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MBTIの目的を考える

MBTI創設者マイヤーズの著書、Gifts Differingを読んで思った。

MBTIが目指していたのは、完璧な理論じゃなくて、人々の成長ガイドだったのでは、と。

もちろん、人をタイプ分けすることでよく知られているし、職場で適性検査の一部として使われることもあるだろう。

しかし、読んだ後はこんな風に思えてきた。
診断はあくまでも過程として生まれたものに過ぎず、性格検査のほうだけが一人歩きしている状況が不本意だった、と。
人々の特性を割り出そうとしたのは、あくまでも弱点を見つけるためで、その弱点をどう補うかが肝心、と。

そもそも理論は、ユングのものに基づいているのだ。おそらく母であるブリッグスも娘であるマイヤーズも、理論の拡張と完成に興味はあまりなかったと思う。
データや論理性の裏付けは、あくまでもこの行動指標を受け入れさせるためのものでしかなかったのだろう。

補助機能が十分に成長していない人間は、大きな不幸を見る。そんなことが何度も繰り返して書かれていた。
バランスのいい人間を目指そう、と論理的なトーンから飛び出てしまうほど、懇願じみた言葉が何度も何度も連ねられていた。

本当は、誰もが精神的に苦しまない社会を彼女たちは目指していたのではないか。

各タイプの職業を並べることで、人々の長所を最大限に活用してほしいと見せかけて、実は人々が心を抑えつけなくても生きられる環境を作りたいのでは?
各タイプの見落としがちなところを書き出すことで、アドバイスをしていると見せかけて、実は人々の劣等感を和らげたいのでは?
各心理機能の判断基準を比べることで、人々の理解を分かりやすくしたいと見せかけて、実は取り返しの付かない喧嘩を減らしたいのでは?

「人間をどう分類すればキレイにそれぞれの箱に納まるのか」を突き詰めたのではなく、
「どんな言葉をかければ人々が成長と平和に向けて進むのか」を突き詰めた結果がMBTIだったのだろう。

SNSの時代になって曲解は進んでいるけれど、人々を動かせている点・世界を作り替えている点で見ると、大成功だと言えると思う。

ここで、MBTIをアカデミックな視点で批判しなくてもいいんじゃない?と結論づけたくなるかもしれない。
しかし、まとまりたがりな一INFJとしてこうも思う。


ただの自己カウンセリングツールで終わらせるのはもったいない、と。


しっかりと、原点となっているユングのタイプ論と向き直りたい。