見出し画像

平成は満腹の時代、令和は空腹の時代

ハングリー精神 ── この言葉は流行語でもないにもかかわらず、まるで死語にでもなったかのように日本人の口から聞かれなくなった気がします。

平成を振り返る特集記事を読んでいると「失われた30年」という言葉が必ず出てきます。

平成で失われたものの1つに、私はこのハングリー精神も加えたいと思っています


海外在住アラフォーが振り返る平成

今、40歳の私なりに平成を振り返ってみます。

日本を代表する大手企業の不祥事やリストラ、就職氷河期、非正規雇用の増加、人口の減少、少子化の進展、高齢化による社会保障負担の増加、金利、デフレといった「失われたもの」は、実に数多くありました。

では、その間に得たものは一体何だったのでしょうか。

思いつくのは街中のコンビニの多さ。どこに行ってもモノに溢れかえり、いつでもどこでも手に入るという利便性は高まりました。私はこの時代のおよそ半分をブラジルで過ごしていますが、帰国の度に、そのような日本のモノの多さにとにかく辟易します。

国外にいてこそ感じたこととして、日本のプレゼンスが徐々に低下していった点が挙げられます

身近なところでは、日本ブランドの製品が姿を消し、ブラジルで少し数が増えたかなと感じるのは日系メーカ製の乗用車くらいです。

中国や他の新興国が経済規模を大きく拡大し、新興国がグローバル経済の主役として組み込まれていったのもこの30年の間でした。

インターネットの普及もそれを大きく後押しし、今や誰もが手元のごく小さな端末で、地球の反対側の人とテレビ通話ができる世の中になりました。私にしても、こうした技術の恩恵に授かれるからこそ今こうしてブラジルに住めているようなものです。

そして今後は、言葉の壁すらテクノロジーによって克服されつつあります。本当にすごい時代になってきました。


「昭和日本」の面影を求め続けた平成

そうして世界が狭くなり、個人の行動範囲が広がったにもかかわらず、日本の存在感は相対的に下がったわけです。

他の国に追いつかれるのは先を行っていた者の宿命だとしても、この「失われた30年」の何がまずかったのかは、やはりここは謙虚に反省し、次の時代や世代につなげていかなければなりません

昭和の時代に得た豊かさを失わないように、手にくるんで大事に守っていたら、気が付けば指の間から抜け落ちていった。リスクを取らないようなるべくじっとしていたら、自分たちだけがどこかに取り残されてしまった。悲観的に描写するとこのようにも書けます。

とはいえ、日本が未だにGDPで世界第3位に踏みとどまり、そのまま令和の時代を迎えられたのですから、逆に大したものだとも思います。

これは大きなアドバンテージであり、これまで積み上げてきたものを貯金と表現するならば、それをこれ以上減らさないように行動していかなければなりません。


外国人労働者はハングリー精神の塊

令和という新時代が始まろうというこの時期に、日本は外国人を労働力として受け入れる方針に舵を切りました。

これによって、外国人が日本の労働市場に参入してきます彼らは、ハングリー精神が旺盛です。

日本国外ではほとんど役に立ちそうもないニッチな言語である「日本語」をどんどん吸収し、今やコンビニでの接客もこなしてしまう方々です。ブラジルで外国人として暮らす私からすると、そこに挑戦するだけでも彼らはハングリー精神の塊だと思います。

しかし、私が彼らをそう褒めると「いや、彼らは母国では十分な収入が得られないのだから、そこでも働かざるを得ない事情があって仕方なくやってるんだ」などと言われることがあります。

それはそうかもしれません。しかしハングリー精神とは、元々そういうものではないでしょうか。何も、スポーツの金メダリストや世界的に著名な経営者の専売特許ではありません。

テレビや新聞で紹介される成功者には憧れるのに、身近で慣れない日本語を必死に操って働いている外国人を、どうすればそのような哀れな目で見つめ、傍観者気取りできるのか?私はそう思ってしまいます。

