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スマホを忘れて愉快なサザエさん

鍵、財布、スマホといった必携アイテムを忘れて出かけることが疲れてくるとちょくちょくある。基本、気づいた時点で取りに帰るのだけど、忘れ物がスマホで用事が近くのスーパーでの買い物くらいだと、まあいいかとそのまま出掛けてしまったりもする。プチデジタルデトックスなんて嘯いてたりして。そしてなにも考えず、いつも通りにキャッシュレス専用セルフレジで商品スキャンまで済ませて、そこで思い出すわけだ。

「あ、Paypayできない」

店員に来てもらって商品キャンセルしてもらうのが、お手間が申し訳ないやらバツが悪いやらで、数分前の自分を蹴飛ばしたくなる。

忘れ物がスマホだからまだ起こることで、鍵や財布を忘れたら、間違いなく取りに帰る。財布を忘れて買い物なんてサザエさんのテーマソングか小沢健二の「カローラIIに乗って」の世界だ。♪サイフないのに気づいて、そのままドライブ、なんてね。でも昨日、財布を持たずに買い物に出たことに気づいて、ふと思った。

「あれ、買い物に財布いらないんじゃないか?」

買い物に行く先は大型の西友で、地域でも先頭を切ってキャッシュレスを導入し、キャッシュレス対応レジは台数も出来もピカイチだ(この出来のいいレジに光る企業ロゴがOKIだったら個人的にはなおさら申し分なかったけど、NECだった)。いつも通りにキャッシュレス専用セルフレジで商品スキャンまで済ませて、スマホをかざす。♪PayPay。そしてスーパーを後にする。

帰宅して、家人に「今日サザエさんでさあ」と言う。「でも買い物してきてるじゃない」と返ってくる。

僕達の間には「サザエさん」といえば「財布を忘れて」「買い物」だと言う共通認識がある。「財布がなかったら買い物できない」という共通認識もある。もういっそ常識と言っても過言ではない。でも僕のライフスタイルは、とっくにそうじゃなくなってる。「スマホ忘れたけど買い物の間くらいなくてもいいか」と思うと最後の最後でスマホ決済ができなくて困るし、「財布忘れたから買い物できない!」と焦るけど実際にはスマホ決済で買い物が済ませてて何も困らない。

体は現代を生きてるのに、常識だけは旧時代をしっぽのように引きずってるのだ。実体がなくなっても、変わっても、常識はアップデートされないのだ。

社会の変化とみんなの常識、なんて話じゃないよ?僕の生活が変わってて、僕の目はそれを見て頭はそれを分かってるのに、僕の常識が変わってないのだ。まったく、多様性だとかサステナビリティだとかニューノーマルだとか言われてて、頭ではわかってるけど、それだけじゃできないわけだ。常識と感覚がついていかなくちゃ、日常的ななにげない場面で判断を誤る。財布は取りに帰るのに、スマホはなくてもまあいいかって済ますみたいに。

サザエさんだってきっとそのうち「スマホを忘れて愉快なサザエさん」ってなるし、それを聞いて自然にほほえましく思えたらなら僕たちの常識と感覚がアップデートされたってことなのかもしれない。小沢健二だっていずれ「スマホないのに気づいて、そのままドライブ」って歌うだろう。なんなら軽井沢でデジタルデトックス滞在とかまで行っちゃいそうな優雅さだ。♪ラララララ、日曜日、なんてね。

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