Twitterっぽいアイコン

Twitterは打ち上げ花火&情報の蓄積性がほぼゼロ

(約 1,000文字の記事です。)

*それ、他人にとって無駄な情報

Twitterの使い方を見直すことにした。情報価値の低いツイートを常時垂れ流すくらいなら投稿頻度を下げて「質の高い情報」を時々流す方がいいと判断。今後のツイート頻度を下げる。ただの日記はブログやnoteやArtStationに付けるに留め、文章を必ずしもツイートしない。ArtStationなどで気が向いたら紹介用のURLのみツイートし文章まで書かない。

*144文字って、相当「何も伝えられない」と思った。

四苦八苦してこの文字数に収めることが既におかしいよ。伝えたいことが十分に伝えられないメディアって、変だよね。冷静に考えると。

*情報の蓄積性がほぼゼロ

ブログやnoteやArtStationなら、適当に記事が増えても、ある時期に過去の記事を取捨選択して無駄な記事を削除すれば、残したい記事だけが残ってそこに蓄積される。情報集積所としての価値がある。

だがTwitterは「後から編集を許さない仕組み」だから、これができない。だから流しそうめんなんだ。あるいは新聞の折り込みチラシみたいなものだ。

*Twitterは打ち上げ花火

Twitterは打ち上げ花火なんだ。バズも花火の直径の大小でしかない。だから刹那の価値しかない。それでは長期的にエネルギーを投じて投稿する意味がない。一瞬で終わるから。

Twitterは打ち上げ花火と考えると色々よく分かる。バズを目的とした活動にフォーカスしがちになる=花火を打ち上げることを目的とした活動になる。だから他人からの反応が重要になる。いいねの数やフォロワー数が重要になる錯覚。そして結果として自分にとって価値ある活動時間が無意識のうちに削られていく。
浸食されていく、という表現が正しいかも知れない。

*意味がないならやめよう。いや、減らそう

といっても情報収集&情報発信ツールの側面として、日本ではそこそこ価値あるツールなので完全終了するには惜しい。ならば自分にとって都合のいい部分だけを使えばいい。

というわけで、ツールに振り回されない使い方として、Twitterに依存しすぎずに情報収集&情報発信ツールとして使うことを意識して、活用する。こういう結論に至りました。

Twitterから受け取るべきものは「特定の分野の今の状況(しかも正確な情報とは限らない)」という情報であって、いいねやフォロワー数等の「他人からのレスポンス」ではないことを肝に銘じて。

今回の創作活動は約15分(累積 約947時間)
(334回目のnote更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