【SD】パドレスと36歳のダルビッシュ有が2028年まで契約延長した理由
サンディエゴ・パドレスはダルビッシュ有と2028年まで契約を延長した。伊良部に始まり牧田からパドレス日本人選手の系譜を受け継いだ投手といえばより通りが良いだろうか。カブスと結んだ元契約の最終年である今シーズンから6年$108MM(1億800万ドル)の契約に更新される。
近年の日本人野球選手を代表するだけでなく、日本人野球選手史に名を残す投手なのでNHKや各日系スポーツメディアでも当然ながら報道されている。記者会見の質疑応答も日本語で報じられている。
8月に37歳の誕生日を迎えるダルビッシュに今年から6年契約ということは、契約終了時には42歳になる。そのため一部の野球メディアやファン、特に日本の人達から驚きと疑問の声が挙がっているが背景を紐解いていくと実はそう法外な契約ではない。
CBTとAAV
まず懸念の声が挙がっているダルビッシュの契約年数の長さだが、パドレスもそしておそらくダルビッシュ自身も6年フルに第一線で活躍する可能性が確実とは思っていないだろう。だがパドレスはあえて長く設定している。延長の話が持ち上がった当初は2-3年程度の契約が想定されていたそうなので2-3倍に引き伸ばされている。その理由はメジャーリーグが採用しているCBT (Competitive Balance Tax) ルールにある。そのまま戦力均衡税と訳せるが、贅沢税 (Luxury Tax) とも呼ばれる。
CBTの意図とルールそして問題点をきちんと説明するにはそれ単独で薄い本一冊分相当の文章量を要するので簡単に説明するが、球団ごとの戦力格差を縮小するため高い年俸を払うチームが一定のチーム総年俸ラインを超えた分に対して料率を掛けた罰則金が課せられ、低年俸チームに分配されるという仕組みである。そのCBT額算出に用いられるのがAAV (Average Annual Value)、年間平均サラリーだ。
AAVは文字通り平均なので契約年内の支払義務比重に縛られない。
(註:支払額ではなく支払義務と書いた理由は実際の支払時期は契約期間に縛られず時には引退後まで続くケースがあるがCBT算出とは直接関係が無くまたここで説明すると混乱するので別の機会に)
仮に3年$90MMの契約を毎年$30MM均等しても、1年目$60MM+2-3年目各$15MMの様に契約序盤に多く積もうが、逆に1-2年目各$15MM+3年目$60MMと契約終盤に寄せようがAAVは$30MM($90MM/3年)になり違いは生じない。
だが契約年数が長くなればAAVは減少する。$90MMを3年でなく6年とすればAAVは$15MM($90MM/6年)になり、3年契約に比べて各年のCBT課税対象額は$15MM減少 ($30MM-$15MM) する。そしてこれがダルビッシュの契約年数が6年という長期に及ぶ理由である。ダルビッシュがカブスと結んだ契約は$6年126MMなのでAAV$21MM。かたや新契約$6年$108MMなのでAAVは$18MMと$3MM減少する。
球団にとっては節税対策として有用だが、20代前半など若くして活躍した選手の多くは凡そ27-28歳辺りで迎えるピーク時での交渉機会を失うため好まないだろう。フェルナンド・タティス・ジュニアが2021年に22歳の若さで結んだ$14年$340MM契約等は稀有な例だ。だがダルビッシュの様にキャリア晩年にあり、おそらく最後の再契約機会であることがほぼ確実な選手にとっては有難い長期契約だろう。
パドレスファンも下手すれば球団自身もかつての様にCBTの第1閾値が幾らなのか調べもしなかった低年俸球団の頃なら問題はない。生々しい実例を挙げるならジョン・モーアス元パドレス球団オーナーが夫人(当時)の婦人科主治医とオトナの対面セッションをよろしく執り行っていたことがバレて離婚→財産分与→パドレス人件費すりおろしの憂き目に遭い球団年俸が地を這っていた2010年前半頃なら問題はない。
だが今の球団オーナー、ピーター・サイドラー率いるパドレスはまったく事情が異なる。2023年の球団年俸見込みはMLB30球団中メッツとヤンキース両ニューヨーク球団に次ぐ3位、$256MMだ。贅沢税ベースでも2023年ルール第3の閾値$273MM間近の$269MM(その前に第1閾値$233MM、第2閾値$253MMがあり、各閾値を超えた分に閾値ごとに高くなる税率が課せられる)。$273MMを超えると税額増だけではなくドラフトでも最高指名順位10位降下というペナルティが課せられるので、それこそダルビッシュの様な即戦力獲得の為にプロスペクトをトレード放出しファーム層が薄いパドレスの様な球団は超過は避けたい。それ故に今年の球団AAVを下げる方策が求められた。
