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Hさんは生きていた。

私にはルンペンの知り合いがいる。

それは、20歳頃に梅田の歩道橋の上で
何彼構わずアコースティックギターを
弾きながら歌っていた。

そしたら、隣にルンペンのHさんが座っていて
知り合いを介し話するようになった。

初めはルンペンのそばに寄った事も話した事も無かったから大変ビビっていたが、

彼は心の優しい人だった。

ある時隣でギターを弾きながら歌っていて
合間に

ツカツカっと寄ってきて、
「ミヨシ君これ弾けない?」

と歌の本を持ちながらページを指差していた。

その歌は今となっては全く覚えていないが、
弾いて上げた記憶がある。
しかし知らないものだったので断念したような気もする。

つまり彼は、歌の本を小脇に持っているほど
歌が好きなのだ。

まあだから彼とは親しくなれた訳なのだ。


見た目はビンラディンのような風体をしている。
(今となってはビンラディンも懐かしい人になったな)

山陽地方の生まれで、お家はお金持ちだったらしい。

そう言えば、彼が書いた詩に曲を付けた事もあった。
聞かせた時あまり納得していなかったけど、
そんな交流もあった。


なぜ、そんな彼の話を持ち出したかというと

今日久々に梅田の街で彼を見かけたのだ。

歩道橋の上には今は居てなくて
違う場所だった。ちょっと出合い頭だった。

優しい眉毛はより八の字になり、

相変わらず、ビンラディンのような風体。

言葉は交わしていないが、

元気そうだった。

コロナなど色々あった最近だが元気そうだった。

初めて出会ってから20年弱。

だいぶ付き合いも長くなってしまった。

大阪の梅田には色んな思い出があるが、
彼もその内の1人である。

また、ふとした時に出合うのだろう。

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