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りいちゃんと僕

りいちゃんはシルバニア村から僕のとこにやってきた。

その村には、成長した子供を売りに出す風習があった。その日、りいちゃんは秋田のショッピングモールで売られていたところを、主人となる僕に買い取られた。
周りにも、同じシルバニア村からの同胞で、いい人に買ってもらおうと真剣におめかしして一番良い服を着ている子たちがいたけど、僕に買われたのは最も化粧っ気がなく、そしてシンプルな青いワンピースを着ていたりいちゃんだった。

「名前は?」
「ポーリーン。村ではみんなから『リーちゃん』って呼ばれてた」
「りいちゃん?」
「うん」
「なら君は今日からりいちゃんだ。」

こうして、あたしは主人(あるじ)の家で共に暮らすことになった。新しい名前は、後で知ったのだが、ひらがなの『りい』だった。あたしを買い取ってくれた主人の名前は、カタカナの『セツナ』といった。

主人は、そのショッピングモールからの帰り道であたしに、「僕は自分の体の中に魔物を封印している」と言った。暴れ出し、体の外に出ないよう、魔物を眠らせる薬を毎日注射していると言っていた。
驚くというより、「『中二病』だな」、とあたしは思った。でも、主人が毎日自分のお腹に注射しているのは本当で、その細いお腹に穿刺して透明な薬剤を入れているのをあたしは毎日見てきた。時に痛みにあえいでまで、どうしてそこまでするんだろうと思った。もしかしたら、本当に魔物がいるのかもしれない。

主人は、普段、いつも、書き物をしていた。
主人は、自ら執筆した二冊の本の主人でもあった。出版はしていない。ただB5の紙に印刷した三百数ページを、リングファイルにとじただけのもの。それは大きすぎてあたしには読めないけど、その二冊を主人はとっても大切に思っていて、普段はクロゼットの中にしまいこんでいた。

主人はあたしに、グレーのボーダー柄のラグをくれた。
あたしには広く感じる大きさのそれは、主人が毛糸を使って自分で織り上げた布だということだ。それは本やら、ゲーム機やら、少しのCDやらが中にしまい込まれた『趣味の棚』の上に敷かれた。そこがあたしの『いつもいる場所』になった。自分の部屋ができたように感じてあたしは嬉しくなった。

主人は更に、あたしにも織り機をくれた。
こんな会話をしたからだ。
「りいちゃんは、何が好きなの?」
「自転車と、工作。」
「どんなの作るの?」
「テキスタイルとか」

テキスタイルとは、織物のこと。

「君にいいものがある」
「何?」
「『ポケおり』だよ。この織り機は、僕にはポケットサイズだけど、君には身長よりやや大きいくらいだろう。使いやすいのではないかな。ちょうど付いてきた遊び糸もあげるから、好きに使っておくれよ」
「あなたはいいの?」
「僕にはうまく扱えなかったんだ。もし君が使ってくれなかったら、この小さな織り機はただのオブジェとなって、ずっと飾られ続けるだけだろう。僕には別の、手作りの織り機があるから、僕のことは気にするな」

物語を作っていて、あたしも大好きな織物もできる。あたしは主人を尊敬した。

それからあたしは、村でもやっていた織物を、主人の部屋でも始めたんだ。だけど、主人が織っている姿はなかなか見かけなくて、本当に織物をする人なのかな、って少し思った。物語を執筆することもあまりなくて、主人は、ただ嘆いていた。主人は、本当は作家でありたかった。なのに、今は図案やストーリーが浮かばなくて、何も創造できないと言って悲しんだ。

そんな主人は、先日、注射を打って、アナフィラキシーを起こした。
苦しみながらエピペンをももにぶち込んで、自分で救急車を呼んで、病院へ走っていった。それ以来、帰ってきていない。

あたしは、思うんだ。最近の主人は、精神的にもう死にたがっていた。
「僕は空虚だ」
「もう何も生み出すことができない。これ以上生きても仕方がない」
「死んでこの二冊の物語集を遺作にしたい。そうしたら、この二冊は価値のあるものになってくれるのに」
いつも書いている日記にそうあったのを、あたしは確かに見てしまっていた。
だから、アナフィラキシーは、その精神状態が、起こしたんじゃないかって。

あたしがいても、主人は生きていたくなかったのかなって。


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