$108MM
$108MMという金額は36歳という年齢を考慮し仮に6年の契約中半分の3年に充てられたと見做すと$36M/年になる。結構高額といえるだろう。だがこの金額についてもさほど憂慮すべき金額とは見なしていない。というのもダルビッシュの言動から察するに、もし自身が求めるピッチングが出来なくなった場合には契約途中でもあっさり身を引くのではなかろうかと見立てているからだ。
2017年に引退の可能性を仄めかしたことがある。また今回の契約発表会見でも「そろそろ(キャリアが)終わりかと思っていた」「最後の3年、4年というのは全く使い物にならないかもしれないですし、でもそこはあまり先は考えずに、本当に今までやってきたことを、去年のテンションでしっかりやっていくことが大事」と話している。
ちなみにこの一問一答は他のMLB選手の契約発表会見ではなかなか見られないダルビッシュの正直さと謙虚さが滲み出ているので是非ご一読いただきたい。
プレラーGMからも契約前に「あと4年投げられそうか」と問われたそうで、6年契約のフル稼働を100%期待してはいない想定は$108MM契約の比重からも察する事が出来る。
2023年: $30MM ($24MM+$6MM契約ボーナス)
2024年: $15MM
2025年: $20MM
2026年: $15MM
2027年: $14MM
2028年: $14MM
誰でも支払いは後回しにしたくなるのが人情でMLBの契約でも後になるほど比重が大きくなるケースが多い。昨今の米国における高インフレ率を考えたら尚更後回しが球団にとっては楽な金回りな筈だ。しかしダルビッシュの新契約では逆に初年度の今年に全体の28%が寄せられている。
もちろん契約終盤より序盤の方が活躍がより見込まれる年齢で、その度合いを反映しているといえるだろう。しかしそれだけが前掛かりな比重の理由でなく、もし経年疲労による衰えや選手生命を脅かす怪我によりダルビッシュ自身が6年の契約途中で引退を決めた場合にも、単に均等割した以上の金額をダルビッシュに受け取って欲しいというパドレス側の気遣いではなかろうか。球団が選手を解雇しても契約上の金額は満額支払われるが、選手側から引退を申し出た場合には契約解除となり引退後の契約年俸は支払われない。
中途引退時における契約ボーナスの扱いが不明だが、仮に3年で引退したとした場合総額$65MM(もし契約ボーナスが均等割りなら$62MM)だ。近年の先発投手FAの高騰ぶりを見る限り、$21.6MM/年の支払いはそう高い金額ではない。格上とはいえダルビッシュより2歳年上なマックス・シャーザー、4歳年上ジャスティン・バーランダーの半分だ。
もちろん契約なので仮に戦力にならない状況で6年在籍して契約満了する事はなんら責めを負うべき話ではなく、いちファンである筆者も6年間の活躍を望んで期待してはいる。一方良心の呵責を当てにしている様で胸が痛むが、もし不幸にもその様なケース(例えば2度目のトミージョン手術を受け復調しない場合)に陥った場合に長居を決め込む選手には思えない。
衰えか円熟か
ではダルビッシュは今季からどの程度の活躍が見込まれるのだろうか。
FanGraphsのZiPS6年予測合計でfWAR3.3と低い。一線級で働けるのは2023年限りという、それも先発ローテーション3番手程度と厳しい見立てだ。投手能力の低下は野手に比べ突然訪れる事が多く、過去選手達の実績統計から導き出したとすれば無理もない話だ。そもそも2022年投球規定回数に達した36歳以上の投手は4人、120イニング以上でも8人しか居ない。40歳ではアダム・ウェインライトが162イニング以上投げた唯一の投手だ。活躍するしない以前に殆どの30代後半先発投手は第一線から退いているか引退している。
しかし致命的な怪我さえなければおそらくこの予測を凌ぐと球団からは期待されている筈だ。
去年のダルビッシュは194.2回を投げ3.10ERA、6回以上3失点以下のクオリティスタート登板が30先発中25回という屈指のイニングイーターだ。83.3%というQS割合はナショナルリーグの20先発以上の投手でトップである。
