聖書

(聖) 新約聖書には共に生きることへ教えが多い (聖書の学び 11)

使徒言行録の第11章まで読んだ。新約聖書の福音書の次の部分だ。イエス様が天におかえりになられた後の、12人の使徒の活躍の部である。

もっとも、イエス様を十字架にかけるきっかけを作った裏切り者のユダさんはお亡くなりになり、新たな使徒が選ばれました。

で、この部では、ユダヤ人以外の民、異邦人も神からの祝福を受けられることを明らかにしている。異邦人であっても神の教えに従う意思があれば、まずは聖霊を授かり、聖霊の声を通じて神の御言葉を聞くことができると書かれている。

今のところその通りになっている気がします(笑) 心の聖霊さんを育ててます。

使徒言行録第10~11章へのリンクです。

リンク先は著作権切れの口語訳ですが、どちらかというと新共同訳のほうが分かりやすかったです。無料のiPad・iPhoneアプリがオススメ

さて、本題に戻ろう。

聖書の教えは、変なイメージが共有されている気がする

聖書の教えは、何というか、とんがったエピソードばかりが日本人に共有されている気がする。

ザビエル画像のインパクト、
隣人を愛せよ、
右頬打たれたら左も差し出せ、
信じるものは救われる、
十字架のイエス像、
信じる者は天国に、信じない者は地獄に落ちる、
死からの復活、などなど。

ここだけみたら、胡散臭さ爆発だ。信じてみようと考える方が難しい。でもこれ、民族や国家を超えて重要な考え方から生み出された例え話なのに、そのまんま字面をみるもんだから、よくない。

新約聖書には、助け合い、支え合いがとても大切だと明記されている

意外だと思われるかもしれない。聖書は欧米から来たものだから、何でもかんでも個人主義の個人思想なんでしょ?って思っていた。

でも、それは違う。

来るもの拒まず、去ることを願わず、求める者は助け、信じる者に祝福を願い、信じない者にも祝福を願い、心と体の健康を第一にし、週に一度は労働せずに友や隣人と語らい、避けがたい運命の日を安らかに受け入れて神のみもとに旅立つことを願う。ただそれのことが書いています。

今の日本は、情報が氾濫しているから、何が正しくて何が間違いなのか、分からない。信じられる人もいない。偉い人や大組織のリーダーすらもしょうもない犯罪を犯してニュースになる。

正しいことは正しいものの中にある。聖書には、正しい教えが書かれている。かつての日本人が持っていたものも、きちんと書かれている。

新約聖書の読書、いかがですか?
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(176回目のnote更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