月火みえる

もえるゴミの日(月・火)のどちらかに生まれました / なまけたいから考えることはなまけ…

月火みえる

もえるゴミの日(月・火)のどちらかに生まれました / なまけたいから考えることはなまけない https://tsukibi.com

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  • 考えるスイッチ

    あれこれ、思うこと。日常のどこにスイッチがあるか不明だけど、押されちゃったら、考えるのが止まらない。ちんたらしてるよ。

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    Sophisticated cocktail, Creative life.

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    なるべく、毎日書いてみる、日記のような、雑記のような、エッセイてきなノート。

記事一覧

まじめに、なまける

自分の中で、大事にしてることがいくつかあって、そのうちの一つが「まじめに、なまける」。先に他のやつも言っとくと、「中の上」「生きながらえる」もそういう大事なこと…

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インターネットのためにインターネットをやっている人の意味がわからない。なんのためのインターネットなんだろうか。人の顔が見えない、体温を感じない、効率化だけをめがけて、ハードばかりが進化して、それを使う人たちは進歩しない、むしろ退化しているみたいだ。

よろこびの正義

よろこび、について考えたとき、ほんと些細なことに気づいてもらえるだけでいいことってある。むしろ、「〇〇したら誰でもうれしいでしょ」みたいなものを押し付けられるの…

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弱さを再編集する

上向きな気持ちを扱うことはそりゃ大事なんだけど、下向きな気持ちもうまく掬いあげてあげなきゃ、バランスの取れない人間だっている。というか、それは自分だな、と思うわ…

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「好き」とか「やりたい」は必要なのか

「好き」なことや「やりたい」ことをやったほうがいいよ、とヨイショヨイショする人がいる。 そりゃ、そういうことをやれたほうが毎日は楽しいのかもしれない。が、ぼくは…

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「ヤサシイはつくれる」

まあまあよくわからないのが、優しい男性が好きなんです、とふわっとした好みを口にする人(女性)いるけど、その優しさはテクニカルにつくれるっぽいよ。「カワイイはつくれる」のかもしれないけど、「ヤサシイはつくれる」のも事実ではないのかって。

1

はじめます

恥ずかしい話だけども、SNSでの投稿を、特にはFBでのものをどう取り扱うか悶々としてる1~2週間がありまして、そしたら知人から「元気にしてますか」とメッセがきた。 なん…

「褒める」ことが良いわけじゃなくて、気をつけたいのは褒めるときの「褒め方」のほうですよね。

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「成長」は本当に必要なのか

朝のカフェ。みんな元気に、その人の日常を営んでいる。本を読んだり、パソコンをカタカタしたり、集まって会議をしたり、いろいろだ。ちょっとした雑談だろうか、先輩後輩…

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弱気になったときは

ぼくは、びびりなのだ。というのは、「けらけら女」という妖怪の話と一緒にしたことがあった。個人的な考えではあるが、びびりの人は、その臆病さとの付き合いが長いと、自…

3

だれかと暮らすことの痛み

今朝、目が覚めたら、もう足がバキバキに筋肉痛だった。特に太ももが。駅構内を移動するための階段は、イヤイヤながら自分に鞭を打たなければならない、恐怖の段差でしかな…

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それって、ダレトク?

昨日は、「ライター・イン・レジデンス」を主催している磯木さんとお茶する機会があったので、先日書いたことにも触れつつ、もろもろのお話をしてきた。 そのときに、共通…

2

〇〇が抜けると「あんなこと」はできない

「あんなこといいな、できたらいいな」と未来の話をするのは、ドラえもんの放送日を待つよりもワクワクしちゃう。 だけど、あれできたらいいよね、これできたらいいよね、…

3

考えるへんな人、タカハシタカシさん

「メガネと、」というユニットがある。まずへんなのが、ユニットなのに、一人だということ。その一人はタカハシタカシさん。彼と会うとき会うとき、毎度メガネをかけていな…

3

小さな実験しようよ

なにかをはじめるとき、人には人のペースがあるわけだから、それを大切にすればいいと思う。 だから、「動きたい」とか「変わりたい」とか思ってるけど実際にはまだ動き出…

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ライターにならなくてもいいのだ。

ライターという肩書きを背負ってお仕事させてもらうなか、常々「ぼくは、言うほど、ライターじゃないな」と思ってしまう。がつがつっとやってる人に比べたら、恐れ多いくら…

