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信じる。


虚栄心やドラッグ、恋愛、お金、性欲とその人が持つ本来の良さをいとも簡単に崩してしまう、乗っ取ってしまう様々なものがこの世の中には転がっている。



信じるって期待することでもあるけれど、私はこれからも信じていきたい。



信心深さや、騙されやすさ、素直なところが自分の一番憎んでいて大嫌いな部分だ。


それでも、最近ある方に「心が綺麗」と言われて、漸くその部分を肯定できるようになってきた。



多分私はずっと、これからも、人が大好きだろう。


私の「人間大好き人間」っぷりを改めて感じた際に、ふと思い出したことがある。


母は私よりもずっと疑い深くて、警戒心もそれなりにある人だった。
だけど、父に関しては何度も何度も裏切られては許し、信じては裏切られていた。


結果的には三行半をつきつけて、お別れすることになった二人だけれど、父が泣きながら「俺がもしも犯罪者として捕まって、世界中の人が俺のことを犯罪者呼ばわりしたとして、それでも俺のこと、お前は信じてくれるのか?」と聞いた時に、母が「当たり前じゃないの〜!笑 信じるよぉ。」と言った話はずっと私の頭の中に記憶されている。


信じる気持ちがある人って偉大なのだと、母を思い出すと毎回頭が下がる。
そしてその偉大さに我が母ながら恍惚とした気持ちにすらなってしまう。


多分、そう。
そしてその時に、私が誰よりもそんな風に信じてくれる人を探していることに気づかされてしまう。


心理学での解決策としては、インナーチャイルドとして自分で自分に信じてるよと伝える方法などが挙げられるだろう。


だが、今はそういったことじゃないような気がしている。


捨て身で言っている訳ではなくて、何だかずっと探していたいのだ。


そうしている間はきっと人のことをまっすぐに受け入れられる気がするから。


そのままでいたい。


一般的な防衛心は携えておくとして、これからも私は疑いの無い目で人のことを愛すだろうし、恩義を感じれば犬のように喜んでそれを伝えるだろう。

誰にも奪わせないし、誰にも奪われない。

世界にたった一人の自分が愛おしい。
自分のこともっと愛してあげてもいいんじゃないか?、と。

最近、改めて思えた。

ひょうきんに、たくさん笑って
水がせせらぐような純度の高い人間でいたい。

三月ももうすぐ終わるね。
お体と心をやわらかく大切に過ごしてね。


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