最高のプレゼントはあなたの幸せ

※この文章は一部フィクションです。

 ライティングゼミで「惜しいですね!」といわれたもの。

 せっかくなので載せます。


「もうすぐボーナスが出るんだ。ほしいものある?」
 社会人1年目のことだ。親孝行のつもりで、母に聞いたが、答えは、意外なものだった。
「うーん……特にないかな」
「そんな、遠慮しなくていいよ、もう社会人だし」私はあわてて付け加えたが、
「いや、遠慮してるわけじゃなくて。そうね……」
 母はずいぶん長いこと考えていたが、具体的なものの名前は出てこない。気持ちが「嬉しいわ、でもほんとに思いつかなくて、と早口で弁解していた。
結局その年は、母に似あいそうなデザインのトートバッグを買って、渡した。けれども反応は良くなかった。
「ありがとう。でも、私のことなんていいのに。貯金しておきなさいよ」

そんな母が、唯一手放しで喜んでくれたプレゼントがある。
「そんな些細なものを?」と思ったのだが、本当に感激していた。しばらく持ち歩いて、友人知人にも見せびらかしたらしい。
その価値観が当時の私には信じられなかったが、時が経つにつれて、だんだんとわかってきたような気もする。
 
時が経ち、私は30代になり家庭をもった。けれども母はあまり変わらない。
たまに家に来て、孫の顔を見ては、「ねえ、何か欲しいものある?」と聞いてくる。
 息子たちは無邪気に、「プラレール」「ミニカー」などと答える。おもちゃも、服も、子どもたちには次々買う。彼らの成長は早く、サイズも趣味もすぐに移り変わってしまうからだ。そして、たった数百円、数千円のものを、とても喜んでくれるから。その笑顔に、喜びに、それを手に入れた姿に、課金するのだ。それは年を取った自分にお金をかけるよりも、ずっと有意義に感じられる。
「お母さん、いつもこの子たちの面倒見てくれてありがとう。何かお礼させてよ」
「ええ、私? ……私はいいのよ。それよりあなたも、そんなパジャマみたいな服で……子どもたちがいるから買いに行けないの? 私が代わりに買いましょうか?」
 私は母にとって、孝行してもらう対象ではなく、いまだに心配の種らしい。
 
 父と母は同業者同士の結婚だった。しかし、母は途中で退職し、激務の父を支え、私と弟、妹を育てた。記憶の中の母は、いつも家族のことばかり気にしていた。
一番下の妹が成人したころ、祖母が急に体調を崩した。母は子育てが終わった途端、介護を担い始めることになった。それまでは80代とは思えないほどしっかりしていたのに、ものすごいスピードで認知症が進んでしまったのだ。
祖母も専業主婦だった。子育て、孫育てが終わったことで、生きがいをなくし、弱ってしまったのかもしれないと思う。

私は少し怖い。母もまた、家族だけを生きがいにして、人生の時間を使い切ってしまうんじゃないだろうか? 
すぐにほしいものが思いつかない気持ちはわかる。必要なものなら自分で選んで、自分のお金で買える。着飾るものも、高いものはもったいなくて使えない。旅行? 家族のケアを手配して、時間をつくるのがおっくうで。
でも、私は今、子どもが小さいからそういう状況であるだけで、いずれ手に入れたいものはちゃんとある。仕事で評価されること、趣味に没頭すること、友達に会うこと、好きな服を着ること、行きたいところに行くこと。でも母は、いまだにどれも充分満喫しているようには見えない。母がそういうことに人として、全く興味がないはずはない。自分自身のほしいものややりたいことが、一瞬も頭をよぎらないはずはない。
それでも母は、家族のために30年以上自分の時間を使ってくれたのだ。尊いことには違いない。母はもうすぐ還暦を迎える。

母が喜んでくれたプレゼントは、私の結婚式のアルバムだった。私が、幸せな花嫁になった写真。「最高のプレゼントはあなたの幸せよ」それは私を愛情たっぷりに育ててくれた親としての本心なのだろうと思う。

 最高のプレゼントはあなたの幸せ。
 それは、私にとってもそうなんだよ、お母さん。

優しくてまじめな母なので、もし仕事を続けていたらきっと多くの人に感謝されただろう。趣味に情熱を燃やしていたらきっとたくさんの仲間に囲まれていただろう。もっと若いうちに自分の時間を持てていたら、昔の友達と飲み会をしたり、おしゃれをしたり、イベントに出かけたりしていただろう。日本の外に出たことがなく、「いつか、私もハワイに行ってみたいわ」と言っていたけど、介護で忙しくて、まだ実現していないはずだ。
 私は母のおかげで大人になり、幸せになった。だから今度は、母が夢をかなえたところを見たい。ハワイでゆっくりしている写真が見たい。実は、こっそり貯金している。
余計なお世話と言われるかもしれないけれど、あなたの娘だからしょうがないよね。

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