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君たちはどう生きるか

 表題は昨年7月14日に封切られたジブリ映画のタイトルである。事前の宣伝が一切ないという、映画としてはありえない封切りに、多くのファンの期待はよくも悪くも裏切られたという。たとえば、「となりのトトロ」のイメージを抱いて見てしまうと、難しすぎて全然おもしろくない。特に夏休みに合わせた子供映画かと思っていると、全くの期待外れとなってしまう。逆に、こういった映画に対して目の肥えた方々には、何度も見てさらなる考察をしたくなるような深い意味のある映画なので、いい意味で期待を裏切られた人たちもいるという。

 私自身は7月16日に妻とこの映画を見た。妻がこの映画を見たがったからだ。タイトルが吉野源三郎さんの「君たちはどう生きるか」に由来することがたいそう気に入っていたことと、宣伝がなかったのでみんなが知らない映画を見るという優越感みたいなものもあったのかもしれない。私も妻と同様、タイトルが気に入ったというところがある。私にとってはこのタイトルは、一年ほど前に書いた作品(替え歌の作詞)のタイトルと同じだったので、それが非常に興味深かった。
 
 私は特に映画ファンというわけでもなければ、アニメファンというわけでもない。もちろん、ジブリファンでもない。そういう意味では先入観なく映画を見ることができた。特別引き込まれたわけでも、引き込まれなかったわけでもなかった。ただ、「大叔父の積み木」がずっと引っかかっており、一か月半たった今でもただそれだけは心に残っている。

 私は、大叔父の積み木は「バランスによって平和が成り立っている」という意味なのだと考えた。大叔父はそれによってこの現実世界が平和に保たれ続けてきたと考えているのだ。その積み木はペリカン隊長によって切り刻まれたので、そこら中で戦争が起こってしまっているのだろう。我々はもっと別な方法で平和を構築しなければならないことを示唆しているのかもしれない。

 バランスで平和を保つと言えば、地政学による軍事バランスを想起してしまうが、おそらくそれだけではなく、経済であったり、文化であったり、あるいは技術的なものであったり、そういったもろもろのバランスを指しているのだと思う。現在の世界では戦争に至らないまでも、分断や摩擦はあるのが当たり前で、それが積み木を切り刻まれた世界なのではないだろうか。もちろん、ウクライナやガザのように戦禍に見舞われている人たちもいる。
 
 かつて、アメリカのオバマ大統領は「核なき世界」を国際社会に働きかけたことで、ノーベル平和賞を受賞した。現在でも「核兵器禁止条約」・「核拡散防止条約」など、核兵器の広がりを抑え、なくしてしまおうという動きがとどまることはない。にもかかわらず、逆に軍備増強の過程で核兵器が広がっている現状を目の当たりにすると、これは物理のエントロピーの法則のように、人間の理性ごときではどうしようもないことなのではないか、と思ってしまう。

 ユネスコ憲章に以下のような一節がある。
「政府の政治的及び経済的取り決めのみに基づく平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって、平和が失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かれなければならない。」
 
 広島に原爆が投下される少し前まで、世界は「核なき世界」だった。それなのに、いったん核兵器が開発されてしまうと、世界中に広がっていく。たとえ、条約でそれを止めようとしても無理だし、止めることができたとしても永続的なものではない。広がり尽きるまで広がっていくしかないのだろう。もちろん、どのあたりで広がり尽きるのかはわからないので、我々はそれを止める努力や進行を遅らせる努力をするしかないことに変わりはないのだが。
 
 それでは、ユネスコ憲章に言う「人類の知的及び精神的連帯」とは、何を意味するのだろうか。私はそれを「すべての人々の心と心が奥深いところでつながっていることを理解すること」という意味だと考えている。だとすれば、それは芸術であり、信仰であり、文化である。時間や空間を越えて通じ合う心と心。それこそが有名な「平和の砦」だとは言えまいか。
 
 原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」とある。この言葉の中には、「核兵器」を減らそうとか、なくそうという言葉はない。「過ち」は「原爆投下」を指すのだろうが、ここまで抽象化されると我々個人の日常生活にまで沁みてくる。そして、我々の「生き方」そのものを問い正しているように思えてくる。

 この慰霊碑の言葉を胸に刻んで、「戦争反対」「核廃絶」を叫ぶ人もいよう。それはその人の考え方次第だ。しかし、私はこの言葉はそんな表面的な意味ではないと思う。「足を地につけて身の回りに起こる様々なことをしっかり考えて生きてゆけよ。ボタンを押すという些細な自分の言動も自分や自分の周りの世界に大きな影響を与えることがあるのだから。」と、そう訴えているような気がしている。

 「君たちはどう生きるか」という映画も結局、自分の生き方を示すことにより、我々の生き方そのものを問い正しているのだろう。アニメの技術や表現に関してはよくわからないので、評論家のような的を射たコメントはできないのだが、私はこの映画からこのようなことを考えた。そして、私はこれからも私らしく自分を表現しながら、与えられた生を精一杯生きてゆきたい。「選択の連続」と言われる人生の一瞬一瞬をしっかりつかまえながら、大地を踏みしめて歩いてゆきたい。そう心に誓うのである。

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