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好き? 嫌い? 競輪
ところで、千速は一時期、競輪に血道を上げていた。
車券と言う、すると、人々は車検と認識する、これが競輪の実情である。
馬券と言えば、競馬、一方、車券と言えば、車検、これが競輪の実情なのだ。
競輪、これはとにかくマイナーなギャンブルである。
当時、舟券も買っていたが、競艇以上に千速がのめり込んだのがこのマイナーなギャンブル、競輪だった。
妨害、落車が当たり前のように起こる、何より勝てないギャンブルの代表格、これが競輪だ。
このような遣る瀬無い博打になぜか、なぜかのめり込み、まるで空気を吸うように車券を買った、買い続けた。
相反するが、車券を買う時、千速の脳内でドーパミンがどばっと分泌されていたわけではなく、これを買うことが本当は苦痛だった。
本当は苦痛だった、しかし、車券を買えば、その予想がもしも当たった場合、払戻金で孤独を紛らわすことができる。
その上、当時の千速は文字通り無趣味だった。
無趣味であり、暇を持て余している――となると? 想像に難くない、車券を買う頻度が増える。
悪・循・環!!
ほんま、車券を買うよりも車検に行く方がええで。
ちなみに、当初は少額で満足していた。が! 少額では物足りなさを感じ始め、掛け金を次第に上げるようになる、いわゆる地獄の掛け金アップが始まるのである。
終わりだよ、千速君。
孤独、無趣味、暇を持て余している、ここにすっと、文字通りすっと忍び込んだ博打という名の魔物に拍手喝采を送りたい。
買って、負けて、買って、負けて――これが続くうちに金銭感覚が狂った――のではなく、千速の身に異変が起きたのである。
諭吉が、福沢諭吉がお金ではなく、ただの数字にしか見えないという異変が起きたのだ。
あっ、「千速さん、今は福沢諭吉ではなく、渋沢栄一ですよ」という哀しいツッコミはやめてください、千速の時代は英世、一葉、諭吉で止まっているんですよ、千速は時代の波に乗り遅れているので、新札を一度も、本当に一度も見たことがないんですよ(千速は別名デビット君です)。
長い!! 長い!!
さて、話を本筋に戻す。
諭吉が数字にしか見えないことに危機感を感じない、それどころか、変動する数字を楽しむありさま。
そんな千速が目を覚ましたのは昨年の11月、京王閣競輪場でのレースだった。
当時、岸和田競輪場でのレースの車券と、京王閣競輪場でのレースの車券を購入していた。
「ああ……勝ったらええなあ……最近、負けてばっかやからなあ……」と自分の競輪での戦歴(戦歴と表現するな)を悲観し、負のオーラをまとう、とある20代女性が焼肉店で家族と焼き肉を食べていた。
まず岸和田競輪場でのレース結果。
惨敗。
ガールズケイリンである。
あの日、家族と食べた焼き肉の味を今でも鮮明に覚えている。
焼肉店から帰宅、そして、オッズパークで京王閣競輪場でのレースのライブ中継を視聴した。
で、これも惨敗に終わった。
「ああ……うちの競輪人生、終わったな……」
きっと啓示に違いない、千速、いい加減に目を覚ませという啓示に。
その根拠、国民健康保険料の支払いが数日後に迫っていたのである。
このままではいけないと改心(!?)した千速、その後、オッズパークのアプリをアンインストールし、ボートレースのアプリもアンインストールした。
年が明けて、2024年。
オッズパークから雑誌のようなものと卓上カレンダーの2つが郵送で自宅に送られてきた。これらは、千速が競輪にのめり込んでいたことを裏づける、何よりの証拠である。
……。
ちなみに、現在。
競輪からは距離を置いている。千速を競艇沼また、競輪沼にはまらせるような誘惑は特になく、平穏無事に日々を過ごせている。
書きたくないこと……。
だが、この書きたくないことを書き、千速の黒歴史を晒して、この記事を締めくくることにする。
千速は、noteで競艇予想屋と競輪予想屋の有料記事を狂ったようにPayPayまた、クレカで購入していた時期があります。
ごめんなさい、駄目人間で本当にごめんなさい。
駄目人間千速、更生を目指して、頑張ります。
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