見出し画像

処分撤回阻止12月緊急集会の件。Ver.0.1

まず始めに重い腰を上げてお気持ちを書き連ねようと思ったきっかけを書かねばなるまい。始点は今日の昼休み、自宅自室から処分撤回・阻止12月緊急集会をツイッターライブで見ながら投下した以下のツイート。

まあけっこう強硬に反応があった。「どんな立場から言ってるの?」とか「じゃあお前が自治するんか?」みたいな。あと少なくとも一人ブロックされたの観測した。

そして極めつけにシン・ゴリラのアカウントを使ってお気持ち表明された

なんかあんまり伝わってない気はする。
というか全く伝わってない気がする。僕がするなと主張してることまさにそのものを公式性のある(=状況釈明の余地のある個人的なお気持ち表明と異なり純度100%の当事者としてレッテルが張られる)アカウントで為されたので。

何から話そう。「下手くそでキモい」という主張が建設的でない、だよね。それは部分的にそう、いきなり(どちらかというと自治界隈よりが多いFFの)TLに流した文章としてはアタリがキツく批判的だったのは僕の悪文だったように思うし、それはそれで相手の気持ちを考えられなかったという意味では自分の主張したかったことを自分自身まさに実践できなかった例になってしまった。申し訳ない。

一方、「下手くそでキモい」と思ったこと自体はどうだろうか。まず思うこと自体を規制することはできない。これは自明であると思う。そして、何故断定して外部に発言したか。これは自信があるが京大当局の現状を正しく認識せずにあの集会の現場に遭遇したら、「うるさくて迷惑な過激派」以上の感想を抱かない奴が9割だと思う。僕自身も他方では1回生まで演説に参加してこんなに盛り上がれるんだって感動したのもしたんだよ、いやほんと。未来はここにあると思う。しかしそれは現状では輪の外部の人に好感を持ってもらえるような演説ではなかった(と思う)。それはそれで主張していいと思うし、現状として真摯に受け止められるべきだと思う。

そして、行動する奴が偉いというような言説があるが、吉田寮が現在当局に潰され衰退しつつあるように、権力と対抗勢力の戦いというモノはただ行動するだけでは必ず権力側が勝つ。極端な言い方をすると、そこに正しく未来が無い行動は延命治療でしか無く、完治を目指すにあたってそのような行動はしていないものと同義でないか。当局と対立する任意の勢力には必ず共感の輪を広げることが必要であろう。そのような姿勢が現在の自治界隈にあまり認められないことは大変遺憾である。

また、同じような視点として、お客様意識で安全地帯から批評することの是が「それはお前がやるんだよ」派から唱えられるがこれについて。まず批判は議論の基本である。さらには私たち大学の学問の基本である。
社会は様々な範囲の当事者を含んでいる。私たちも京都大学の学生として、自治や学生運動の変革範囲に内包される対象であり当事者の一人である。運動に参加しない学生の意見もまた軽視されるべきではない。実際、過激な・的外れな運動によりかえって一般に不便が増したことも多数あるだろう。これら現状の不便を黙殺した先に実現する未来は、現状の当局の弾圧下と同じように学生にとって広く望ましいものではなくなるだろう。査読のない論文に十分な価値が認められないのと同じく、批判を繰り返し検討する議論からのみ進歩は生まれる。

私たちは冷静にならねばならない。
議論が成り立つ限り私たちは敵ではないはず。
頑張って丁寧に議論を進めよう。
改めて僕もキツい言い方してごめんね。

このエリア140文字以内なんだね、実質twitterじゃん