ビジネスのアート思考ってこういうことか
こちらCOMEMOで「ビジネスのアート思考」というキーワードを何度も拝見し、自分の仕事の中にはどんなアート思考があるかな、と考えるいいきっかけをいただきました。
自分なりに考えを整理するのに、記事にしてみようと思います。
ワクワク度を高めるアート
仕事の成果で相手のワクワク度を高めていくって、アートだと思います。
その相手のワクワク度を高める方法の一つに、分からないことを分かるようにするという方法があります。好奇心をくすぐるというものですね。捉えどころのないものに形を与えてみて、少しでも輪郭をはっきりさせることで理解の一助となる材料を差し出すというのは、非常に人に喜ばれます。それは私自身が、誰かからヒントを与えてもらえると嬉しいと感じることの裏返しでもあります。
ブラジルで企業向けのサポートを提供している私にとって、この複雑怪奇な市場をいかに紐解いて単純化して見せていくか、そしてその結果こういうアプローチがあるよねという話につなげていくことは、1つのアートです。
例えば、社会を風刺した写真や絵画があったとして、それを眺めながら「あーなるほど、これをそういう風に描きますか」と思うことはありませんか?その描き方の部分が、自分の仕事の中で最もアート思考を使っている部分だと考えます。
そういう意味では、(自分なりの)アート思考はすでに実践していると捉えたほうです。
一方で、アートは属人的
ただ、アート思考に基づいて創られた制作物は残るとしても、どうしても「個人が制作する」「個人の行動の結果となる」という点では属人的な部分もありますね。
それが組織となると、もはやそれは個人制作ではなくオーケストラのようなものであり、組織のリーダーはその指揮者に当たります。するとチームメンバーはオーケストラの一員となります。ここでは、楽団としてアートを提供していることの意識付けが全員に必要になってきますね。
音楽の場合、それ自体がアートだから、アートを表現する一員となっていることを意識するのは容易いと思うのですが、それを組織としてビジネスで行なう時には、各メンバーにアート思考を持って取り組んでもらうのは、なかなか難しいことかもしれません。
つまりは、舞台に上がっているという意識が持てるかどうかということなんでしょうか。リーダーにも一層のアート思考が求められますね。
日本語とアートの相関性
またこれはごく個人的感覚ですが、象形文字から発展した漢字をベースとした日本語を操る日本人は、欧米の人に比べて、物事をより絵的に捉えているような気がしています。
欧米のアートの発展は、そう考えたときに、アルファベットという文字の羅列で世の中の事象を捉えるのではなく、むしろもっと視覚的に表現しよういう方向性が明確にあって発展したものなのかな、とすら感じることがあります。
ちなみにブラジル人は、「愛」「友情」「勇気」「金」といった漢字が大好きで、中にはタトゥーで体に入れている人もいます。一文字一文字にそれぞれ意味があることに、特別な価値や面白さを見出しているようなのです。
だから名前を漢字で書いてくれ、と頼まれることもあります。例えば"Rafael"という名前の当て字を考えるなど相当に難儀するわけですが、単純にカタカナに音を直して「ハファエル」で終わりとするよりも、漢字に置き換える際に少しでもいい意味の漢字を頭の中に探しに行くのは、それはそれで楽しめるものです。その感覚は、作業というよりはアートに近いものです。
そう考えると、日本人の名前なんてどれをとってもとても絵的ですよね。日本人独特の感性は、そうしたところからも生まれてくるのかな、と考えるのです。
文字の羅列で分かりにくいブラジルの商習慣や法規を、事象を絵的に捉える日本人に伝えていく、そしてビジネスの考えを深めていくというお仕事は、通訳や翻訳という作業というよりは、むしろアートに近いものだと考えます。
訳語が頭の中にすっと入ってくる上手な通訳が芸術的に聞こえるのも、やはりそこにアートの要素が多分に入っているから、なのかもしれません。
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