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卵巣がんと治療と生活と【2】

入院、手術、仮診断(2023年11月)
 
手術前日(2023年11月6日)
母と病院で待ち合わせをする。コロナは5類になったが、病院での面会は原則禁止。入院の手続きを済ませると、病棟の入口で母と別れた。
入院すると、少しして昼食の時間。その後はレントゲン、血液検査、麻酔科の説明、剃毛、おへその掃除と忙しい。夕食後は下剤を飲む。明日の朝は浣腸の予定。
いよいよ明日は手術なのだ。怖い。病気も手術も麻酔も、その先のことも全部怖い。
担当の若い看護師さんが心配して消灯時間の前に声をかけてくれるが、一言でも弱音を吐いたら、何時間でも泣いてグチってしまいそうで、かえって何も言えない。いや、タガが外れたら、シクシク泣いてグチるくらいでは済まない。泣き叫んで、暴れだしそう。病室のカーテンを引きちぎり、椅子を投げ飛ばし、誰かれかまわず罵詈雑言を吐き、パジャマのまま外へ走り出しそう。(本当にやったら犯罪)
でも大人だから、看護師さんには「ありがとうございます。大丈夫です」とだけ言う。
 
ベッドに入り、もう一度、自分で自分に言い聞かせる。「私の腫瘍は良性。取ってしまえば終わり。明日手術すれば、こんな思いも終わり。だから大丈夫」
でも結局、よく眠れず朝を迎える。
 
 
手術当日(2023年11月7日)
手術は朝9時から始まる。朝食はないので、顔を洗い、歯を磨き、浴衣を着て、手術室へ持っていく腹帯とT字帯を用意する。テレビを見て時間をつぶす。でも全然、テレビの内容が頭に入らない。友達から「がんばって」というラインがくる。
いよいよかぁ・・・。
 
血栓予防の弾性ストッキングを履き、看護師さんに付き添われ、手術室へ向かう。
手術室は10室くらいあった。一体、毎日どれくらいの手術が行われているのだろう。入口で名前と生年月日を訊かれ、中に入ってからも、名前、生年月日、どんな手術をするかなどの質問をされる。初めて見る本物の手術室は、ピカピカで思ったより広かった。緊張しすぎと、ドラマの中に入ってしまったような高揚感とで、妙な興奮状態になる。
パンツ一丁で細いベッドに横になり、タオルをかけられた。
 
「麻酔がきいてきます」という説明があり、一瞬で目の前が真っ暗になった。と思ったら、右の二の腕をたたかれた。
「・・・さん、手術終わりましたよ」
本当にまばたき一回分の間の出来事だった。目は覚めても、ぼんやりしている。痛いとか苦しいとか感じない。まだ手術室にいるらしい。周りで人が動いている。「お部屋へ戻りますね」と言われ、ベッドが動き出す。エレベーターに乗り、病室へ戻る。口には酸素マスク、両腕に点滴、脚に血栓予防のポンプがつけられ、導尿の管もついている。そのときはわからなかったが、お腹にドレーンも入っていた。
 
どれくらい時間が経ったか、執刀医が来て、境界悪性だったと言われた。境界悪性なら、抗がん剤治療は必要ない。退院すれば、あとは経過観察だけだ。
この診断が仮のものだとわかっていても、うれしかった。もう心配しなくていい。信心深くない私だが、このときばかりは「神様ありがとう」と心から思った。
 
その後、看護師さんが何度も様子を見にきたが、ほとんど覚えていない。まだ麻酔が残っていたのだろう、夢うつつだった。思ったより早く終わったらしいが、時間を確かめることもできなかった。翌朝まで、眠っているのか起きているのか、わからないまま時間が過ぎた。
 
 
手術後1日目
手術から一夜明けても、ぼーっとしている。ほとんど動いてないからか、痛みはない。
朝、担当の看護師さんが来て、足の血栓予防のポンプと酸素マスクをはずす。今日から自分で歩いてトイレに行かなくてはならないそうで、導尿の管もはずされる。ドレーンのパックを入れる小さなポシェットを首にかけられる。
まずは水を一口飲んでみるように言われ、水を飲む。次はベッドから起きる。お腹が痛い。体を起こすだけでも一苦労だ。麻酔がまだ抜けていないのか、フラフラの状態だ。やっと起き上がったら吐いてしまう。
でも看護師さんは容赦ない。口調は優しいが、今日はやめておきましょうとは言ってくれない。点滴がぶら下がっている棒につかまり、看護師さんに付き添われ、フラフラのままトイレまで歩く。
トイレ、こんなに遠かったっけ?これは罰ゲーム?
 
