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想いは届かないこともある。悲しいコメント返信。でも、別の人のコメントが勇気をくれた。

noteは楽しい活動の場にしたい。基本的にはネガティブなことを書かないようにしている。けど、人だもんね、色々あるよ。
ある方の記事にコメントをした。「あまり堅く考えないでnoteを楽しく使ってはいかが?」という提案をしたところ、そんな考えを超ロジカルな人は言動不一致だと指摘した。意図せず不快感を与えてしまったことに謝罪したところ「あなたがこのコメントを読んだ瞬間から関わらないで欲しい」という旨のコメントが返ってきた。悲しい。

その方の記事は何だか肩に力が入った記事に見えたので「noteを楽しくやりましょう!」という提案のつもりだったが、返信コメントで「あなたが書いた記事の「スルーすればいい」に対して言動不一致」と一蹴。そして上記の面会謝絶的な対応が。

考察系・問題提起系の記事だったので、ロジックの矛盾が許せなかったのかもしれない。だいぶ語気が荒い返信コメントであった。だが、原因はこれ以上考えても仕方ない。これ以上関わるのはよそう。

想いは届くことも届かないこともある

かつて、過去にあえて言動不一致を承知で、ある人にコメントを送ったことがある。noteの使い方、というか記事の中からその迷いがあったので、老婆心ながら丁寧にコメントを送った。思いは届いたようで、その人は今も生き生きと企画の活動を続けている。ただ、今回はそうはならずに「言動不一致」「迷惑」という結果になった。想いは届かなかったのだ。

では、その人のことをどうこうしたいか?と冷静に考えると、言動一致のとおりスルーするしかない。ロジカルなその指摘は誠に正しいが、感動はなかった。その人にとっては言動一致が何よりも優先して、最重要項目なのだろう。揺らぎを受け入れられないほどに。そういう人もいる、ということ学んだ。

こういう経験をすると、今後、コメントすることに臆病になる。言動一致でスルーするのが最適、ということになる。でも、それで自分や他人に変化を与えられるのだろうか?

今のnoteで、大好きな人が沢山出来た。

過去に辛い経験をしてもそれを乗り越えて筋トレを欠かさない物書きさん、企画を頑張る人、四コマ漫画を描く人、イラストを描く人、映画みたいな漫画を描く人、幸せな日常を表現する人、etc... そういう人たちと出会うことが出来たのは、やはりコメントによって緩やかに心を通じ合わせることが出来たからだと信じている。

そんな人たちから沢山のエネルギーをもらって、今の自分を少しずつ変えることが出来ている。それにとても感謝している。

だから、noteを楽しく生き生きとした場として使って欲しいと願っている。そのためになるべく相手を否定しない、そういう想いの記事をマイページの固定記事にしている。今回はたまたま「noteを別の手段としてしか見ていない人」にその想いが届かなかっただけなのかもしれない。ロジカルでないものは一切お断り、という人だったのかもしれない。

人は心を揺らす生き物だからこそ美しいと思うのは甘いのだろうか。

ロジカルな表現でも、暖かい表現はできる。逆に、丁寧な言葉を並べて反対の気持ちを込めることもできる。言葉という表現には言霊が宿っていると信じている。今回、こんなにも悲しい気持ちになったのは、その人の言葉から負の感情・悪い言霊の力しか感じ取れなかったことなのかもしれない。

感謝の気持ちのない「ありがたい」という言葉。
そんな言葉を使っていないのに、当人が解釈した主旨には語気の強い言葉で内容が捉えられていた。この段階で、あっと思った。もっと早く、最初のコメントをする前にその人の文面から読み取るべきだった。

お節介なコメントは今後控えようと思った

noteのユーザーを少しポジティブに捉えすぎていてのかもしれない。反省。そして、今回の件で私自身がnoteに振り回されてしまった。反省。
今までnoteで出会えた人たちが素晴らしすぎただけかもしれない。

極度にロジカルな記事にはコメントしない

noteを日記と捉えると、その記事はその人の主観で書かれているので、当然揺らぎやねじれはあるだろう。そういうことではなくて、記事全体から感じ取れるポジティブな内容に対してコメントするようにしたい。

ただ、noteの使い方は自由なので、もしかしたら考察系の記事、ロジカルな文章による問題提起の記事を書いている人もいるだろう。そういった記事にコメントしてロジカル・非ロジカル論争に巻き込まれるくらいならコメントしない方がマシだ、そう思った。
クリエイト活動の日記とあまりにも対極にある。そういう使い方をしたくないので、そうなると極度にロジカルな記事にはコメントしないのが無難だ、と言うことになる。

私がフォローしている方で、熱心に社会を斬る記事をnoteで書いていらっしゃる方がいる。昨晩にもコメントさせて頂いた。なので心苦しいのだが、やはりこんな思いをするリスクを負ってまでコメントはできない。ごめんなさい。noteの通知を弁論のターン切り替えのゴングにしたくない。あまりにも辛すぎる。(でも読んでいいと思ったらスキします。)

とかいってこの「極度にロジカルな記事」の線引きが曖昧だ、なんて言われそうでもう嫌ですね。私は揺らぐ生き物なのです。


noteでは、クリエーター同士のエール交換のためにコメントを使いたい。

noteのピンク色の数字アイコンは、幸せの通知にしたいから。そのためには、極度なロジカル記事・問題提起の記事にはコメントしないようにするしかない。

noteでもこんなに大変なのに、他のSNSサービスを使っている人は何と傷ついたり振り回されたりするのだろう。もうやだな。

悲しい内容ばかりでごめんなさい。もう、こういうメモは書かないようにします。でも人なので揺らぎます。許しておくれ(笑)

これからも沢山の人に愛情とポジティブなパワーを伝えられるような人間になりたいです。

(追記)
対処法というか、考え方をこのメモへのコメントで頂いた。勇気が出た。こういうコメントの使い方が、いいと思った。感謝。ありがとう。

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