見出し画像

憧れるのは簡単、憧れに近づく事が大変 でもそれが楽しくてやめらんねえ

B’zのサポートメンバーのシェーンがB’zを離れる事が決まりました。
他のメンバーも全員です。

13歳でB’zも知らない子供がたまたまあまっていたチケットでB’zのライブに行く事になり、そこでドラムという楽器を知りその楽器を叩く外国人から目が離せなくなった。
誰でも味わえる感覚ではないと思う。
自分の中にこんな衝撃を受ける事があったのかと。
帰りのバスで「将来はシェーンみたいなドラマーになりたい」
13歳でそう思った。
14歳の春ドラム修行で実家を出た。
飛行機を乗り継いでやっと行ける島に行った。
そこまで突き動かされる衝撃だった。
そんなドラムを叩くのがシェーンガラース。
shanegaalaasと胸に入れ墨を彫った。
13歳でシェーンガラースに出逢い、30歳の僕は17年間、彼のドラムを聞き、追い続けた。
本当に親の声より聞いた音。
誰よりもかっこいいドラマー。
ドラムを長く続けているといろんなドラマーに出逢う。
でも、ただの一度も、シェーンよりかっこいいドラムを叩く人には出逢う事はなかった。
僕はB’zが好きなわけではない。
B’zも好きではあるけど
B’zで叩いてるシェーンが好きだった
シェーンの育った街にも行った。
どんな人達と、どんな風に過ごして、どんな物を食べて、どんな空を見て、どんな空気を吸ってあんなドラミングに繋がるのか知りたくて。
B’zを批判する気はありません。
アーティストなので変化し続けなければいけない
これもアーティストという仕事の一部なので。
新しい風を入れなければいけないと判断したのでしょう。
変化しようとしてるのでしょう。
それは純粋に応援します。

ですが自分の人生の半分以上を
いろんなものを犠牲にし続け
追い求めたドラマーだったので
やはり
悲しいです。
世界一かっこいいドラマーで世界一かっこいい男です。
長いツアーやレコーディング、日本とロサンゼルスの往復の移動も楽ではありません。
10時間かかりますからね。
本当に長い間ありがとうと心から思います。
夢を見させてくれてありがとうと。
夢を見させてくれなければどんな人生だったのでしょう。
誰と出逢い、何をしていたのでしょう。
全く検討もつきません。
こんなに、それも多感な中学1年の頃に
チケットが余って
出逢ったのは運命のような気もします。
熱く生きれた人生で本当に楽しく過ごせたのはシェーンのおかげです。
今の周りの人との出逢いの全てはシェーンがいなければありえません。
僕の人生はシェーンとドラムという楽器で作られました。
シェーンみたいになりたくて16歳の冬生活費を全てスタジオ代にあて栄養失調で入院する程スタジオで練習しました。
シェーンと同じフレーズができるようになればシェーンはまた難しい事をしています。
少し差は埋まったかな?と思えば
とてつもない距離にいたりします。
シェーンもまた1人のアーティストとして変化し続けずっと17年間追いかけても追いかけても届かせてくれない
素敵な先輩でした。
本当にありがとう。
いい人生を送れたのはシェーンのおかげです。
お疲れ様でした。
夢をありがとう。
かっこいいドラムをありがとう。
何度かお会いさせていただいた時も気さくにふるまってくれてありがとう。
これからは違う形での接触にはなりますが
少年時代からの「ファン」として
本当にありがとう。

たまたま行ったライブからサポートメンバーになったのも
また何か意味があるものなんでしょう。
これからもこの出逢いを無駄にならないよう、
必ず意味を付けれるように
頑張って生きて行こうと思います。
大阪で一緒にドラムを叩いた夢のような時間忘れません。

本当に  ありがとう。