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人間の本質的な強さとは?映画『百年の夢』

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師匠が去年観た映画の中で一番良かったと言っていた、『百年の夢』を観てきた。

スロヴァキアの山奥、人里離れた場所で暮らす老人たちの姿を追った『百年の夢』。

社会から隔離され、孤独のはずの彼らが、
明るく、強靭に生きる姿が描かれている。


日々の夜ふかしと題材の難しさ、静かに進んでいく映画の構成に、私は…

寝てしまった!!!(最低な言い訳)


都内で上映される最終日だったのでもう一度観ることもできず…
せめてものパンフレットを購入。

「監督の言葉

…『百年の夢』は、素朴で、賢明で、内面的に強靭な人々についての映画です。

(中略)

彼らはみなその内部に、内なる光のようなものを持っていました。

(中略)

平凡な人間でも真の人格者になることができるからであり、この映画のなかで自らの人生を生きている人々は、その内部になにか普遍的なものを持っているからなのでしょう…」

『百年の夢』公式パンフレットp.7より抜粋


宗教についての映画ではなかったけど、「内なる光」「普遍的なもの」という言葉に、「クエーカー」というキリスト教宗派を思い出した。

個人の中に神が存在するという考えのもと、一人一人の内なる光を大切にしましょう。普遍的なものを大切にしましょう。という教えだったと記憶している。(間違っていたらすみません)

自分の内部にあるもの、普遍的なもの(愛などだろうか)を見つめ続けることってかなり難しいことだと思う。

(聖書には、「コリントの信徒への手紙」という章の中に、
「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」という一節がある。)

時代や所属する集団が重きをおく価値観によって、自分の思想は大きく影響を受けるものだ。

たとえば、資本主義社会に生きればお金をより稼ぐ人がえらいと思われがちだし、
きっと戦争中の国では、より駆逐する人がもてはやされるのだろう。

もっと身近に考えると、企業に勤めると、出世しないといけない雰囲気だったり、
ノリが良くないとコミュ障のヤバい奴認定される雰囲気だったり?

社会に順応するほど、外面的な評価にとらわれて、人間の本質的な部分を見極めるのって難しくなると思うのだ。

社会からある種疎外された映画の中の老人たちの方が、
私たちよりも人間を生きているのかもしれないな。

文明が作り出した価値観によって見えなくなってしまったものを、思い出させてくれたように思いました。


おしまい🍑


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