Number_iの複雑な世界水準志向

坂道の外側ってことで他のとこはどういう大人化や子供性の割り切りの問題を扱ってるんだろうという話。

いま気になるのがNumber_i。新アルバムの「No.I」がリリースされたので、これ書きながらがっちり聴いてた。

キンプリから脱退した平野くんや神宮寺くん岸くんらによる、重いヒップホップをベースとしたパフォに「こっちの岸くんは有能ですごいな・・」としみじみしたりしてる(※ご存じない皆様、「日向坂 岸」で検索をお避けください。「ひぃぃっ!」ってなるホラーな出来事が今年ありまして)。

女性アイドルと男性アイドルの差は、ざっくり活動から察せられる「大人になる過程」の印象と思う。

こればかりは、どんなにジェンダーの平等や多様さが語られるいまであっても、否応なく立ち塞がっているんじゃないか。

きもい話になっちゃうので飛ばしつつ読んでほしいとこだけど、単純に書いてアイドルの主要な客層によってアイドルの大人になり方が大部分決まってしまうように、私には見えるというか。

ほんと今多様なアイドルがいるなかでいまさらすぎな意見だけど、女性アイドルがある種の子供的な領域に止まる感じになりがちなのは、主要客がそういう男性ファンがメインなせいで、男性アイドルが長い活動で、リアルタイムで大人になる過程こみで活動を見られるのはそういう女性ファンが主体だからかな、と。

これも今どきいうかねな意見を自覚して書く感じだと、女性アイドルの男性ファンが箱庭的な子供の芸能を求めがちな傾向があって、男性アイドルの女性ファンは芸能のなかから社会性につながる視野があるような。大人になるかどうか、の男女アイドルの差は、ファンの写し鏡というか。

そういう意味で(公式には)キンプリ時代から海外での活動を志向していた平野くんはほんとしっかり年齢どおりの青年!って感じする。どちゃくそにわかの視点でなんだけど、変化するアイドルの現実に対応しようと理想を掲げている感じとか。

そこで私が気になるのが、いまアイドルが国際的なクオリティを求めてパフォする方向性とは、あれは成熟の段階としてはどういう意味を見ることができるのかな、ということでもある。

Number_iのまるで日本の野球から海外リーグに挑戦しようとするかのような、ハイクオリティなサウンドプロダクトとパフォに「理想を追いかけ闘う青年」な、ちょっとアスリートを見るかのような感じはある。

あとやっぱり、完全部外者な意見で印象論ばりばりだけど、ジャニのここ数年の問題も背景として考えてしまうよねと。

ジャニがイギリスbbcの指摘により、長らく存在するも曖昧に済ませていた児童への性暴力問題が明らかにされたことは、不気味な形で先送りされてきた大人化、成熟の問題を書き換えたと思う。

世界的な水準や視座がJポップ分野に絡むというのは音楽性どころかアイドルのスタンスにも絡む出来事だったのかもしれない。長らく、芸能は日本の内部で秘匿される物事で、演者はある意味で胴元に永遠に支配される子供みたいにされる。それを外からどうこういうもんじゃないかもと思われていた。でもそういう時代ではなくなった。

Number_iの皆さんがハードなヒップホップトラックを抱え、世界水準のポップを目指すというのをどうしてもジャニ問題の顛末も含めて考えると、さまざまな意味で胴元に永遠に子供のままにさせられる時代、というのに区切りをつけたのかな、と思う。

メンバーのみんなが自発的に楽曲をプロデュースし、自分達の活動をハンドリングしている感じがあるところからそんなことを考える。