与四球率4.8%は162試合制のシーズンでは自己最少。ダルビッシュの投球については昨年のパドレス投手レビューでも触れたが、バレル率は上昇したものの22本塁打のうち16本はソロ弾で6本は一塁走者のみ。得点圏に走者を置いての本塁打はゼロ。つまり3ランHRと満塁HRもゼロということになる。
MLBキャリア初の一桁(9.11) となった奪三振/9の低下が懸念されているが、どの場面でも三振を獲りに行くというよりは投球数に重きを置く様になったからではなかろうか。10年前はリーグ最多奪三振率を記録するほどだったが、キャリア後半からはゲームを壊さない程度に失点を防ぎながら6-7回までマウンドに残りリリーフ投手陣への負担を最小限に留めるというチーム主体への投球に徹している。特に昨年はランナー出塁時には奪三振率が上がっており、より状況に応じた投球スタイルに変化を遂げている。
またローテ6人制だったシーズン前半に比べ、5人制の後半は奪三振率が上がっている(前半8.31 vs. 後半10.11)。これは6人制の時は長い登板間隔とリリーフ投手の手薄さを受け、長いイニングを投げる意識が高かったからではなかろうか。仮にその点を差し引いても後半にスタミナが落ちず活躍したことは、契約延長への自信を球団に抱かせたことだろう。テキサス・レンジャース国際スカウト部長だった頃からダルビッシュを見てきたプレラーGMは、先の投球スタイルの円熟に加え相手打者の研究度やコンディショニングといった高い仕事への取り組み具合を高く評価しているとコメントしている。
なお2022年4シームの球速は前年より0.5mph上昇している。
勿論リスクが無いわけではないし、先のZiPS予測も完全に的外れと無視を決めこめはしない。だがこれらのデータを鑑みるに、少なくとも現段階で衰えの兆候はないと見立ててよいだろう。
All Yu Needs Is Love
前半に長々と無粋な金銭の話を連ねたが、ダルビッシュをレンジャースもしくは北海道日本ハムファイターズでより長い在籍期間をサンディエゴで過ごし、おそらくパドレスの選手として20年超のプロ野球キャリアを終える契約を結ぶに至った理由は経済的なものではないだろう。実際にサンディエゴで得られる様な充実した子供の育児環境や家族の居住環境を第一の優先事項として挙げていた。
またダルビッシュは入団記者会見でサイドラーオーナーやプレラーGMらにかけてもらった言葉に感謝し、信頼を感じたと述べている。本人のラジオでも「ここまでしてもらって良いんだろうか」と想定以上の好待遇として受け止めている様だ。
またパドレスがかつてと比べファンが増え、まだダルビッシュが勝ち得ていないワールドチャンピオンの有力候補になるまで強化された点も決断を後押しし、再契約の喜びを膨らませていることだろう。ダルビッシュも2017年ロサンジェルス・ドジャースの一員としてペトコパークに来た時は観客の殆どがドジャースファンで、パドレスファンはほとんど見かけなかったと述べている。確かに2017年の観客動員数は213.8万人、MLBで18位だ。71勝91敗、貧打のあまり.288/.347/.490/10HRのホゼ・ピレラを無理矢理チームのシルバースラッガー候補に推さなければいけない寂しいシーズンでは閑古鳥も無理はない。しかしオーナー肝入りの補強の甲斐もあり昨年は2006年以来の162試合シーズン初プレーオフ出場する好成績を残し、MLB5位となる298.7万人まで観客動員数を伸ばした。
そのサンディエゴのファンの多くもまた再契約を歓迎しているようだ。
このインタビューを受け「この男の悪口を言うヤツは(高電圧電流を流して電気ショックを与える)テーザー銃で撃ってやる」というファンのTwitter投稿があったほどだ。数年前アリゾナのマイナーキャンプ中に泥酔中他人の家に不法侵入したジェイコブ・ニックスが家主にテーザー銃で撃たれたが、少なくとも今回撃たれる可能性があるのはパドレスの選手を守るための様なので安堵している。
ダルビッシュ、球団、ファンがそれぞれ信頼で結ばれていることがあらためて感じ取れる再契約。その相思相愛ぶりはモーアスと婦人科医に引けを取ることは無い。
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