そういう意味では、日本語の「ハングリー精神」という言葉自体にも、どこか美化された響きが含まれるようになってしまったような気がします。

別に食うのに困らないのに、それでもハングリー精神を維持して果敢に物事に挑戦する人というのは、世の中にはいることはいます。しかし本当に空腹な人が生きようとする時に発揮する力は、見る者を圧倒します。それが本来のハングリー精神というものですよね。


令和は空腹の時代

平成の後半になって、日本社会の格差の広がりを指摘する資料や統計が多く出てくるようになりました。そしてその最後の最後に、新卒一括採用制度の見直しや、45歳以上リストラなど、これまでの日本人的なキャリアプランでは想定されなかったような動きが出てきました

これまでの時代は、レールを外れれば命取りと考えられていましたが、いよいよ、そんな拠り所となるレールすらない時代になってきています。令和では、「レールを外れる」という言葉こそ死語になるはずです。

転職・起業・複業という言葉が一般的になってきた背景には、第一にその垣根が下がってきたということもありますが、それを察知して動こうとする人が増えているからと考えられます。しかしそのどれも、本気で取り組むのなら大きなエネルギーが必要です。

それに加えて、知識、経験、語学力、機転、想像力、交渉力、決断力など、個人の様々な能力がその際に求められるわけですが、そもそもそれらを培うための土台がなくてはなりません。それこそ、どこでも生き抜こうとする力、つまりハングリー精神なのだと考えます


ハングリー精神を培うのは難しい?

しかしハングリー精神なんて、どう培えるものなのでしょうか。

例えば、当地ブラジルで接する現地の人には、自分が持っていなかった類のハングリー精神を感じることがあります。

生活を少しでも良くしようと、昼間は働き、夜間は学校に通うブラジル人の学生。大正から昭和の時代に日本からブラジルに移住して、今や様々な分野で活躍する日本人移民とその家族。そのどちらも、大きな後ろ盾のないところから出発している点は共通しています。

その一方で、平成の日本からやってくる人と当地で接していると、「ただなんとなく」「どうすればいいか分からない」という人が実に多い。私にしても、ブラジルに来たての頃には、またそんな若者が来たかと思われていたことと思います。でも両方を知る今となっては、平成の日本人のそんな姿に危機感を覚えます。

多分、みんな優秀なのです。しかし自信がなさそうに見えます。自信がないから頑張れないとも言えますが、もし頑張れないのであれば、それは自信とは関係なく、ハングリーな状態にないからです。

生まれながらにハングリー精神を生まれ持っている人はさておき、後からそれを湧き出させようとするのなら、ハングリー精神に富んだ人たちの中に身を置くことです少なくとも、自分にはそれがなかったのだということに先に気付く必要があります。

勉強すれば少しは分かるようになる語学などと違い、ハングリー精神は置かれた環境と人間関係から自分の中に湧き出てくるものです。だから、今の日本ではなかなか得ることが難しいものなのでしょう。


満腹だった平成の延長の日本でそれを身に付けにくいのと感じるのであれば、近道として、海外にその環境を求めるのは1つのやり方だと思います。

だからといって、海外ならばブラジルが最適だと言うつもりは毛頭ありません。しかしハングリー精神を持っていそうな人がどこに集まっているかに常に注意を払い、チャンスが巡ってきたらそこに深く入り込んでみるのは、十分に考えられる方法です。

加えて、それまで当たり前に話せていた言葉がガラリと変わり、不自由になるという環境は、自分の中にハングリー精神を湧き出させるにはうってつけの環境です。

ただし、そこで決してナルシストになってはいけません、本気で逆境に向き合うことです。ハングリー精神を発揮することは、決して恥ずかしいことでもないのです。


令和の時代を迎えるに当たり、個人的にひと区切りをつけるとしたらこんなところでしょうか。

満腹感を振り払って行動する人が、令和にはもっと多くなり、活気あふれる時代となることを願って。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?