鉛筆_2

自分だけのコンテンツは、育てなければ出来上がらない

(約 1,600文字の記事です。)

ここ最近、本当に偶然だが、noteの記事で、同じ意見を複数見知ったのでメモ。それは、「自分だけのコンテンツを持て」という意見。時代が変わっている。セルフプロデュースにより、自分の価値を自分で宣伝し、その利益を自分で得る。サラリーマン的な「組織に自分を守ってもらう」ではなくて、組織が自分の価値を認めてくれないならば、ハイリスク/ハイリターンであるが、自分の価値を直接評価してくれる人に提供し、その価値を得る、と言うものだ。

で、かつてはハイリスク/ハイリターンではあったが、今は違う。宣伝メディアはたくさんある。ローリスク・ハイリターンなのだ。失う物など最初からない。むしろチャンスしかない。メディアは無料で使える。みかじめ料など不要だ。ローリスクどころか、ノーリスクなのだ。そしてリターンが見込める以上、ハイリターンだと言える。

そもそも、自己に価値があると確信しているならば、その価値を世間に問うてみればいい。その手段が無料でたくさん用意されている。組織に属する必要はない。テレビを見ない人がザラの時代だ。電波に囚われる必要はない。SNSの時代だ。誰でもいつでも、必要な情報にアクセスできる。マスメディアに意味はない。マスであることに意味がなくなった時代だ。個人が個人にリーチ出来る時代。そこで、あなたは、誰に何を伝えたいのか。それがきちんとしていれば、自力でなんとでも出来る時代なのだ。組織に依存する理由を脳みそで考えなければならない。

組織は個人を利用している。それだけだ。だから個人も組織を利用すべきだ。滅私奉公など化石だ。保証などない。そもそも、誰も何も保証してくれない時代になった。自分で自分の生きざま、将来を自分で決める時代になっている。

勢いで書いた駄文だが、せっかくなので残しておく。

コンテンツは、作らなければ、出来上がらない。これは意外と難しい。SNSはコンテンツかと言われれば、はっきり言ってNoである。Twitterもインスタグラムも、コンテンツになり得ない。SNSは基本的に流しそうめんなので、後から参照するには不便すぎるのだ。なので、SNS以外の、しっかりと蓄積可能で、後からの参照性のよいメディアを、長期間積み重ねること、これがコンテンツになり得る、と思う。


お手軽な発信手段をコンテンツだと勘違いしている人は、考えを改めた方がいいと思う。SNSはコンテンツじゃない。ただのアカウントだ。後からの参照性のしやすさが、コンテンツのなりやすさだ。noteは、Googleには引っかかりにくいけれどもTwitterやインスタに比べたら格段にコンテンツだ。ブログやHPはかなりコンテンツだと思う。

お気軽な内容は、コンテンツにならない。そんなのは誰でもできるからだ。価値を認めてもらえない。だからTwitterはコンテンツになり得ない。何十万ツイートしたとしても、どれだけフォロワーがいたとしても。それはアカウントであって、コンテンツではない。


十年物のウィスキーやワインを作るには、十年かかる。当たり前だが、同様に、価値あるコンテンツを作るためには、コンテンツを作り続けた歳月が必要だ。それなしには生まれない価値がある。

コンテンツは、残念ながら、熟成に意味はない。寝かしておいて価値が出る可能性はゼロ。逆に、続けた年数に価値が出る。かき混ぜ続けたぬか床みたいに。寝かせていてはだめだ。不活性に価値はない。かき混ぜ続けて、活性化させ続けた年月にこそ、価値が出る。

ぐだぐだ言わずに、今日も続けることだ。そうやって続けてきた足跡こそが、コンテンツだと思うのだ。



今回の創作活動は約30分(累積 約1,209時間)
(422回目のブログ更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