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#14 "性犯罪のウラ"「戸締りをしたくない資産家の悩み」


 韓国から訪れたDJが、日本人による性的被害を受けた——そんなニュースがXのタイムラインを賑わせていた。男女に加えて日韓の分断にも広がっていた議論に首を突っ込むのは気が引けるのだけれど、初回ということで実験的に書いてみたい。

 こういう事件が起きたときの世間の反応は決まっている。「露出度の高い服を着ている人間にも責任がある」というサイドと「そんなことが言い訳になるはずがない。いかなる場面においても犯罪を正当化する理由にはなりえない」というサイドに大きく二分化し、互いに睨み合うよう構図となっていた。性被害のニュースにおいて、こういう議論は親の顔よりも見慣れた光景となっている。

 この議論には、終わりがない。

 なぜか——。それは他でもなく、両者の言っていることがどちらも正しいからである。

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 みなさんは、以下のようなケースを見て、どう思うだろうか。

 東京で暮らす富豪A氏は、金持ちでありながら親しい友人がほとんどおらず、その承認欲求に飢えていた。誰かに注目されたい、そんな思いを抱えていたA氏はある日、こんな計画を立てた。高価なアクセサリやファッションなど、庶民には変えないような高級品ばかりを身に纏い、生活保護で暮らす人が集中する団地の道路に行って近隣の住民に見せびらかそう、と。貧しい暮らしをしている彼らなら、その生活からは想像もできない金品の数々に興味を示してくれるだろうと考えたのだ。それを実行したA氏だったが、ある日、事件が起きた。その団地に住む生活保護受給者であるB氏が、A氏の落とした金品のひとつを盗んでしまったという。後々それが発覚し、B氏は逮捕された——。

 B氏は明らかに盗みを働いており、それはもちろん犯罪である。どれだけ言い訳を考えようと、盗んだ事実を変えることはできない。それに対する罪を償わせなくていいなんて思うことはない。

 しかし——だ。ほとんどの人が、こうも思うだろう。

 金持ちが貧しい地域にわざわざ出向き、それを見せびらかすことで注目されよう考えるなんて、あまりに人格が卑しすぎると。A氏本人がどれだけ悩んでいたのかは知らないが、貧困層にわざわざ金品を見せびらかしに行くことで承認欲求を満たす必要があっただろうか。そんなことをすれば、貧しいながらになんとか生活をやりくりする人間がどう思うか、ちょっとは考えてやってもいいのではないか——自分であればきっとそう考える。

 ここまで読んでいただければ言いたいことは伝わるだろう。自分はこれとまったく同じ感想をDJsoda氏に対し抱いている。

 自分が多く抱えている資産を、その資産を持っていない者が多くいる場所に出向いて見せびらかし、その資産目当てに人が集まってくる光景を目にして自分の承認欲求はばっちりと満たしておきながら、少しでもその資産に目がくらみ悪さを働くものがいればすぐさま相手のモラルの低さの問題として声高に糾弾する——。申し訳ないが、それは他人に対するメタ的な想像力がある人間のとる行動ではない。

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 これに関してはもうひとつの記事が必要なくらいの議論となりそうなところだけれど、自分は、性的な特徴という点のみを切り取れば、女性と男性の関係は資産家と庶民のそれにあたると考えている。生まれながらに女性は男の子孫を孕む体という性的価値を持っており、それに伴い、女性はその価値をどの男性と分かち合おうかというのが重要な生存課題となる。その反面、男性は生まれた時点で誰もがゼロ円生活のスタートである。男であるという理由で近づいてくる女性はいない。なので何かしらの芸(年収、容姿など)に特化することで「私の価値を分けてあげてもいいかも」と思われる男になる必要がある。

 性的価値においては女性がその価値を多く所有している、というのは、女性のほうが性犯罪に遭いやすいというのがその証左であるように思う。生活保護受給者の家に空き巣に入ろうと企む者などいないのと同じで、男には性的価値がないからこそ、そうした性犯罪の対象として選ばれにくい。「性犯罪被害者のほとんどが女性なのは身体的に劣位だから」というようなことを良く女性の口から聞くが、それでは言葉が足りない。その性的価値を狙われやすいというのは、性的価値が高く他者から包摂されやすい(=孤独に陥りにくい)というメリットの裏返しでもある。女性の身体があらゆる場面において不利に働くというのにはさすがに語弊があるだろう。そして、こうした女性と似た特徴を、資産家も確かに持っている。その金で誰かを養うとさえ言えば孤独には陥りづらいというメリットがある反面、そのセキュリティを甘くしてしまえば誰かにその財産を狙われやすくなってしまうというデメリットがある。持ち前の資産の価値が引き上がるにつれ、それを狙われるリスクも増える。その両者はトレードオフの関係にあるだろう。

