大事なことほど時間がたってからふとした時に気づく

最近は研究室の人たちの面倒ばかり見ているせいで(俗にいうお節介もおおい)自分の研究も就活も進められていない。

正直どれも積極的にやりたいというより、「やらないといけないよなぁ」というものばかりでお節介を焼くことで現実から目を背けているんだろうなと思う。

お節介はめちゃくちゃ感謝されるし、人の役に立っている実感も与えてくれる。脳みそにドーパミンどぱどぱである。近所のおばちゃんずがお節介を焼きたがる理由がよくわかる。人類はみなドーパミンどぱどぱになりたいのだ。
どぱどぱ。
そしてドーパミンどぱどぱを求めて今日も明日も世のため人のために生きていこうと思うのである。

長すぎる前置きはこの辺にして、タイトルに書いた内容に触れていきたい。

人間いつだって大事なことは時間がたってからふと、「あの時なんであんなことしたんだろうな」とか「なんであんなことしちゃったんだろうな」とか過去の出来事、特に悔しかったり後悔が尾を引いて忘れられなくなっているものほど、回顧している気がする。

それは何かに忙殺されるような忙しさに身を置いているときであっても、ちょっと休憩しようと思ってお茶を飲んだ瞬間に。
それは通学電車の中で何気なく車窓に流れていく風景を見ているときに。
そして何よりも夜も更けて寝ようと思ってふとに入った瞬間に。

思い出すのは遠い過去のことばかりではなく、その日の出来事であることが大半だけど、とにかく過去に何の前触れもなく連れ戻されては「なんで?」と「どうして?」の押し問答を繰り返す。

大半は「まさに!」とすとんと納得できるような答えなんて出ない。多分こうだったんだよな、とかきっとうそうだったに違いないとか、自分の都合のいいように解釈をして、答えがなかなか見つからない問いを自分が納得する形で閉じる。

ごくたまに、何度も思い出しては答えを探しているうちに、それまで見えてなかった視点から、突然視界が開けるように、無理やり自分を納得させなくても、おのずと納得できるような明瞭な答えが見つかる事がある。

それが今日、電車から車窓を眺めているときに起きた。
ちょっと前に割と頻繁に遊んでいた人と喧嘩というか、険悪な雰囲気になってしまった時のことだ。
どうして険悪になったのか、いろんなことが重なって険悪になったのは確かなのだけれど、決定的にこれがだめだったんのかなというものがなかなか見つけられないでいた。「あれかな~。いや、これかな~、、多分これなんだよなぁ」としっくりきそうで来ないことに理由を求めていたのが、今日最後のピースがはまるように、決定的な原因が見つかった。この内容についてはこっぱずかしいので書かないけれど、とにかく「これだ!」と思う答えが見つかった。

それが見つかった後は今まで見えていなかったいろいろなことが封を切ったように思い起こされ、自分のふがいなさとか弱さとか幼さとかが如実にあらわになった気がして、まさに反省というにふさわしい心境になった。もう時間がだいぶたってなかなか連絡も取りづらくなってるけど、ちゃんと謝りたいなと思った。でも、掘り返さない方がいいのかな、と考えるとなかなか謝ることもできなくなっている。そんな時期に、大事なことを思い出した。

今回は自分のどこに非があったのかという点での気づきだったけど、それ以外にも、入試で解けなかった数学の問題の解き方とか、面接のときの受け答えとか、とにかく大事なことはふとした何気ないときに、パッと頭に浮かんでくる。(意識してないだけで、常にそのことを考えているからかもしれないけど。)とにかく一番知りたいときには出てこない。出てきたときには、もう後戻りできないところにいつもいるばかり。

次に進むためには、反省した内容を次に生かしていきたいと思う金曜日だった。




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