「外国人」になったイチロー選手から聞けてよかった言葉

少し出遅れましたが、先日のイチロー選手の引退会見の全文を読んでいて強く共感を得た部分について、個人的に思うところがありましたのでこちらに記してみます。


引退会見直後に一度全文を読んでみて、さらに時間を置いて今、もう一度読んでみたところです。

最も共感したのは、会見当日に読んだ時と同じく「孤独感を感じながらプレーしている」との過去の自身の発言についてコメントしている、最後の部分でした。

アメリカに来て、メジャーリーグに来て……外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。このことは……外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。孤独を感じて苦しんだことは多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと、今は思います。

このような答えがイチロー選手の口から出てきたことは、実は最初は少し意外に感じました。

「孤独感を感じながらプレーしている」というその孤独感はきっと、偉大な記録を打ち立てるほどの卓越した才能と技術を持ち、普通ではない努力を重ねて高みに上った人だけが感じるような、何か特別なものではなかったのと想像していたからです。

しかし実際には、その孤独感の中身は「外国人になったこと」だったというのですから、驚きました。

野球というスポーツで誰もが認める能力を持ったあのイチロー選手ですら、活動の拠点を海外に移したことで難しさを感じていたというところに、やっていることの中身も場所も全く違えど、自分のブラジルへの移住体験が重なり、思わず共感してしまったのです。


本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれない。

インターネットの発達で、外国人の考え方や仕事の進め方、生活様式など、情報は簡単に取れるようになりました。あるいは、日本を訪問したり定住する外国人も増え、普段の環境や時間軸の中で「点」として外国人と接する機会も増えてきました。

それと比較して、周りの全員が自分とは異なる文化背景を持つ状況、言い換えれば、点ではない立体的な広がりを持つ異文化の空間に自分を置く状態は、それとは全く異なる──そんなことをおっしゃりたかったのでは、と想像しました。

イチロー選手の場合は、それに加えて時間軸として終わりが見えない状況下で異国の環境に身を置いた、ということもあったのかもしれません。

相手の国の文化を理解するということは、たとえ環境をガラリと変えたとしても、一朝一夕でストンと腑に落ちるようなものではありません。数多くの葛藤を経て、時間をかけて理解が深まり、そこで初めて相手の異なる点を尊重できるようになるというものです。

「体験しないと自分の中からは生まれない」とは、そこまでの状況に至ったからこそ出てきた言葉なのだろう、と感じました。


外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。

ただでさえ競争の厳しい世界で、ひとりの外国人としてそこで認められるために、並々ならぬ苦労があったことと想像します。このコメントは、それを経たことによって、翻って自分が普段何気なく接する相手にも同じ痛みを与えたくないと行動するようになった、ということなのではないかと個人的に理解しました。

そこには、自分の記憶が遡る限りの間の過去に、いかに人と接してきたかという内省が生まれます。そこから自分の行ないを見つめ、少しでも態度や行動を変えようという力が生まれてきた、ということなのでしょう。想像にしかすぎませんが、少なくとも自分のケースとはそう重なりました。

そんな実体験を数多く重ねていくと、いずれ内面も変わってくる。異国での体験を通じて自分も感じていたことを、イチロー選手が見事に言葉にしてくれことに、深い感動を覚えてしまいました。

この記者さんも、実に素晴らしい質問をイチロー選手に最後にぶつけてくれたと思います。


記者会見全文を改めて読み直してみて感じましたが、イチロー選手の受け答えには、全体を通じて、彼が外国人となったことで現れたという「今までなかった自分」の、一種の優しさのようなものがにじみ出ているような気もします

その根底にはやはり、その「体験」があるのだなあと感じました。

ちょっと拡大解釈が過ぎたかもしれませんが、海外に住むいち日本人にとして、イチロー選手の言葉をとても心強く受け止めたということを、こちらでお伝えできればと思います。

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