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2020/04/18「中野からブリックが消えた日」

今朝は7時ごろ起床。妻が在宅勤務になってから、一緒に起きる相手がいるので目覚めがよくなった。

と、そんな日常雑記を書いているほど今日は心に余裕がない。僕が心から愛していた「ブリック中野店」が閉店のアナウンスを出したのだ。

10年以上通ったけれど「常連」を名乗るのはおこがましい老舗で、通い始めた25歳の頃はいつも店でいちばんの若輩者が僕だった。

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(2012年、撮影:廣田達也)

トリスハイボールが200円、つまみは300円くらいから。貧乏な僕にも通いやすく、22時までに中野駅へ帰ってこれた日はここで飲むのが習慣になった。1964年創業の店内は古めかしく、でもレンガ造りがどこか可愛らしかった。バーテンさんの格好は、バーコートにリボンタイ。これまた可愛らしかったが、すこし近寄りがたさを感じていた。

バーテンさんはもちろん、客もあまり大きな声で話している人がいないのが気に入っていた。そんな中で聞こえてくるのは、カウンターに座った常連とバーテンさんがささやくように交わす会話。いつか、この店に認められたい。そう思った初めての店だった。

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半年ほど通ったのち、僕は勇気を出してボトルキープを申し出た。「ええ、もちろん」と名札に記す名前を聞いてくれたのが、なんだか「普通」でとても嬉しかった。正直、まだあなたにはボトルを入れる資格はありませんなんて言われると思っていたから。

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ボトルを入れてから、僕には「定番の注文」ができた。野菜スティックとハイボール。野菜スティックには3種類の野菜が3本ずつ入っていたので、それを1周する間に1杯で、計3杯。

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塩豆やチョコ、おかき、夏には枝豆が出たりするお通しと合わせて1090円。だいたい1時間くらいかけて本を読みながらゆっくり飲んで、帰る。
当時、広告制作会社で忙しく働いていた僕にとって、これが何にも代えがたい休息の時間だったのだ。

そうして通い続けて10年。

デートでは、何も言わずにさっと僕のボトルと野菜スティックを出して格好つけさせてくれた。仕事の打ち合わせで利用したときには、端の静かな席に通してくれた。あるバーテンさんがアメリカを横断しながらいろんなバーを見て回った話は、壮大でとてもおもしろかった。そして、その方がのちに2代目のマスターとなった。

代替わりされてからは、キャッシュレス決済やWi-Fi、POSなど積極的に導入して「新しい店」になっていく感覚がたしかにあり、僕は嬉しかった。この店は続くのだ、と。前のマスターが引退されたあと、お店がなくなることを心配していたのだ。

そこへきて、今日の発表だった。

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(2012年、撮影:廣田達也)

緊急事態宣言から営業自粛されていたものの5月6日に再開するという話だったのが一転、このまま開店せずに店を閉めるのだという。

僕はとても動揺した。10年間、通い続けた店がなくなることなんて考えていなかった。どんなときも、いつも通りに野菜スティックでハイボールを3杯飲んでいた。そうすることで、自分がどう変化しているのかを確認していたのだ。

僕にとって「ブリック」は、不動の点だった。航海における北極星のような存在だ。ブリックに戻ることで、自分の現在位置を確認する。そうすることで、僕は過ちに気付いたり、先へ進む勇気を得たりしていた。

25歳で角瓶をボトルキープしたので、30歳でオールド、35歳でリザーブへとステップアップさせていた。それに見合う自分になりたかった。「40歳になったら何にしましょうかね」なんて、よくバーテンさんと話していた。

そんなブリックがなくなる。自分に何ができるだろう。「客」という立場の無力さが今日ほど身にしみたことはない。


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