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優しさに見えない優しさがあるという事を知ってほしい

今日雨に濡れて歩いていて
小さな傘がふらふらと
歩幅15センチくらいで
歩いていた。
小さな足だった。
僕は傘をささずに濡れて歩いていた
雨はストレスのように
避けては生きられない
ストレスから守ってくれる傘を
ドラエモンが出してくれるわけでもない
僕らはいつの間にかストレスの雨の中で生きているんだなあと
ふらふら歩く小さな傘に不思議と感動した。
頑張れよと。
エールを送りたくなった。
知らないおじさんにいきなりエール送られたら多分通報されるとは思うから
心の中では頑張って生きていくんだよ。って思った。
全然知らない子に。
男の子か女の子も見てないけど
小さな足が風を受ける傘を握りしめて、必死に踏ん張ってる姿がなんとも頼もしく見えた。

ストレスの雨に打たれて
ずぶ濡れになって
服が体にまとわりつくように
気持ちわるくなってくるけど
そのうちそこがストレスの海になっていたら
溺れるのではなく
泳げると思うんだ。
その泳ぎ方を模索するのが大人になるまでにあみださなきゃいけない事なんでないかな
だからストレスにつぶされる人とつぶされない人がいるのかな。
全然話は変わるけど僕が小学4年?の頃に8月4日に8.4水害と言うのがあって当時の僕の胸くらいまで街が水に埋まった事があった。
雨降りすぎて冠水?っていうのかな
ちょっとわかんないけど。
うちの兄は真面目とスマホで打ったら予測変換に名前が出てくるんではないかと思う程真面目な人間で
同じ家庭で育ったのに
ここまで真逆な人間ができるのかと不思議な程真面目な人間で
雨の中、というか道路が全部川状態だったんだけど兄は吹奏楽の部活に行くと行って学校に向かった
親はこんな日に部活なんかやるわけないからやめろと止めていた。
停電で連絡が取れなくて部活があったら困るからと言って学校に向かっていった
道路川なのに。
兄は学生服で腰まである水に浸かりながらえっこらえっこらゆっくり歩いて学校へ向かっていた
僕は隣で海パンに着替えて覚えたてのバタフライを兄に披露していた。
「道路で泳ぐ」
人生の中でなかなか経験できない事ができた
必死に歩く兄の横で魚のように泳ぎまくる弟が町内で少し話題になった
浦安鉄筋家族の小鉄のような子だったと思う。
田舎なので色んな家の人が「泳いでたら危ないからやめなさい」と2階から言ってきた
でも僕は普段立てないドブの上を泳いだり
人の庭を泳いだり
あらゆる所を泳いだ
兄は一言も言葉を発しないで黙々と歩いていた
僕はゴーグルから見える濁った水の下に見える道路が不思議な感じがした。
そして学校についたら当然部活なんてやってなくて「hahahaおまえばかだなあ!!」と笑っていたら
「道路を泳いでるお前の方がよっぽどばかだ」と言われた
妙に納得した。
でもどんな時でも楽しもうとする事が楽しく過ごす濃い思い出を作って生きるコツのようなものだと思う。
親が殺されてそう思えるか?と言われたらそれはまた違う話でベクトルの向きが全然違う。
馬鹿だと言われる事が楽しいのであって
普通な事に面白い事なんてのは
あんまりない。
だからばかだなあと言われていたい
それはきっと楽しく生きている証のような言葉だから。
褒め言葉だと思っている。
友達が苦しがっていたら
僕は笑う
お金を落として悲しんでいたら
僕は笑う
ばかだなあと思うから
これはね、ひとつの形の違う慰めでもあるんだ。僕なりの。
悲しい奴が悲しむのは当然だけど
お金落としたんだって言われて
俺が悲しんだフリしても
なんにも解決には繋がらなくて
ただ重たい空気しか残らない
だから笑ってあげる
傷口に触れないでよ
それも、わかる。わかっている。
でも触れて撫でてあげるのも
落ち着くものなんだ。
触れられたくない話も誰しもひとつやふたつあるかもしれないけど
触れ方によっては
その傷は成仏できるものにしてあげる事ができる
だから傷口に触ってあげる、笑ってあげる、撫でてあげる
それも優しさのひとつだと思う。
人の気持ちが全然わからねえクソ野郎だとよく言われるが
一応撫でているつもりです。