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まじめに、なまける

自分の中で、大事にしてることがいくつかあって、そのうちの一つが「まじめに、なまける」。先に他のやつも言っとくと、「中の上」「生きながらえる」もそういう大事なことで、座右の銘みたいなものかもしれない。 ぼくは、まじめだ。と自分では思うし、周りにもそう思われていて、それを嫌とかどうとかは今は思わない。今は思わないけど、昔は思っていて、まじめであることがコンプレックスだった。 まあまあ優秀でした(高校くらいまでは)。成績もオール5だったし、まじめ優等生と思われていたことが嫌で嫌

インターネットのためにインターネットをやっている人の意味がわからない。なんのためのインターネットなんだろうか。人の顔が見えない、体温を感じない、効率化だけをめがけて、ハードばかりが進化して、それを使う人たちは進歩しない、むしろ退化しているみたいだ。

よろこびの正義

よろこび、について考えたとき、ほんと些細なことに気づいてもらえるだけでいいことってある。むしろ、「〇〇したら誰でもうれしいでしょ」みたいなものを押し付けられるのには、げんなりする。 何が言いたいかというと、まあ、そういった見えにくい、他人のよろこびのツボを抑えられるような人間になれたらいいなあ。他のことできなくていいから、むしろそれだけでいいくらい(それは大げさ)。 あと、都会でも田舎でも、てか、国によっても、場合によっては、隣村であっても、今隣にいる人であっても、それぞ

弱さを再編集する

上向きな気持ちを扱うことはそりゃ大事なんだけど、下向きな気持ちもうまく掬いあげてあげなきゃ、バランスの取れない人間だっている。というか、それは自分だな、と思うわけで。 だれしも、気持ちの上がり下りはあるはずだし、その周期は定期的にやってくる。自分が今その波のどの位置にいるのか、を理解することで気持ちを少しは整理できる。 時間が経たなければ解決しないこともあるし、こういうときはこういうスイッチを押してあげる(行動をしてみる)というような、長年自分と付き合うなかで作ってきた取

「好き」とか「やりたい」は必要なのか

「好き」なことや「やりたい」ことをやったほうがいいよ、とヨイショヨイショする人がいる。 そりゃ、そういうことをやれたほうが毎日は楽しいのかもしれない。が、ぼくはそうじゃなくてもいいし、逆に毎日が楽しくなくなることもあるのではないかと思う。 仕事などでお金が絡むかどうかも大きいが、「好き」とか「やりたい」ということが自分の中にあるときほど、それに対する哲学やこだわりが強かったりする。 それを経済性に乗っけよう、生業にしようとすると、自分の中で大切にしている魂をごそっと持っ

「ヤサシイはつくれる」 まあまあよくわからないのが、優しい男性が好きなんです、とふわっとした好みを口にする人(女性)いるけど、その優しさはテクニカルにつくれるっぽいよ。「カワイイはつくれる」のかもしれないけど、「ヤサシイはつくれる」のも事実ではないのかって。

はじめます

恥ずかしい話だけども、SNSでの投稿を、特にはFBでのものをどう取り扱うか悶々としてる1~2週間がありまして、そしたら知人から「元気にしてますか」とメッセがきた。 なんだかんだ、書くことが、公開することは、自分のなんかしらのバロメーターになっているようで、それをズバリと見抜かれたことがちょっとヤラレタゼという感じだった。いやいやお恥ずかしいかぎりで。 もともと幼少期からメモ癖があって、その延長線上で、頭に思い浮かんできたことを目にみえる形にしないと安心できないというか、忘

「褒める」ことが良いわけじゃなくて、気をつけたいのは褒めるときの「褒め方」のほうですよね。

「成長」は本当に必要なのか

朝のカフェ。みんな元気に、その人の日常を営んでいる。本を読んだり、パソコンをカタカタしたり、集まって会議をしたり、いろいろだ。ちょっとした雑談だろうか、先輩後輩の関係の学生っぽいふたりがぼくの後ろの席で声高らかに話している。 そこには、「やりたいこと」とか「欲張る」とか明るい単語が使われていて、なにかと「成長のため」という紐付けがされる会話となっている。 ああ、こういうシャキシャキ系の人ちょっと苦手だなぁ、と思いながら、ひとつの疑問が生まれる。「そもそも、本当に成長って必

