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「誰かのため」が「誰かのせい」に変わる。そうなる前に、もう人付き合いをやめようと考える。

人間は、とにかく何かを発する。そして、その内容は大概しょうもない。
態度や言葉で、常に何かを表している。
顕著にそれがわかるのは、やはり機嫌が悪い時か。体調が悪い時もそう。
つまり、余裕が無い時こそ「雄弁に」言葉や態度、表情などで語る。

僕たち人間は、基本的に「何か言いたい」のだと思う。
もし誰かによって自分の機嫌が悪くなったら、なぜそんな風になっているのかを理解してほしいし、謝ってほしいのだ。
僕も何度か「謝ってほしい」と言われたことがある。(謝っても、簡単には許してはもらえないが)
理解してほしいし、時には、相手を殴りたいと思っているのではないか。
それが行動や言葉になって、表現される。

親に何かを言われて機嫌が悪くなって、ドアを強めに閉めてみたり、物を放ってみたり、そんな経験は誰にもあるのではないか。
家人が家事を手伝ってくれなかったり、自分のことを理解してくれなかったりすると、空気も悪くなる。
しかも、そうやって表現をすることで、それを受けた人々の中にも鬱憤が溜まる。どちらにも溜まるという悪循環。
その中で争ったり、意思の疎通を計ったりする。そういうことが定期的に繰り返されると、関係自体が難しくなったり、心が傷ついてしまって戻らないということもあるだろう。

僕も感情が平板とはいえ、浮き沈みはある。と言っても、毎日だいたい同じような感じだが。
女性の生理を引き合いに出して申し訳ないが、やはり定期的に「暗くなる」時ってある。(生理と同じようなものだ、と言っているわけではない)
そういう時は、何をしていても面白くないし、これといって欲求も無くなる。「何があったんだろう」と自分でも思うが、たぶん何もない。
厳密に言うと、無意識下に何かあるのだろうけど、そんなものは生きている限り誰しもあるものだ。
結局、一日から数日のうちに元に戻っている。
時間が解決するとよく言うが、本当にその通りだ。時間がただ経過していく、時にそれは何よりの薬になる。
その間も、人は頑張っているのだ。ただ待っているだけの状況も、自信を持ってほしい。

こんな僕でも、僕を知る人には「今日元気ないね」と言われたりすることがある。
僕は外に出るとニコニコしているので、その違いがわかるのもすごいなと思うが、やはり何か違うのだろう。人は本当に敏感だ。
それだけ敏感なのだから、すぐ争うし、すぐ気を許す。
僕も、調子が悪くなるたびに「もうずっと黙っていたい。絶対に出しゃばりたくない」と心に決める。
デフォルトがそんな感じなら、誰も僕の変化に気づかないだろう。
しかし、生きていくというのはそう簡単なことではなく、やはりニコニコもしなくてはならないし、お世話になっている人なら、それなりの対応をしたいとも思うのだ。
そうすると、色々とズレてくる。
ズレることで、周囲に良い印象を与えられるなら、それでも良いかもしれない。
この辺りは、どちらを取るかという生き方の話になるだろう。

しかし、20代もそこそこになってくると、そろそろ「自分はこういう人間なんで」という表明をしていかなければ、この先ジリ貧になるのが目に見えている。
人は誰かのために生きているのではない、自分のために生きているのだ。

誰かのために生きるのは良い。立派なことだし、人に迷惑をかけるよりもずっと良い。僕だって、できたら何かの役に立てたら良いなと思う。
でも、人間は愚かだ。そんなことを繰り返していると、次第に「誰かのため」が「誰かのせい」にすり替わってしまう。善意で始まったことも、いつしか他者の要請によって動いているような感覚に陥る。
そんな経験を何度もした。
自分の人生なのに、いつしか家族に対する憎しみをいかに成就させるか、という人生にすり替わっているのである。

正直、もういい加減、挨拶をしても返さないやつだなとか、話も広がらないし面白くないやつだな、という感じを定着させた方が良いな、と考えている。無理をしないことが一番だ。
随分、社交的になったよな、と自分でも思う。
社交的というか、流されるようになったなと思う。流されることがとても大事なことだと知ったのだろう。
無理は、すべき時のために取っておく方が良い。

あるいは、「流すこと」も重要だ。
こちらの方がむしろ技術としては高等だろう。
あらゆる感情を、いなす、流していく。人の感情も、自分の感情も、川の流れのようにそこに留まらず、こだわらず、忘れてしまう。
それが一番良い。
そうすれば、もう「語らなくて」いい。
いちいち言葉で何かを訴えたり、態度で示さなくてもいい。
そんな境地までいけたら、もう誰と争うこともなく、いつも平常心を保っていられるだろう。
そうなった時、僕は何を思うだろう、何を考えるだろう。時間だってきっと有意義に使えるはずだ。
そこには、どんな楽しさがあるだろう。

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