『クララとお日さま』 雑感

この3月に世界同時発売になったカズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞第一作を読んだ。主人公は優れた人工知能を搭載したロボット少女クララ。舞台は近未来のニューヨーク市とその郊外──特定してはいないがそのように読める。
子どもたちは生まれる時に親による選択によって二種類に分けられる。遺伝子編集を受けた向上処置児と、未処置児に。未処置児には高等教育を受ける道が閉ざされるが、向上処置児には健康上のリスクが伴う。
格差社会が広がり、社会は不安定化しつつある。学校はなく、子どもたちはオンラインで個人授業を受ける。少女ロボットクララの存在理由は、孤立して育つ子どもたちの人格形成に資するためのパートナー、友人、もしくは兄弟として裕福な家庭に買われていき、その家庭で子に仕えることだ。クララが仕えるのは母親と家政婦と暮らす向上処置児である病弱な少女ジョジー。優れた技術者だった父親ポールは大企業からドロップアウトして家にはおらず、アウトサイダーコミュニティーで暮らしている。
ポールは
「連中がやることをやり、言うことを言うと、そのたびにこの世で一番大切にしているものが自分から奪われていく気がする。」
とクララに話すのだが、ジョジーに正しく仕えることに心を砕くクララとは微妙にすれ違う。ロボットなのに「こころを砕く」クララをイシグロはていねいにえがく。
造本は児童書風で、作品自体は中学生からシニアまで、色々な読み方ができる。未回収な伏線が沢山あって、読後、あれ、もうおしまい?と思ってしまったが、読んだあとに、読者が自分で物語を膨らませていく贅沢な楽しみが残されているとも言えるかもしれない。
一読をお薦めしたい作品だ。

カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳 早川書房

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