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酷だなあと思うこと
“自慢話”
これは誰かを傷つけることはある、だが、誰かを幸せにすることはないとふと思った。
私自身、気づかぬうちに自慢話をしてしまうことが多々ある。
これがもしかすると、相手を傷つけてしまうかもしれない――否、かもしれないではなく、これが相手を傷つけることに気づかぬまま無邪気な笑顔で自慢話という剣を振り回していた。
愚か、最低、死んでしまいたい。
やめよう、もう。
そもそも、私の自慢話に誰が興味を示すのだろうか? 違う、興味ではない、私の自慢話が誰かを幸せにするのだろうか?
馬鹿らしい。
馬鹿らしいと書いた、その上、矛盾するが、これは、これだけはどうしても書きたい、これだけは書きたくて仕方がない。
なので、お許しください。
私が愛用しているクロックスサンダルの話だ。
私は、靴底が擦り切れた黒色のクロックスサンダルを数年間、捨てずに履き続けている。
「これ、いい加減に捨てようかなあ……ぼろぼろだし、今時クロックスサンダルなんて……」と時々思う、が、結局、捨てずにこれを履き続けている。
履ける、まだまだ履ける、なのに、捨てる、捨ててしまう、これは、このクロックスサンダルを殺すことを意味する。
このように解釈してしまい、これを捨てられないのだ。
ところで、クロックスサンダルって履き心地がいいですよね。
昔、大流行しましたね。
これを履いておられる方を今やほとんど見かけない、今時これを履いているのは多分私くらいだろうなあ。
ごめんなさい……靴底が擦り切れた黒色のクロックスサンダルを数年間、捨てずに履き続けているとの自慢話をしてしまい……皆様、本当にごめんなさい……。
長くなりましたね。
私の想いが皆様に伝わると、伝わったと信じます。
それでは。
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