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#17 "自由のウラ"「何だっていいじゃん」

 慶應高校が甲子園において快進撃を遂げているという話について先週まとめたのだけれど、その記事が、今までの中でも特に初速の反応がよかった。

  勉強だけではなくスポーツにおいても進学校の実力が上回るようになり、かつての強豪校が今後も衰退していくだろう背景には、習い事をはじめとし、幼少期に経験を積むことのできる場所が整備化、さらには有料化されるようになったという動きを如実に反映したものではないかと自分は考えている。

  ちなみに、この記事を書いている今、慶應高校は決勝進出を決めて仙台育英高校との決勝を控えている。優勝すればそれは実に100年ぶりともなる快挙ということだ。

 そんな勢いを見せる慶應高校において、一人の選手にインタビューを行ったという内容の記事が東スポからあがっていた。

  イケメンですね……。

 記事ではこのように述べられる。

  坊主じゃないチームの躍進が大々的に取り上げられているのが実情。8強のうち3校が丸刈りではない学校だったという捉えられ方にも「それが普通なんで…」と淡々と答えるあたりに、丸田なりの思いがにじんだ。伝統に憧れるのも一つの形であることも理解している。「坊主がいい」球児もいる。どれが良い悪いではなく、どれでも良い――。丸田が指摘したように、過去の慶応、さらには同様に「頭髪自由」を標ぼうする学校がありながら、今回のような大きなうねりが起きなかったのも、また事実だ。

 この記事への反応をXで見ていても、好意的な反応がほとんどであった。「坊主強制なんて遅れてる」「何でもいいのが当たり前」「文武両道で人格もできあがってるなんて最高」などなど。そこに否定的な意見を寄せる者は冗談なく一人もいなかった。

 しかし僕にはどうしても、この記事内容には頷けないところがある。

 『なんでもいいじゃん』という自由を称賛するフレーズは、結局のところ、選択肢が目の前に数多く広がっている者だけが使用できる特許のような文句ではないだろうか。

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 こんなことを考えたときにまず思い出したのは、自由恋愛がもたらした弊害についてである。会社の上司が結婚相手を探し、また親の結婚圧が今の何倍も強かった時代が終わって久しいが、それにより未婚率が上昇したというのは『自由』という概念の性質をよく説明できる一例ではないかと思う。

 かつては就職し家族を養って一人前というロールモデルが存在し、そのロールモデルを下の世代に継承するというミーム相続の欲求が社会にあった。だからこそ勝手にお見合いを企む仲介おばさんなるものが存在したわけだろう。しかしそうした存在が、若者にとって実に鬱陶しいものだったというのも間違いない。ことごとく、様々な場面で自分の意思を尊重されないからである。

 そこで社会は舵を切る。恋愛をするにあたって、誰と、いつ、どのように——そんなのは個人で決めればいいじゃん、人それぞれ『なんでもいいじゃん』という価値観を基本の考え方にした。

 それによりその自由の恩恵をたっぷりと享受したのは誰だったか、そう思って見てみると、それはほぼ例外なく『恋愛相手に困らない人』だったのではないだろうか。しかし、かつて昭和の時代なら上司が相手を探し結婚までこぎつかせてくれたような理系男子などは軒並み未婚の選択肢を取らざるを得なくなってしまった。他でもなく、自由を讃える風潮の中では、本人の行動がなければ何も始まらない。しかし彼らが行動を起こそうとしたときに待ち構えているのは「社内で食事を誘うのはセクハラ」といった厳しい評価であり、ならその外部の目が届かないマッチングアプリだと思いそこに手を伸ばせば、年収や年齢、学歴などでデータ化されることにただ疲弊する未来であった。

 こうしたことを踏まえると、やはり、自由が万人にとって素晴らしいものであるという考え方にはどうしても素直に頷けない。

 才がある者はロールモデルがないほうが自分の能力をいかんなく発揮できるが、しかし才に恵まれない者が他者と同じような形で社会に参加するために必要不可欠だったもの、それこそがロールモデルでもあった。

 甲子園における坊主にも、同じような役割があっただろう。なぜ彼らの目の前に「坊主が当たり前」「寮の時間厳守」などという厳しい決まりがあったかと言えば、そうした軌範なしに彼らが輝くことはできなかったからではないか。前記事でも触れたとおり、人生のルートを歩むうえでの基本となる学校の勉強からはみ出ることの多かった彼らだからこそ——言い換えれば野球の腕くらいしか社会に参加する方法がないからこそ——これに従えばあそこにたどり着く、といったような大きな灯台がより必要だった。彼らからその灯台を取り上げてしまえば、どこに行けばいいかも分からずただそこで溺れ死んでしまうことだろう。目の前に道がないものに対し分かりやすい道を用意する、坊主を強制する意味はそれだけのことだった。

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 こういうことを考えていると、平等とは何か、というのをよく考えさせられる。

