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新しいことを知るのがきらいだった

小さい頃、小学校低学年くらいだったか。わたしは本を読むのがすきだった。
私学に通っていたから近所にともだちが住んでいなくて、土日はいつも家にいた。
両親はよく遊びに連れて行ってくれたし、弟もいた。同じマンションに住むともだちが居たから引きこもっていたわけでもなく、何も不自由に感じてはいなかった。

しかし家にいる時間が長いので自ずとひとりあそびが上手になった。
本や漫画を読むのが大好きだったし、アニメやゲームも好きだった。絵を描くのと音楽を聴くのも好きだった。

そんなある日のことだ。
怪盗クイーンというはやみねかおるさんの小説で大好きなシリーズと出会った。
初めて読んだときはまるで自分がその小説の中にいるかのようにワクワクして、シリーズがあると知ったときは胸が高鳴った。

今までも好きなものはあったけれど、何かに「ハマる」という感覚をメタ的に感じた初めての瞬間だった。

あの世界の続きが知れる!という気持ちと、小説という分野には「シリーズ」というものがあるという現実的な知識を得たことの2つの新しい何かに触れた高揚で、わたしの中で世界がぐんと広がった。

と同時に、
わたしは絶望してしまったのだ。

世界はわたしが死ぬまでに理解しきれないもので溢れている。
全てを完璧に知ることなどできないんだ。

本も漫画も、アニメもゲームも音楽も・・・
その膨大な歴史に圧倒され、思ってしまった。

ならば初めから知らない方がマシだ。と。

いつ頃からか分からないが、わたしは完璧主義者なのだ。ちゃんと出来ないんだったら、はじめからやらない方が良い。

小学校5年生の時、幼なじみと一緒にダンスの習い事の体験に行った。
やってみたかった。
なのに、自分より小さな子が踊っている姿を見て諦めてしまった。

自分よりも先にその世界に触れている人がいること、これから先に自分に降りかかるであろう羞恥心や劣等感、あの小さな子達よりも上手になれるかどうかも分からない不確実性、それらが一気にわたしに押し寄せなんだか分からない気持ちが顔を真っ赤っかにさせて、

その頃からわたしは新しいことに出会うのがきらいになった。

胸がドキドキしてやってみたいと思うのと同時に襲いかかってくる得体の知れない恐怖。

これを味わうのがイヤでイヤで、ずっとずっと、出会った瞬間に、あ、これは…と思った瞬間に、好奇心という小さなわたしが笑顔で顔を出すたびに蓋をしてきたのだ。

そうやって気付いたら20代も後半になっていた。

いろんな経験をして、いろんな人と出会ってわたしは最近やっと自覚して、
今までとんでもなく損をしてきたのかもしれない、とその後悔を認めた。

そして今こう思っている。
わたしが今まで続けていた何かは、果たして本当にわたしがやりたいことだったのかな。

傷つくのが怖くて、
ずっと2番目を選び続けて来たんじゃないかな。

今も完璧主義な自分はいつでもどこでも顔を出す。そんな自分が救ってくれたピンチもあったけれど、
大切なわたしの30年間がそうやって過ぎようとしている。
もう10代の頃のような剥き出しの感情は無いけれど、
小さな頃よりも感じにくくなっているかもしれないけれど、

わたしは少しずつ小さなわたしと向き合っていきたいと思う。

答えのないプロセスを愛せるように。

noteを始めたのは、これがきっかけだ。

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