101_東京都復興の歴史にふれて
どうも、内藤 司です。
今回は少し真面目な記事を書きたいと思います。
と言いながら、8/15に投稿しようと下書きに残しておいたら、忘れてました笑
そんなこんなで今回のテーマですが「東京都復興の歴史にふれて」です。
なぜ、このテーマで書こうと思ったかというと、もともと自分自身が大学時代に政治経済を専攻しており、もともと国際政治史などを学んでいたことに加えて、
先日、両国に用事があった際に「東京都慰霊堂」と「東京都復興記念館」に行ったことがきっかけです。
この2つの施設はJR両国駅から徒歩5分、都営大江戸線両国駅からすぐのところにある「都立横網町(よこあみちょう)公園」にあります。
東京都慰霊堂はもともと大正12年(1923年)9月1日に発生した、関東大震災による遭難者(約58,000人)の御遺骨を納めるための霊堂として、東京市内(現在の23区の中心部)で最も被害の大きかった被服廠跡に、震災7年後の昭和5年(1930年)に完成しました。
その翌年、昭和6年(1931年)に大震災の惨禍を永く後世に伝え、また官民協力して焦土と化した東京を復興させた当時の大事業を永久に記念するため、付帯施設として東京都復興記念館が建てられました。
その後、昭和16年(1941年)に日本軍が米・ハワイの真珠湾攻撃で宣戦布告して行われた太平洋戦争が発生。最初こそ日本軍は東アジアや東南アジアを中心に勢力を広げて、優位に立っているように思われるが、徐々に劣勢になり、
関東大震災から21年の時を経た昭和19年(1944年)の冬から、首都東京はアメリカ軍機(B-29)による上空からの爆撃を受けて、関東大震災の数倍もの惨禍を被りました。そして、昭和26年(1951年)に東京空襲で亡くなった方のご遺骨も慰霊塔に納められ、震災、戦災合わせて約163,000体の御遺骨が安置されています。
そして、東京都復興記念館は関東大震災と東京空襲からの復興の歴史が学べる資料館となっています。
被災遺物、図表、写真、文書の他、被災地を描いた絵や太平洋戦争時に使用されていた焼夷弾などの実物資料などが展示されています。
これまでも広島の原爆ドームと平和記念公園、沖縄のひめゆりの塔、平和祈念と平和記念資料館などを訪れましたが、
東京都復興記念館で学んだのは、2回も日本の首都として世界経済の中心になるまでに復興してきたことです。
そこには日本人としての誇りや復興に向け官民ともに手を取り合ってきた歴史があります。
そして、終戦から19年後の昭和39年(1964年)にはアジアで初のオリンピックである東京オリンピックを開催するまでに復興しました。
詳しくは実際に行って、自分の目で確かめていただきたいですが、確実に言えるのは行って損はしないということです。
学びが多く、特に戦争を知らない世代である自分たちにとっては、学ぶべきこと、風化させてはいけない歴史であると思うからです。
平和な現代の日本で育ったからこそ、当時の列強として領土拡大を目指して戦争を繰り返していた日本の歴史を学び、二度と繰り返さないことが大事です。
最後にアマプラに上がっていた「空母いぶき」という映画を見て、近い将来に日本が戦争に巻き込まれたり、武力衝突する可能性もなくはないと感じました。
実際に世界を見渡せば、ロシアによるウクライナ進攻を始め、世界ではまだ数多くの戦争や紛争が起きています。
いつ、近くの共産主義の国からミサイルが飛んでくるかわからず、下手すれば近くで「ドーン」という爆音がして炎が燃えている状況なんてもなくはないのです。
同じ失敗は二度と繰り返さない。すべてにおいて大事なことです。
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