この日は、水を飲んでは起き上がって吐くを3回繰り返した。それでも点滴のおかげでトイレに行かざるを得ない。傷は痛いし、体はダルくて動かないし、文句を言う気力もない。泣く元気もない。つらい一日だった。
 
 
手術後2日目
麻酔がまだ抜けていないのか、昨日よりマシだがぼんやりしている。水は飲めるようになった。
水が飲めたら、昼から食事が出ると言われた。食事といっても重湯と具なしスープだけ。それでも食べるのが一苦労だった。スプーンに液体をすくって飲み込むだけなのに、三口で疲れる。食事をとるのに、こんなに体力がいるなんて考えもしなかった。
看護師さんからなるべく動くように言われるが、トイレに行く以外はほぼ寝ている。動きたくないのに、尿意は遠慮なしにやってくる。今日もトイレ地獄。
看護師さんに体を拭いてもらい、着替える。少しだけさっぱりした。
 
 
手術後3日目
点滴がはずれ、食事はお粥になり、少しずつ食べられるようになる。
トイレは、点滴棒につかまりながらも、付き添いなしで行かれるようになった。起きるときに痛みはあるものの、確実に体が動くようになっている。今日も体を拭いてもらい、着替え。シャワーの許可がでないので、看護師さんに洗髪してもらう。そういえば手術の日以来、初めて歯を磨く。
 
昨日までは、テレビも少し見ただけで疲れてしまい、起きているときもじっとして横になっているだけだった。
3日目になって、自分が今どんな状態かようやくわかってきた。4人部屋のカーテンで仕切られた狭い空間で、朝食を食べているときのこと。
手術の前のとてつもない恐怖、やっと終わったという安堵感、普通に食事ができる喜び、なんとか乗り越えた自分をねぎらう気持ち、いろんな思いがどんどんあふれてきて、涙が止まらなくなってしまった。
手術、ホントに怖かった!でも私、がんばったよ!私、生きてるよ!!
 
 
手術後4日目
体の回復するスピードがどんどん速くなっていく。
おとといは重湯でさえ持て余していたのに、出される食事をほとんどたいらげる。トイレに行くのに点滴棒もいらず、ゆっくりだが何にもつかまらずに歩ける。自分で体を拭き、着替えをする。洗髪も自分でできる。日にち薬とは、こういうことかと実感する。
 
心の回復は、行きつ戻りつという感じで、ふとした瞬間に手術前のつらい気持ちがよみがえってくる。
入院していると、周りも病気の治療をいている人ばかりだ。若い人もいれば、私の母親より年上に見える人もいる。家に子供を残して入院しているらしい人。抗がん剤治療を受けた人なのだろう、ずっと帽子をかぶっている人。誰かがつらそうにしているのを見るたび、誰かが家族と電話しているのが聞こえてくるたび、涙が出そうになる。だいぶ情緒不安定な私。
どうか、みんな早く良くなって普段の生活に戻れますように。
 
 
手術後5日目
体力が戻ってきて、だんだんヒマを持て余すようになる。食事は完食。徐々に普通の速さで歩けるようになる。看護師さんも驚いていた。
ヒマなので病室のすぐ近くにある洗濯室で洗濯してみたり、用事がなくても病棟内を歩いて体力作りに励む。
 
病院内にスタバがあり、体力が戻ってきたら行ってみようと思っていた。ついに自分へのご褒美にジンジャーラテを買ってくる。ラウンジで飲みながら読書する。
 
 
手術後6日目
今日も時間を持て余してしまう。明日は退院できると思うとうれしい。しかし病院にいるあいだは、家事を一切やらなくてよかったが、一人暮らしの身ゆえ、明日からはすべて自分で何とかしなくてはいけない。ま、退院後の心配は置いといて、今日もスタバへ行く。
 
退院前に心配なことがふたつあった。最後にシャワーを浴びたのは、手術前夜。体を拭いて、髪を洗っているが、シャワーを浴びないまま7日経っている。「ドレーンが抜けたらシャワー」と言われ待っていたが、その日はいつ来るの?このままでは、シャワーを浴びずに退院なのでは?
 
もうひとつは、手術当日に履いた弾性ストッキング。体を拭いた後も、汗で湿ったストッキングを再び履かされた。洗い替えは用意されておらず、寝る時も24時間ずっと履いたままで、もう一週間たつ。普段の生活なら、昨日履いた靴下を翌日も履くことはないが、これはいつまで履いていればいいの?おそらく人生で一番足が臭い日。
 
私が入院している病院は、医師も看護師も若い人が多い。自分が年だからなのか、学生にしか見えない人もいて驚くが、どの方も真面目で優しいので、こちらも言われたことは素直に聞く。でも、その反面、若い看護師さんに質問しても四角四面な回答しかもらえないこともあり、もどかしかった。
 
その日の担当看護師は、名札に「主任」とある私と同年代らしい女性。シャワーをまだ浴びていないこと、弾性ストッキングを履いたままであることを話す。彼女は驚き、ストッキングは歩けるようになったら脱いでいいことを教えてくれた。
ドレーンは抜いてもらえなかったが、防水テープを貼り、手術の傷も確認してくれて、シャワーを浴びていいと言ってくれた。よかった!さすが主任、頼りになる!!
 
シャワーを浴び、さっぱりした。一週間ぶりにストッキングなしで眠る。
明日はいよいよ退院だ!

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