パイピスト!

注意:フィクションです。というかエイプリルフールです。登場する組織や人物は架空のもので、一切の実在の組織および人物とは関係がありません。表題や人名や設定が何かに似ていても、それも実在の何かとは関係がありません。

まつもとテックというのは聞かない会社名だ。そもそも会社名からして、当初は「まきお・つかもと・てくのろじーず」だったものを、なぜかファウンダーの名前を切り刻んで「まつもと」に縮めたというのだから、聞かないだけでなくふざけた会社名だ。でも全日本パイピスト選手権に優勝したのが、この無名でふざけた会社の浪主という選手なのだ。選手登録簿には、「ローズ」と振り仮名が記されている。

Googleがエイプリル・フールに公開した「日本語入力ぴろぴろバージョン」は、手の塞がった現場での業務用として普及し始めたウェアラブルデバイスの、まだ宙に浮いたままだった「タッチパネルやキーボードを使えない現場における入力」という問題への答えとして、以外にも真剣に受け止められた。4月中には「パイプ・インプット(Pipe Input)」なる別名も与えられたが、これももう少し会議室でも口にしやすい名前をという無意識の要請に答えたものだろう。

パイプ・インプット、通称パイピングはどれだけ実用的な入力メソッドになるのか?業界はまずYoutuberに目をつけた。日本語入力ぴろぴろバージョンは、部品の3Dモデリングデータからソフトウェアまで一式がGithubリポジトリで、オープンソースとして公開されていたから、make世代でやってみた気質のYoutuber達にとっては恰好のトピックだった。すぐに高速パイピング動画が多数公開され、特に「兄ぃ」が圧倒的なパフォーマンスで人気を博していた。

インタビューに語られたところでは、まつもとテックが浪主を見つけたのも、兄ぃのパイピング動画を見ていたときに、関連動画に彼の動画があがっていたのだという。

彼はね、本当に楽しそうに、音楽に合わせてパイピングしてたんです。ちょうど、そう、歌うように。そしてものすごく正確にパイピングするんですよ。わりとスロゥなラップにあわせてなんだけどさ、それ一曲まるごと、誤字脱字なし。決して早くないんだけど、正確さが際立ってた。

パイピングに注目する工業界とパイピング動画に注目するコンテンツ業界の利害が一致し、たちまちに「第一回エクストリームタイピスト選手権」、通称パイピスト選手権の開催が発表されたときに、まつもとテックは高速パイピングで知られるYoutuberには目もくれず、浪主の元に向かった。正確なパイピングというのは地味だが、しかし難易度は高速パイピングに劣らない。たとえば正確に10ccの息を吐けと言われて、それができる人はまれだろう。だとしてもパイピストは高速パイピングを競う選手権だ。なぜ浪主なのだろう?

彼らは日本語入力の歴史に目を向けていた。日本語入力では、変換と言う作業が入る。漢字直接入力であった和文タイプライターの時代から、日本語変換により109キーだけで入力が足りる時代、そして辞書のカスタマイズやクラウドによる新語更新がされる時代、予測変換が実用的になった時代と、日本語入力速度はテクノロジーによって時々飛躍的に向上してきた。それらを駆使できることが、その時々のタイピストの優劣を分けた。ではパイピングにもカスタム辞書や予測変換に当たるものがあれば、パイピストの優劣は根底からひっくり返るのではないか。

「ある」というのが僕らの出した答えです。僕たちは、ぴろぴろ笛を50音表ではなく、百科事典棒とみなしました。いえ、入力に百科事典の単語数や、もちろん解説はいらなかったので省きましたから、漢和辞典棒とでも言いましょうか。漢字はもちろん、さらに数文字からなる単語までが、ぴろぴろ笛上にmm以下の間隔でマッピングされています。浪主の正確な呼気コントロール、いわば絶対音感のような絶対肺活があれば、その単語を正確に拾い上げられるんです。

とんでもないチートだ。まつもとテックは百科事典棒を思いついた。日本語入力ぴろぴろバージョンを百科事典棒化するのは、部品の変更どころかソフトウェアのロジック変更すら不要で、単に長さと文字/語のマッピングを変えるだけでできた。最大の難関である、それを誰が扱えるのかという問題には、すでに答えを持っていた。

結果は知ってのとおりだ。まつもとテックと浪主は、兄ぃや他の高速パイピストを擁立した各社を大差で破った。ダブルスコアどころか、桁違いだった。パイピングがウェアラブル入力におけるイノベーションなら、ぴろぴろ百科事典棒はパイピングにおける破壊的イノベーションだった。彼らは日本を制し、世界へ手をかけた。

浪主はね、CJK(中国語、日本語、朝鮮語)統合漢字圏統一チャンピオンを狙えますよ。いやたしかに、パイピングは日本発祥の入力方式だというのに、現非公式世界記録の保持者は中国語圏の崇山(スーザン)だ。でもぴろぴろ百科事典棒は、どの言語入力にでも拡張できる。そしてぴろぴろ百科事典棒を使うパイピストのベストは、絶対肺活を持つ浪主だ。

彼らが言うほど、実際にはたやすくないだろう。筆者が考えるだけでも、漢字数が増えて刻みは細かくなり、同時に使い慣れない文字や語が入ってくる。浪主の噴き戻しはどこまで精緻を極めることができ、また彼の頭はどこまで項目数が増していく「百科事典」を覚え切れるのか。しかし課題を挙げてみたものの、私自身、すでに彼らのファンだということを否めない。世界に挑むまつもとテックと浪主を、心から応援している。

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