「本に出会える場所」を失うことの不安感

Tumblrに書いた文章って、たまに何ヶ月も前のものがリブログされたりして、その通知を機に読み直してしまうことがある。今日、1年以上前の文章がリブログされてて読み直したのだけど、この気持ちは変わってないみたいなので転載してみる。

もし福岡からジュンク堂や丸善が消えたら、私は動揺するでしょうし、ひどく悲しく思うでしょう。しかし、実際にそこで大して本を買ってない以上、それはおらが街にも大きな書店があるという文化的虚栄心と言われても反論できません。 ――キンドルを伏せて、街へ出よう « マガジン航[kɔː]

僕の場合は池袋、新宿ということになるけれど、そこから「ジュンク堂や紀伊国屋が消えたら」やはり動揺する。

それは文化的虚栄心というよりは、現状はそこで買っていなかろうとそこに行けば本に出会えると知っているという安心感があり、そうした「本に出会える場所」を失うことに対する文化的不安感のような気がする。今すぐ本屋に行って、選別され、整理された本棚を眺めて、本を探すことができる、そういうオポチュニティを失うことに対する不安感。

図書館が書庫である以上にコミュニティであるように、書店は書籍流通経路である以上になにがしかの役割を持っているのだと思う。言い換えれば、図書館が書庫でなくなっても役割のすべてを失わないように、書店で本を買わなくても書店の役割のすべては失われない…過言かな。

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ニュースにもなったけど、ジュンク堂新宿店はなくなった。最後のフェアでは数冊の本を買ったけど、それは普段だったら手にすることのなかった、本棚に教えられた本だった。「書店はメディアだ」のPOPを僕も見た。


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