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影のスケッチ(日記)

自分のデフォルトのイメージやインスタグラムの投稿より、精神衛生の悪さの最大瞬間風速が出ている。でもそんな自分も嫌いでなくいたいのです。

某日
人はオフィスや店舗の窓にプリントを貼るとき、外側から見ると裏側やテープが丸見えということに気がつけないものだろうか。部屋の中で俯瞰して見ることができても、実は建物の外側が存在することに気がつけていないかもしれない。怖い話。

某日
生きづらさを感じる方のインタビュー映像で、沢山の武士が毎晩寝室に攻めてくる夢を見るという話を聞いた。その人の幼少期に訪れた、苦しみの始まり。
でも明確に夢を覚えられることが少ない私は反射的に少し羨ましいと思ってしまった。羊を数えるように武士を数えて眠りにつくことを想像してしまう身勝手な脳みそ。そのことを思い出していると、シャッフルで流れてきたスピッツの「正夢」が私を責める。

某日
古紙回収のバンがスレスレの近くで私の真横を通り過ぎた。朝のこと。漫画も雑誌も新聞もダンボールもみんなまとめられ縛られて荷台に乗っていた。横目で運転席を確認すると、なんと空いた助手席にも古紙が積みあげられていた。
荷台にある古紙より、それらがまだゴミではない感じがしたのは何故だろう。淡い人間性めいた意識が、バラ柄の回収袋に宿っている。運転手の方は付喪紙とドライブしながら、工場へ向かうのだ。

某日
家を出てから忘れ物に気がついて戻るとき、大体急いでいる。人はみんな、律儀に靴を脱いでいるのか甚だ疑問だ。なぜなら私がそこを蔑ろにしていることが結構あるから。多くの場合は片足だけ脱いでケンケンするという手法を取っているが、小声で謝りながらスニーカーのまま携帯を取りに駆け戻った。逆3秒ルールってことで、いかがだろうか。
土足で自分の家に踏み込んで抱く感情は、背徳的なお得感?自分で確かめてみるといい。

某日
メタ的な漫画を読んだ。SNSのウェブ漫画。作中でふと拾ったWi-Fiで読みはじめた漫画がその作品そのものの序章になっているというものだった。気を抜いた時にアイデアで刺されるとグサァと来るものがある。
とりあえずいいね。そしてフォロー。メモ代わりのいいねとフォローも自分の中で整理がつかなくなっているけれど、これらが積まれているうち、いずれイーロンが棚ごと燃やしてしまう日も近いのだろう。

某日
思わぬ早起きが叶った休日。いくつかの予定が入っている週末は楽しみなことばかりで、満ち足りた気持ちだ。だが背後を振り返ればどろりとした課題が瞬き一つせずこちらを見ている。それと目を合わせないことを許される束の間、かつてはくるりと身を翻しそいつの言い分を聞いていたが、今は意図的に一時停止にあやかることにしている。どろりと溶ける背中を抱えて輝くイベントを享受する。
幼少期に親戚との旅行で最終日の夜、温泉で叔母(フルタイムワーカー)がふと真顔に戻ってため息をついていたことを思い出す。きっと、誰の背中にもそれぞれのサイズのどろりモンスターが乗っているのだろう。

某日
古い地名と由来が好き。神楽坂の箪笥町という地名を見つけて歓喜。調べると思っていた方の箪笥でもなくてほえ〜と思う。私の人生、成長過程で訪れる「なぜなぜ期」とやらが終わらないらしい。特に由来はすごく気になる。世界が言語化されるほど良いと思っている節もある。次はあなたの名前の由来を聞きにいきます。

某日
安かろう悪かろうが如実なもの。ゴミ袋。サランラップ。ヨーグルト。覚えておいてください。

ちょけずにザラザラをザラザラのまま表出させることに抵抗があるのですが、たまにはそれが何かの救いになるかもしれないと、思いはじめた私です。

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