西洋、白人文化への憧れもかなり強いのではないかと感じます。信仰というほどに。
だから日本人であっても、ゲームにアジア人が出てくると「ポリコレ」と言って揶揄する人が後を絶たない。アジア人としてコンテンツには白人だけでいいと考えている。

異なる文化に憧れること自体は全く悪いことではありませんが、その感情に自覚的でいないと無意識に何かを蔑ろにしそうなので私も気をつけたいです。
あと、漫画という媒体自体かなりステレオタイプ化やラベリングで成り立っているので私自身耳が痛くもあります。とても。



◆以上を踏まえて

「日本人ではない私たちの目になれる人物を探していました」

この発言についてもう一度考えます。
日本の、しかも昔の文化が海外プレイヤーにとって馴染みのないものだというのは事実なのでしょう。
なので外部から来た人間が導入として適しているとするのはわかります。言わば異世界転生です。外部から来た人間であれば、その世界の成り立ちやルールに解説が入ったってなんらおかしくありません。※
そこを指して「私たちの目」とするのは理屈としては通っているようにも思えます。

※ただしこのゲームは現代で機械を使い、仮想空間で過去に行くという設定のゲームでありそもそも異世界転生的な環境ではあるので、過去内で身の回りの人物が解説をせずとも現代にいる仲間等が「この世界はこうで〜」と説明しても全く問題はありません。なのでこの論もちょっと苦しいですが念のため言及しています。
そもそもこの作品は一作目から「白人が装置を使って中東の国に住む人間になる」という構造なので、最初から“「我々の目」としての白人“が存在していたな……とも思ってしまいました。

ただ上手いんですけどね、この異世界転生設定。遠くに行けない透明な壁問題とか、ゲーム上不可能な要素を全部「機械の限界/不具合」で説明できちゃう便利さがあったりして(余談)

ですが問題はそこだけではありません。
「日本っぽさ」を「オリエンタル」としてひとまとめにしたまではまだいいとしても、文化を尊重せず盗用を重ねたりしている事実があります。
それを正当化し、わかろうとしなかった。大変だからその手間を省き、歩み寄らずに異質だと思うものを異質扱いのままにした。(わかろうとしたなら剽窃はしません)
それらの事実がこの発言に重なった時、言葉に含みがあると感じるな、というのは無理があります。

結果的に「私たちの目」は東洋・西洋を分断した考え方であり、「東洋人が主人公では共感できません」「理解したくありませんし、プレイヤーに理解させる努力もしたくありません」の表明なのだと受け取られてしまいました。

この騒動を受け、彼らは
「物語はフィクションであり、史実にファンタジーを混ぜただけ」
と説明しました。
しかし、文化の軽視と物語がフィクションであるかどうかは関係がありません。



最後に

企業側が本気で
「史実にファンタジーを混ぜたから怒っている人がいる」
「我々は文化を尊重できている」「ポリコレを遵守できている」と考えているのであれば問題……というか、「オリエンタリズム、つまりわからないものをそのまま放置し神秘的という言葉で正当化すること」の根の深さが出ているなと思います。
もしくは、差別的であったと自覚はしているが、認めてしまえばリスクが大きいのでこの立場をとるしかない、という可能性もありそうです。
そんなことをしたらゲームの発売自体が危ぶまれますから。

一方、激しい怒りを抱えている人の中には
「ポリコレのせいで特定人種が主人公にされた」とポリコレそのものに怒りを抱えている人もいます。
ですが文化や歴史を尊重しろ、舞台に則した人種を主人公に、と訴えることはポリコレの側に立つ行為です

ポリコレを主張しながら尊重できていない企業側、ポリコレをなくせと叫びながら同時にポリコレを訴える側、どちらにしても、自分たちが求める正しさだけを良しとして他人の権利は吐き捨てるというのはまったく平等ではないし成り立ちません。
結局のところ信条なんてものはこうも簡単に・無意識的に変わってしまうし、本人ですらそれに気づくのは難しい。正しさという曖昧な基準を持ち続けるのも難しいです。

前提として私は差別の気持ちを持っていない人間は存在しないと思っているし、人を傷つけない表現も存在しないと思っています。どんなに優しい表現をしようと必ず誰かは傷つきます。
だからこそ、さまざまなことに自覚的であろうと努力することが必要だし、自覚をした上で「それでも表現をしたい」とするのか「やめておこう」とするのかをある程度覚悟を持って表現することが大事だと思っています。プロでもアマでも。
自覚のないイノセントな差別は悪意のあるものより「人の尊厳を傷つける可能性」に対して無関心なので歩み寄るのが難しい。
私自身も過去の発言を振り返って「あれは間違っていた」って思うことが結構あります。でも当時は気づいていない。最近になってから割と色々考えるようになったので気づく機会は増えていると思っていますが、それでも無意識的な差別(意識できているものも)って私の中にも絶対いっぱいあるはずです。

今回の騒動を見ていて、自分の感覚を疑うことの大切さを改めて感じました。




私個人としては先ほども書いたように怒り心頭という感じではなく、状況的にアジア人がいても不自然ではない場合でもアジア人”だけ”が出てこない、もしくは義務のようにちょっとした脇役として出てくるだけの映画を見たりゲームをしたり、雑な描写をされるたび
「仲間はずれにされてるな」
と実感せざるを得ないという感じです。
例に挙げた作品類も、他の様々なエンタメ作品も私はとても楽しんでいますが、ふと考えたときにどこか寂しさみたいなものを覚えることがあります。

何かを異質とした上での排除・透明化を肯定することは、自分自身が他者から異質とされることをも肯定しかねません。
そしてお互いが自分の感情・立ち位置を自覚し、相手を分かろうとしなければ分かり合えません。
私自身ももちろん含めて。





当該インタビューを読みたい方はこちらからどうぞ↓
文言が削除される前のウェブ魚拓です

https://web.archive.org/web/20240515185159/https://www.famitsu.com/article/202405/5194

サイバーパンク2077もオリエンタリズムなのでは?という指摘をしている記事があったので一応紹介しておきます。

発売前に発表された記事なので参考にしていいものか…とも思いつつ。
記事の中でも指摘があるように、そもそもサイバーパンクというジャンル自体高度成長期の日本への恐怖が色濃く反映されているので、そこは言ってしまえばトンデモ〇〇と同じく差別的ではあります。そんな中タケムラはある意味で救いみたいな存在ではありましたが、結局最後まで企業に従順である「働く日本人像」だったことも確か。あ、ワカコも割と良心的な日本人で良かったですよね。
そういう文脈を踏まえたとしても、やっぱり私はサイバーパンクというジャンルそのものが大好きです。

今回、メインで扱っているゲームのタイトル&orientalismで検索すると論文なども出てきたので興味がある方は検索してみてください。
(ちなみに、今回の騒動について云々ではなく過去作やこのゲームをシリーズとして見た時に……というものしか私は見つけられませんでした。それらは肯定的な捉え方をしているものの方が多かったです)


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