 つまるところ、金持ちに授けられた『金』という資産と、女に授けられた『性的価値』という資産は、ともに相手に言うことを聞かせるための権力として機能してしまう面がある。これらはどちらも、それがないと生きていけない相手に対し「ならお前には施しを与えないが?」という脅迫により口を封じるための武器として使えてしまう。

 昭和の親父が気に入らない行動をとった妻に対し「誰のおかげで飯が食えてるんだ」と言えばそれが権力を振りかざしたパワハラになるように、男性に対して女性が「じゃあお前との子どもを作ってやらないが?(=もっと優れた男との子どもを産むぞ)」と言えばそれは性的価値という資産を振り回す濫用ということになる。その脅しを前にすれば、昭和の妻にしろ令和の男にしろ、何か気にらないことがあっても文句を言わずに従うしかなくなってしまう。なので権力者には自分の権力を自覚してもらい、わきまえをもってもらう教育が必要だろう。すべてのひとに対等な言論の機会を与えることを前提とした民主主義国家なら、それは当然のことだ。

 こうした補助線を引くことで、このDJsoda氏への批判の真意は明らかになるのではないだろうか。

 この騒動に関しDJsoda氏を批判する人たちの真意は、性犯罪を擁護するためではない。DJsoda氏が自身の持つ権力性にあまりに無自覚なこと——そこに対しての反発だとして見るべきだろう。客の手が触れられる位置まで近づきセクシーなポーズを取るもその体に触れられたとたんに相手を糾弾するその姿は、金持ちが貧乏人の前で札束を振りかざすもそれをつままれたとたん「窃盗だ!」と叫び出す姿に似ている。それらは人々が生きるにあたり欠かせない資産だからこそ、それに目をくらませるようなことはしないでほしい——ただそれだけだ。

 しかしここまで書いたものの、この問題が解決しないというのも同時に分かっている。

 なぜか。

 資産家のわきまえであれば「たしかにお金のないときに札束を振りかざされたら、盗みはしないとはいえかなりキツい」というのをある程度は人類の共通認識として理解できる。しかし女性の性的価値という資産については、それを生身の感覚として理解できるのが女性しかいない以上、男性はどうしても外部者として処理されてしまうからだ。

 そして——この問題が解決へと向かわず更なる分断を生んでしまう理由がさらに存在する。

 金銭資産の価値を判断するうえで各々がまず頼りにするのは自分の金銭感覚であるように、性的資産の価値を判断する際にも、各々は自分が異性を見るときの感覚を頼りにしてしまう。つまり、異性(=男性)の性的価値に目がくらみにくい女性はその感覚をもとに自身の性的価値を見積もるため、男性から見た女性の性的価値と大きな乖離が生じてしまうという、実に不幸な非対称性が存在するのである。

 これは女性に限らず男性にあてはまる話だが、我々は異性のことを正確に把握しようと思ったとき、どちらかと言うと自分の感覚を頼りにしてはいけないケースのほうが多かったりするのだろう。中高を男子校で過ごした自分も、大学に入るまでは男女の対称性を信じていた。しかし多くの女性の言動や行動を見るうちにどうやら我々とは考え方がまったく違うということに気がつき、ともすれば「こう考えれば生物学的に矛盾がなさそう」と言ったような予想を続ける以外に手段がない。

 そしてこの予想を続けているのは主に男性である。ちゃんと断っておくが、これは女性を悪く言いたいわけではない。女性は、男性の気持ちを想像し配慮する姿勢を見せたときそれを好意だと勘違いされるリスクがあるため、そうした態度を見せないようにするインセンティブがある。もうこれは女性に備わった本能であり、つまり、女性に対して「男性の発言から男性の視点を想像し彼らにも寄り添う姿勢を見せろ」というのは極論「女をやめろ」と言ってしまうことにも等しい。女性が男性への想像を働かせている態度を露骨に示すと、勘違いした男に次から次に告白され気まずい思いをしながら断り続けることになる。これこそが優しい女性が背負う運命であり、それを避けるためには「お前のことなんて考えてません」という強気な態度に出ておく必要がある。これも幼少期からビルトインされる本能のひとつなのだろう。

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 これからも、露出の多い女性の責任能力が問われるたびに同じような議論を何度も繰り返すのだろう。何度繰り返しても答えは出ないだろうし、そのたびこの記事に書いたようなことを思い出すのみである。

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