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爪を切ると死ぬわたし

爪を切った。
爪を切ったら、なんか死んだ。
なんか死んだような気分がした。


ネイルが大好きだ。
長く長く伸ばして、生活に困るくらいのゴテゴテのパーツをつけて、キラキラと光る手元はいつまでだって眺めていられる。
常に視界に入ってくる精神安定剤。可愛い。可愛い。

スマホを触るとカチカチと音が出る。人間の身体からは発せられないような音。その音に酔いしれて、またつい眺めてしまう。

だけどその裏にはしっかり肉体があって、ふにふにとした蛋白質の気持ち悪い感覚が必ず付きまとう。
吐き気がする。自分がちゃんと人間で動物で血の通った生命体だということを、嫌というほど認識させられる。

ネイルベッドが伸びますように、より厚く頑丈な爪が伸びますように、とせっせと塗り込むハンドクリームもネイルオイルも全部、私が動物であり代謝と細胞分裂を繰り返すその過程を必要としている。
見たくないものを露わにしないように細心の注意を払っていながらも、結局は人間であることが前提条件で。


いやだからこそ、ネイルは私から動物らしさを奪ってくれるんだとも思う。
しっかりとコーティングされたプラスチックみたいなその存在は、爪の表面に塗布されたただの塗料のはずなのに、まるで自分の身体までもが美しいかのように錯覚していく。

爪先の美しい形象は、そのまま太い指先や醜い図体までもを覆い隠してしまうかのようで…

太い指だね、まるでグローブみたいだと言われ続けて成長した私の肥大なるコンプレックスは、この美しいネイルを際立たせるためだけに誕生したのだと思う。
私の意思なんかお構いなしに生えてくる指毛からも、赤ちゃんの手がそのまま大きくなってしまったような醜い指からも、中途半端に焼けて黒くなった皮膚からも、全部視線を遠ざけてくれる。



鋭い爪と牙。
私が世界で生きていけるための、武器なのでしょう。

牙はなくても、十分爪で戦っていけます。
でも、爪がなくなったら…??


飼い猫の爪を切るたびに、小さな小さな体から確かに生えた武器を奪っているようで苦しい。
爪も牙もなくったって生きられるんだよ。そんな環境を与えてあげてるんだよ。だからここにいなさい。
そうやって相手の強いものを奪って、奪い続けている。

こんなに長く鋭く美しい爪を持ち合わせているのなら、あんたなら人間社会でもやってけるんじゃない?という幼稚で微細な妬みは、 きっと私が人間だからこそ感じることでもあるんだろう。


色々と苦しいことが重なって、パニックになってしまって、さっきネイルをオフしてしまった。

ああ多分、きっとこれは、自傷行為なんでしょう。
リストカットやオーバードーズじゃなくても、直接神経を刺激しなくても、私はたった爪を切るという行為だけで十分苦しむことができる。
コスパのいい女だ。



去年の8月、腰まであった長い髪を30cm以上切ってしまった時と同じ感覚がした。
「みっともない」の一言は私を模擬的な自死にまで追いやった。
周囲はみんな就活で髪型を変えていたし、親には毎日のように「清潔感がない」と言われていたし、21にもなると殆抗う気力もなくて、ああそうですかと切ってしまった。 

切断された私の可愛い可愛い毛母細胞たちはもはや私のものではなく、突然宙に放り出されてしまったようでかわいそうだった。
愛しているものを失った苦しみを押し殺しながら、ヘアドネーションするから持って帰りますぅ、と薄ら笑顔を浮かべて吐いた嘘は、案外美容師さんにはバレなかったようだ。

今でも棚の奥底に、くるくると魅惑的なカーブを描いた私の髪の毛は眠っている。
何のために?さあね。


こんなにも苦しかったのに、私という人間は案外心移りが激しいようだ。
先月、ヘアエクステをした。人毛を自分の毛根に特殊な方法で編み込んで、まるで地毛が長いかのように見せる付け毛のことである。
人毛ということだけれど、また私が髪をどこかに寄付すれば、髪は巡っていくのだろうか。

腰まで届く髪は私のものじゃなく、でも確実に私の身体の延長として風になびいていく。


吐き出す唾は汚いか。
溢れる涙がハンカチに吸い取られた後は、悲しみを有してはいないか。

切った爪は“ネイル“じゃなく、
切った髪は“ヘア“じゃなく、
もはやカタカナで綺麗にまとめられるような代物ではなく。
けれどそれまで形を保ち続けていた“それ“は確実に私の身体であり、私の身体もまた“それ“だった。
同化していく。境がなくなって、肉体が宙に溶け出していく。そんな錯覚。


爪は、自分の唯一の長所なんだ。頭がいいとか、足が速いとか、自分の身体一つで勝負していないという卑怯さは置いておいて、私は自分の可愛い可愛いネイルが自慢なんだよ。
そんな強い思いも生きがいさえも、TPOの前では容易く崩れ落ちていく。


私の身体も思考も何もかも全て、宙に放たれていく。

蒸発していく皮膚の水分。
トイレに流れてゆく排泄物。
採血で管を登っていく鮮血。

何のために体外に放り出されるのだろう。私の身体のかけらたち。

結局は他人から巡ってきた元素を吸収してるだけなんじゃないか。
物質の最小単位が還元され続けるのであれば、私はどこに存在するのだろう。


いったいどれが私の身体なのでしょう!


そう考えると私はもう、ほんとうに、どうしようもなく、
生きたくないよう、、と捨鉢になるのでした。

苦しいね。

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