ひまわりスマイルマーク

趣味のクリエイトには「自己満足」が最も重要

趣味のクリエイトの最も大きな報酬は「自己満足」なのだと気付いた。それなしには趣味ではない。修行とか、義務とか、使命感とか、そういう類いの活動になる。修行には目的が必要だし、義務ならばやるしかないし、使命感を感じているならば、それもやるしかないだろう。だが、趣味となると、進むも止まるも自由だし、誰も何も期待しちゃいない。自分が満足できるかどうかだけが最も重要。それが趣味の活動なのだ。

下描きから描こうが、アナログとデジタルを駆使しようが、3DCGを駆使しようが、そんな些末なことはどうでもいいのである。最終的な成果物に対して「自分が満足できるかどうか」だけが重要。優れているか劣っているかもどうだっていい。他者との比較は、その次のステップ「さらなる高みを目指す」レベルに達した者だけが考えればいいこと。続けるか止めるかを考える人のレベルではない。

絵を描く以上は、「上手い絵を描きたい」という本質的な欲求

別に、全ての絵を上手く描きたいわけじゃない。1カットの絵を、そこそこ上手く描きたいだけなのだ。

下手な絵なら今すぐ描ける。そして幻滅する。沢山の良い絵を見てきたからこそ、自らの絵の下手さに絶望する。描きたくなくなる、というループに陥る。

だから、3DCGを駆使してでも、望んだ1カットを上手く描ければそれでいい。それで自己満足が得られる。3DCGのみでそのカットを創るためには、労力があまりにも膨大すぎた。それに気付いたのが最近のことだ。だから、やはり2次元表現にする必要がある。

個人で「絵」としてストーリー性のある物を作るのは漫画表現が限界かも知れない

モノトーンであり、情報の丸めが適度にできるのが漫画表現。集団や団体ならいざ知らず、個人でストーリー性のある絵を描くための効率化のぎりぎりの表現が、トーンによる陰影を駆使した「漫画表現」が限界なのではないか?と思った。色彩情報を削りつつも、立体情報はギリギリ表現できるし、細部もつぶせるが、必要な情報はペンで細部まで描き込める。

グレースケールほど精細な表現をしなくても、立体感を維持できる。デジタル化したならば、グレースケールのほうが表現力があるが、その表現力こそが仇となる。立体があまりにも正確に表現できるが故に、正確なグレースケールの塗りにエネルギーを要することになる(3DCGレンダリングを除く)。トーンのドットによる粗い情報の丸めのほうがかえってうまい「ごまかし表現」になり得る。

趣味の活動では1日あたりの作業量が重要

とは言っても、1カットに何日もかかるようでは、やる気に関わる。1~2日で1カットは完成させたい。そうでないとモチベーションが維持できない。だから、下絵からトーン付の1カットまでを効率よく作業する必要がある。何度も描いては消す、ということは避けなければならない。それはもはや修行なのだ。ここに3DCGを活用したいと思う。

とりあえずは、しばらくはCLIP STUDIO PAINTを使ったワークフローの模索に充てる予定。クリスタのショートカットや左手キーボードの再設定など。だいぶZbrushで左手の感覚が変わったから、感覚を統一させるように再設定が必要だ。

長々と描いたが、趣味でも「表現する」ことへの執着が捨てきれない、そんな自分がいるんだってことだ。

(198回目のnote更新)


読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