弱気になったときは

ぼくは、びびりなのだ。というのは、「けらけら女」という妖怪の話と一緒にしたことがあった。個人的な考えではあるが、びびりの人は、その臆病さとの付き合いが長いと、自分のころがし方が少しずつうまくなっていくはずだ。 いろいろとやり方があるけど、ぼくの場合、自分をヨイショと景気付けるために、読み直す記事があったりする。それも何本かあるのだけど、「誰も君のことなんか見てない。」という記事はそのひとつ。 自分の見られ方を気にしすぎてしまっているときほど、体が固まり、動きたいように体が

だれかと暮らすことの痛み

今朝、目が覚めたら、もう足がバキバキに筋肉痛だった。特に太ももが。駅構内を移動するための階段は、イヤイヤながら自分に鞭を打たなければならない、恐怖の段差でしかない。 どうにしてこんなことになったかというと、前日に原因があった。ぼくは生まれて初めてフットサルをした。行くつもりはなかったが、行くことになって、球技音痴の、慣れていないスポーツではしゃぎすぎた結界がこの様である。 行くつもりがなかったとはいったが、じゃあなんで行ったのかというと、今滞在している家の主が、月1でフッ

それって、ダレトク?

昨日は、「ライター・イン・レジデンス」を主催している磯木さんとお茶する機会があったので、先日書いたことにも触れつつ、もろもろのお話をしてきた。 そのときに、共通の問題意識として出てきたのは、「情報発信って、そもそもなんのためにするんだろうね?」ということ。地域における情報発信が大切だ、という認識が高まるなか、さまざまなローカルメディアが立ち上がってもいるけど、本当にそれって必要なものなのか? という根本的な問い。 もっと言えば、その地域の情報を発信することによって、だれが

〇〇が抜けると「あんなこと」はできない

「あんなこといいな、できたらいいな」と未来の話をするのは、ドラえもんの放送日を待つよりもワクワクしちゃう。 だけど、あれできたらいいよね、これできたらいいよね、と空論ばかりが広がりすぎるのは、なんだか21世紀を超えて22世紀を待つようなぽけーっとした気分にもなる。 なにかひとつのことを動かすときには、どんなことをやれるかの選択肢は、広げられるだけ広げられたほうがいい。単純に「あんなこといいな」の数はたくさんあったほうが楽しいよね。 だけど、実際にやるときにはひとつのこと

考えるへんな人、タカハシタカシさん

「メガネと、」というユニットがある。まずへんなのが、ユニットなのに、一人だということ。その一人はタカハシタカシさん。彼と会うとき会うとき、毎度メガネをかけていないというのも、ちょっとへんな気分になる。 もともとは、現「暮らし方冒険家」のジョニーさんと一緒に活動をしていたので、最初はちゃんとユニットだった。ジョニーさんの結婚を機に、それぞれ行動するようになり、「メガネと、」の屋号を引き取ったそうだ。 フリーランスとしての職業は、エンジニア。猫好きでもあるので、ネコと一緒にコ

小さな実験しようよ

なにかをはじめるとき、人には人のペースがあるわけだから、それを大切にすればいいと思う。 だから、「動きたい」とか「変わりたい」とか思ってるけど実際にはまだ動き出せていない状況のとき、へんに焦らなくもいいだろうし、側にいる立場であればへんに焦らせたくもない。その焦りによってよい部分が失われるくらいなら、タイミングを待ったほうがいい。 とはいえ、そのタイミングってのも、ただ受身で待っていてもくるわけでもない。というか、何もしてないとほぼほぼやってこない。つまり、そのタイミング

ライターにならなくてもいいのだ。

ライターという肩書きを背負ってお仕事させてもらうなか、常々「ぼくは、言うほど、ライターじゃないな」と思ってしまう。がつがつっとやってる人に比べたら、恐れ多いくらい、ライターらしい動きをしていない。 複業のひとつといえば、そうだけど、本業です、とは自信を持って言えるはずもない。そのような立場もあって、「ライターというよりも、ライティングをやってます」という言葉のほうがしっくりくる。 何度か、ライターは向いてないな、とか、ライティングできるバーテンダーになろう、ということを書