 ロールモデルがあることでその自由を制限される能力者と、ロールモデルがないことで道に彷徨う一般人。自由が制限されてしまうぶん前者には申し訳ないが、しかしその能力があるぶん、それすらない者たちに全体としての指針を示すロールモデルを用意する——そんなかつての社会のほうが、今よりはるかに平等を実現していたように思う。

 そして、こうも思うのである。

 各々が自由を制限されないことに重きを置き、多くの人間を縛り付けるロールモデルを廃止するのならそれでもいい(その社会になぞらうことを全面的に否定することは自分にもできない)。しかし、だ。能力がありさらにその自由を担保させてもらっている身でありながら、ロールモデルにより辛うじて救われていた層に「あなたたちだって自由に選べばいいじゃん」などと口にするのは、あまりに惨すぎやしないだろうか。

 慶應高校があまりにも“総取り”してしまっている状況に、正直なところ不安になってしまうのだ。勉強、野球、将来の年収、そして自由を賛辞する人間的な道徳性。この先で多く見られるのだろう独占状態のひとつを、彼らは今体現しているようにも思える。

 ちなみに、自分がそうしたことを考えるきっかけとなった文書についてもここで紹介しておきたい。

    平和とはいったい、なんなのだろう?
 最近、そんなことを考えることが多くなった。
 夜勤明けの日曜日の朝、家に帰って寝る前に近所のショッピングセンターに出かけると、私と同年代とおぼしきお父さんが、妻と子どもを連れて、仲良さそうにショッピングを楽しんでいる。男も30歳を過ぎると、怒濤の結婚ラッシュが始まるようで、かつての友人たちも次々に結婚を決めている。
 一方、私はといえば、結婚どころか親元に寄生して、自分一人の身ですら養えない状況を、かれこれ十数年も余儀なくされている。31歳の私にとって、自分がフリーターであるという現状は、耐えがたい屈辱である。ニュースを見ると「フリーターがGDPを押し下げている」などと直接的な批判を向けられることがある。「子どもの安全・安心のために街頭にカメラを設置して不審者を監視する」とアナウンサーが読み上げるのを聞いて、「ああ、不審者ってのは、平日の昼間に外をうろついている、俺みたいなオッサンのことか」と打ちのめされることもある。
 しかし、世間は平和だ。
 北朝鮮の核の脅威程度のことはあっても、ほとんどの人は「明日、核戦争が始まるかもしれない」などとは考えていないし、会社員のほとんどが「明日、リストラされるかもしれない」とおびえているわけでもない。平和という言葉の意味は「穏やかで変わりがないこと」、すなわち「今現在の生活がまったく変わらずに続いていくこと」だそうで、多くの人が今日と明日で何ひとつ変わらない生活を続けられれば、それは「平和な社会」ということになる。
 ならば、私から見た「平和な社会」というのはロクなものじゃない。
 夜遅くにバイト先に行って、それから8時間ロクな休憩もとらずに働いて、明け方に家に帰ってきて、テレビをつけて酒を飲みながらネットサーフィンして、昼頃に寝て、夕方頃目覚めて、テレビを見て、またバイト先に行く。この繰り返し。

 我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。その可能性のひとつが、戦争である。
 識者たちは若者の右傾化を、「大いなるものと結びつきたい欲求」であり、現実逃避の表れであると結論づける。しかし、私たちが欲しているのは、そのような非現実的なものではない。私のような経済弱者は、窮状から脱し、社会的な地位を得て、家族を養い、一人前の人間としての尊厳を得られる可能性のある社会を求めているのだ。それはとても現実的な、そして人間として当然の欲求だろう。
 そのために、戦争という手段を用いなければならないのは、非常に残念なことではあるが、そうした手段を望まなければならないほどに、社会の格差は大きく、かつ揺るぎないものになっているのだ。
 戦争は悲惨だ。
 しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
 もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。

 戦争が平等なのかという議論はさておいて、しかしここで書かれていることに一考の余地はある。全文を読むと分かるが、戦争のおかげで、中学すらも出ていない一等兵が東大卒のエリート(=丸山)をひっぱたくことができたのだという。何かを持てばそれを失うリスクを恐れ、持たざる者はいつどのようにして奪うかを考える——そうして所持と不所持が頻繁に流動化する社会のほうがはるかに平等なのではないか。イエスとまでは言えずとも、しかしノーと言うこともできない。

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 上記記事では、以下のように話が綴じられる。

 しかし、それでも、と思う。
 それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争に苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。     
 私を戦争に向かわせないでほしいと。
 しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう。

 一般人がそれのおかげで社会に参入できていたものを取り上げておきながら、その自由の負の側面を意識せずに誰しもに布教してしまうその暴力性には自覚的であってほしい。もちろん、それを取り上げたのは慶應高校の少年ではない。18の自分も、そんなことを考えなんてしなかった。

 しかし、そうした無自覚で、むしろ善意によりかけた言葉の数々が、人々を戦争に向かわせてしまうのだろう。

 平和とは、戦争と戦争の間に挟まれたごく一時のバカンスタイムなのかもしれない。最近はそんなことをよく考えている。

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